グッド・バイ@ロンドン、コロネット劇場 京都から世界へ、

Goodbye by Chiten in London 2024
(c) Mayumi Hirata

世界の名だたる文豪たち、チェーホフ、ドストエフスキー、シェイクスピア、ブレヒト、イプセン、太宰治らの小説、戯曲を新たに脱構築、再構成して今日の観客にヴィヴィッドに響く作品を作り続けている演出家で京都を拠点に活動している劇団地点の代表、三浦基。

この度、太宰治の未完の絶筆「グッド・バイ」を軸に敗戦から作家の死までの間に書かれた小説を織り交ぜ創られた地点の人気作「グッド・バイ」が英国ロンドンのコロネット劇場(The Coronet Theatre)で上演され、前売りチケット完売日が続出、盛況のうちに5日間の公演の幕を閉じた。

今年開館10周年を迎えるコロネット劇場はアンティーク市で有名なノッティングヒルにあり、商業劇場が建ち並ぶウェストエンドとは一線を画し、海外の優れた作品を多く上演する劇場として年々そのプログラムに注目が集まってきている。

2012年にグローブ座ロンドンの依頼でシェイクスピアの「コリオレイナス」をロンドンで上演している地点。三浦が作り出した編み笠姿、フランスパンをかじりながら周りの人々に悪態をつく虚無僧のようなコリオレイナスは英国で通用している荒くれ者将軍のイメージとはかけ離れ、異彩を放った。結果、従来の一辺倒なシェイクスピア劇の解釈に新たな光を当てることに成功し、高評価を得たという過去がある。

Gooddbye by Chiten in London 2024
(c) Mayumi Hirata

今回、地点にとってロンドン上演が2回目となった太宰作品のコラージュ「グッド・バイ」はシェイクスピアとは違い英国人にはあまり馴染みのない題材ではあるものの、敗戦を経験し、死を目前にした作家の —三浦が言うところの— “明るい絶望”は今の世にあって万国共通のテーマであるのかもしれない。

京都を拠点に活動し、地点とのコラボレーションも多い3人組のバンド「空間現代」のオリジナル楽曲、ライブ演奏が地点の役者たちの音節で区切り、独特の強弱をつけた発語と見事に共演していて、英国の観客たちはその音楽性にも惹かれたのは間違いないだろう。

英国の観客たちは地点をどう見て、そして楽しんだのだろうか。

現地のレビューから探ってみた。

Goodbye by Chiten in London 2024
(c) Mayumi Hirata
Goodbye by Chiten in London 2024
(c) Mayumi Hirata

(BroadwayWorld) ★★★★

日本の実験的な劇団が驚くかたちの太宰治(作家)賛美でロンドンに上陸”

日本の劇団地点による刺激的で詩的な本作は太宰治の人生、そして彼の文学作品のスナップショットをまとめあげた作品。リズミカルで反応が鋭敏なキャストたちが東京のバーカウンターに座っている。彼らが酒のグラスを高々と掲げる都度に、太宰が差し迫った死(自死)に近づいているという緊張感が高まる。

*****

今こそ本物を鑑賞しよう。日本の実験的な劇団地点が日本の前衛をロンドンに紹介してくれた。

この実存主義的ライブ音楽演劇は日本の最も偉大な作家の一人、太宰治をシニカルな賛美でもって讃えている。…この舞台は今現在上演されているどのステージでも味わうことのできない唯一無二の観劇経験を提供してくれる—もしかしたら、それは多くの商業演劇のファンにとっては望まないものなのかもしれないが。

テキストはことば、そして会話の断片化により特徴づけられていて、舞台は太宰と観客との対話というスタイルをとっている。ストーリー、ジェンダー、言語というものを超えたところで、典型的なドラマ構造に挑みながら念入りに作り上げられた煽動をうまく機能させるシステムを作り出している。 

テキストはあらゆる驚きに満ちていて、人生を生き延びる対処メカニズムがいったん整うと、太宰の社会政治批判が大胆な自信とともに現れ出てくる。

 役者たちは作家思考の伝達者となり、キャラクターや役といった古くからの(役者の)概念から外れる。

*****

三浦基演出のこのプロジェクトは紆余曲折を繰り返しながら、自殺の利害、それに伴う非難にまで足を踏み込んでいる。三浦は戦争批判と絶え間ない耽溺の動作を結びつけ、生き残りと自殺の間にとても魅力的な並列を作り出している。

******

(ステージから少し離れた一段上のところで演奏している)バンドが周期的に演奏を中断すると、下段のコーラス(役者たち)はしぼんだようになり、そして周期的な反復的な音楽を始める。このようなペースと流れの変化は主題と話ぶりに適合しているだけでなく、意識の潤滑な流れを人間的なものにしている。

舞台上の登場者がみな次第に酔っぱらっていく中で、太宰の思いは彼の嘲笑的な観察眼を持ちながら世を捨てる理由を探す。陰鬱なジョーク、頑固なタンジェント、エモーショナルな思い出の回想のあと、あなたは新たに見つけたシニシズムと一緒に人生に対する独特な感謝を胸に劇場をあとにすることだろう。

Goodbye by Chiten in London 2024
(c) Mayumi Hirata

(Morning Star)★★★

“日本の作家太宰治のイマーシブ(没入型)な作品の延々と続く不協和音にすっかりやられてしまった!”

著名な作家太宰治が1948年に発表した未完の小説を軽度に翻案していて、人生に幻滅している男が友人や以前の恋人たちに会い出向き別れを告げ、そして自らの死を計画するというストーリーになっている。酔いが回るにつれて日本人とは何者なのか、という問いが重きを増してくる。伝統的な文化や価値に依存しながら破壊された戦後の社会にとって、グローバリゼーションの勢いは過去や個人のアイデンティティをしっかりと形成していた社会からの無慈悲な断絶なのである。

******

日本で実験的な劇団として常に先を行く劇団地点がバックにロックバンド空間現代を従え、極めてイマーシブな観劇経験を提供してくれた。それは典型的な演劇の上演、つまり字幕のついた会話の断片が圧倒的な音(楽)から切り取られているようなものと言うより、ワクワクするバーにいるような感覚だった。

それぞれに違った個性を示した7人の役者たちは今風の衣装を着て劇場ステージ幅いっぱいに設置されたバーのカウンターに陣取っている。一連の統制がとれた視覚イメージ、繰り返される型にはまった動き、そして個々のパフォーマンスの連鎖、一方で同じフレーズを繰り返すコーラスと彼らの人生についての高揚した見解がバンドのパーカッション的伴奏となっている。

と、このように75分のパフォーマンスは演劇でありながら同時に音楽ライブのようであり、詩の朗読会のようでもある。自殺願望、宗教的信念、政治的傾向、恋愛・人間関係が強烈なビートにのって、不協和音フレーズと一緒に炸裂している。ユーモアを感じさせる瞬間もあるが、それよりも、その激しさ、ペース、そして絶え間ない連続という作品の活力が何かを考えさせる暇を与えない。

時計の精度を有した三浦基の演出、そして役者たちは太宰作品の強烈さを表現するためにたっぷりと油をさした機械のようにフル稼働で演じている。そしてその絶え間ない性質は作家の小説の感受性を必ずしも評価するものではない。

(Theatre, Films and Art reviews) ★★★

コロネット劇場に入って「グッド・バイ」の美術を見た瞬間、ピナ・バウシュの「カーネーション」のセットを見たときに受けた強烈なインパクトを思い出した。

精密で明瞭な発語と動き、そしてステージの上にいるロックバンド空間現代のライブ演奏、とくれば伝統的な西洋演劇というよりもヴッパタール舞踊団の方に近いと言えるのではないだろうか。実験的な劇団地点の舞台は会話劇よりもスペクタクルで刺激に満ちている。

どうやら字幕がうまく働いていたかどうか(観客の位置により)がコロネットの観客たちの評価を分けたようだ。

日本文化への理解度(または不理解度)が重要なポイントであったことも確かだ。断片のコラージュのようなテキストには地理的、文化的な日本関連の内容が散りばめられているのだが英国人の観客たちには難しすぎたようだ。

聖書の引用、古代ギリシャ、フランス革命、形而上学的な不安、それら全てがバンドの反復するロックのリズムに対抗して発せられる言葉の不協和音の中でクラッシュしていた。