レイディマクベスキャスト写真

マクベス夫人の出来る女ゆえの苦悩とは?

天海祐希のマクベス夫人=レイディ・マクベス。彼女の旦那である将軍マクベスを演じるのが英国エンタメ界の至宝、日本では水飛沫と笑顔がはじける「雨に唄えば」のミュージカルで日本のミュージカルファンの心を鷲掴みにしたアダム・クーパーとなればどんな夫婦を見せてくれるのか、と気になるところ。

そんな話題作「レイディマクベス」は英国演劇界の注目の女性作家ジュード・クリスチャンが書き下ろした新作で、マクベスと銘打っているもののシェイクスピアの血みどろのスコットランド玉座争奪物語とは全く別の、優秀な女性レイディ・マクベスが女性であるがゆえに遭遇した悲劇の物語である、と語ってくれたのが今作の演出家で日本でもお馴染みの演出家・振付家ウィル・タケットだ。

これまで堤真一主演の「良い子はみんなご褒美がもらえる」(2019年)、渡辺謙主演の「ピサロ」(2020年)、そして今年(2023年)寛一郎主演で上演された「カスパー」など、日本人俳優との創作を幾度となく経験してきたタケットが英国ロイヤルバレエ団で活躍していた時からの旧知の仲であるアダム・クーパーに当てた役はある時から言葉を失ったマクベス将軍。彼はどうしてそのような状態になってしまったのか、そして公私ともに彼のベストパートナーであるレイディ・マクベスはそんな彼をどう思っているのか。彼らの夫婦関係の鍵となる娘も登場する新作「レイディマクベス」。

いよいよ幕を開ける舞台でこの夫婦の謎を解き明かしてくれる演出家ウィル・タケットとマクベス役のアダム・クーパーに今秋きっての話題作についてインタビューした。

マクベスとレイディマクベス

左:マクベス(アダム・クーパー)

後ろ:レイディ・マクベス(天海祐希)

Q: もともと6年前から温めてきた企画だと聞きました。今回「レイディマクベス」を書き下ろしたジュード・クリスチャンはどのような経緯でこの作品に関わるようになったのですか。

ウィル・タケット(ウィル): ジュードとはエージェントが同じなんです。私がこの「レイディマクベス」を執筆する作家がいないかと探していた時に、エージェントのスタッフが彼女の名前を出してきて、一度彼女の作品を読んでみたらと勧めてくれました。読んでみたら、他にはないオリジナルのとても素晴らしい脚本でした。そこで、ちょうど海外で仕事をしていた彼女とオンラインで話をする機会を持ったのです。軽い挨拶程度に思っていた会話は結局4時間にもおよびました(笑)。彼女はとても頭の良い、しっかりとした強さを持った女性でした。英語の表現で言うと「She takes no prisoners=目標に向かってするべきことをする」といったタイプですね。

確固とした信念を持ち、女性の権利というもの、そして男女の平等ということを真剣に考えていました。実際、現在の英国ではジェンダーの点での不平等が問題になっています。彼女とのオンライントークの場で新作「レイディマクベス」のアイディアをいろいろと語りました。例えば、レイディはとても強いキャラクターであるということ、そしてマクベスも劇に登場するが彼はおそらく多くを、もしかしたら何も語らない人物だということなどを、です。その後、様々な理由、その一つはパンデミックですが私も他の仕事が入ったりして、結果的に実現に少し時間がかかったのです。

Q: そのジュードは2018年にシェイクスピアの「マクベス」と「オセロ」を組み合わせた「OHTELLOMACBETH」を書いていますよね。その劇評を読んで、彼女はシェイクスピアをいかにして現代に適合させられるかをとても意識しているように感じました。

ウィル: そうですね。まず、その作品を手がけたことで彼女が「マクベス」に関してとても精通していたということが言えると思います。現代化という点ですが、私は彼女に限ったことではなくどの作品でも今を生きている人たちへ向けて舞台づくりをするというのは必要不可欠なことだと思います。舞台を作る際に、自分が生きている世界を無視することは明らかに無分別なやり方と言えるでしょう。たとえシェイクスピア戯曲の言葉を変えなくても、その台詞は時代によって、その時代の政治や社会情勢によっておのずと違った意味を持ってくるものです。

そして重要なこととして、今回の「レイディマクベス」はシェイクスピアの「マクベス」とは全く別の作品だということを、まずはっきりとさせておきましょう。

アダム・クーパー(アダム): その通り。「マクベス」という名前がついてはいますが、内容は全く関係ありません。

ウィル: 出てくるキャラクターはマクベスから取っています。そして大前提の設定も。たとえば国では長い間戦争が続いていて、ダンカン(栗原英雄)は王として国を統治しています。バンクォー(要潤)も登場しますがどちらかと言えばマクベスよりでレイディの友人です。そんな中で最終的に全てが泥沼にはまっていくのです。今述べた今回の虚構のキャラクターたちはとても現代的な設定になっています。

そしてシェイクスピアとの大きな違いですが、今作ではダンカン王は殺されません。その結果として、物語は全く違った方向へと導かれていくのです。

なので、観客はシェイクスピアの「マクベス」を読んでくる必要はないので、ご安心を。

Q:女流作家であるジュードから今は男性演出家であるあなたにボールが渡りました。そこであなたはどのようにこの強い女性を扱おうと思っていますか。

ウィル: ある意味で、私は男だということで、今回は問題者と言えるのかもしれませんね。でも稽古場には力強い女性陣がちゃんといるので大丈夫です。なので、ボールが我々男性側にあるとは思っていません。ボールは男女間で共有されています。男女関係がとても平等な稽古場なんですよ。

レイディ・マクベスが中心に鎮座している構造の芝居ではなく、ドラマは彼女が周りにいる人たちとどのような関わりを持っていくかというところを追っていく内容になっています。もちろんモノローグのシーンで自問自答をする場面もありますが。

Q: シェイクスピアとは違った「マクベス」とのことですが、舞台美術や衣装などはどのようになるのでしょうか。

どこかの時代というように限定はされず、いつの時代でもあり得るといったものになります。例えばある特定の戦争を示唆しているわけではありませんし、ましてや今のウクライナ戦争とか、スコットランドの史実を描いているわけではありません。ですので、どこで起きている話なのかということよりも、登場人物たちの関係性に注視して劇を見てもらえればと思います。彼らはむしろ不条理の世界にいると言えます。彼らの感情はとてもリアルなのですが、全体としては不条理な世界での出来事となります。歴史劇ではないので、かえって劇のエッセンスは読み取りやすいと思いますよ。

アダム:そう、時代背景やどこの国の設定なのかを気にかけない方がこの劇の本質を掴めると思います。

ウィル: 例えばマクベスはキルトを履いているのですが、それも美術・衣装担当のスートラ・ギルモアのファッション的なアイディアからマクベスのクールさを引き出すという意図から発案されたものです。そこには軍人という意味も含まれてはいますが、ランウェイを歩くような美しくて素晴らしい衣装です。

セットに関しては部品のキットを組み合わせたような美術となっています。シーンによって多くの違った場所が出てくるのでそれに対応するため、そして今回の劇場がそれほど大きくないのでそれにあったものであるためです。そもそも私は大掛かりな舞台装置にはあまり興味がないのです。一見シンプルに見えるのですが、実はかなり入り組んだセットで、2段の回転部分がそれぞれに動く仕掛けになっています。その回る舞台は心理的な状況に反応する装置になっていて、それらが回転する時は状況が感情によって揺れ動いている時になります。役の心の中で地質構造の変化が起こっている、と考えてもらえば良いでしょう。

今作ではレイディはもともとマクベスと共に戦った戦士だったのです。二人は恋に落ち、彼女は子供を身籠り出産しますが、産後の経過が思わしくなく戦場に復帰することを断念しなければならなくなったのです。彼ら夫婦の願いは王座に就くこと、ダンカン王の後継者になることなのですが、次なる問題は果たしてダンカン王が後継者に誰を指名するのかということ。二人なのか、それともマクベスか、それともレイディ・マクベスなのか。もしくは王を殺してその目標を達成するのか。マクベスは長い間、絶えず戦争に赴いていたという設定です。国は絶えず戦争状態にあり、結果的にマクベスの精神は混乱をきたしていくのです。

そこで問われるのがマクベスは国を治めるのに適した人物だったのかという疑問です。シェイクスピア劇で描かれているようにマクベスはその性格からして王にはふさわしくない男で、むしろマクベス夫人の方が適していたと言えるのではないかということです。世界のあらゆることが男性に委ねられ、女性にはどれほどのことが任されていたのでしょうか。それに対し我々は何をすべきなのでしょうか、それとも何もしない方がよいのでしょうか。それがこの劇で問いかけていることです。

アダム: 稽古場では役者同士で多くの話し合いが行われています。日本語訳に関しても、その都度細かくチェックして役者同士、そして演出家と確認しあっています。シェイクスピアの「マクベス」ではない新しい戯曲なのでお互いの関係性に関しても役者同士で話し合って、ウィルを囲んでのディスカッションが常に行われています。いつものことですが、ウィルの素晴らしいところは彼が稽古場での独裁者ではないということです。彼は自分の意見を持ちながらも、誰か他の人からもっと良いアイディアが出たと思ったらすぐにそれを採用します。優秀な演出家とはそれができる人なのです。なぜなら稽古場での演出家のアイディアが最良とは限らないからです。そして、今回のチームのメンバーは本当に賢い人たちが集まっていると感じます。

ウィル: この稽古場ではいつもとは違った特別な経験をさせてもらっています。それぞれがそれぞれの違った意見を積極的に提案してくれるからです。

Q: で、あなたはそれを聞いて取り入れていくのですね。

ウィル: そうです、そしてそれを最終的に自分のアイディアだ、と言ってしまうんです(笑ジョーク)。

アダム: ウィルが演出家として優れている点は、われわれがいろいろな意見を出して試している時、それを見ながら「これで行こう!」と最適の案を見極めてくれることです。われわれ俳優はそれを求めているのです。

ウィル: 女性陣の宮下今日子さん(臣下のレノックス)、天海祐希さん、鈴木保奈美さん(王の親族で夫婦の友人マクダフ)はそれぞれキャリアの背景はバラバラですがほぼ同じ年齢です。とにかく、全員に言えることはとても頭が切れるということ、そして皆なとても寛大だということです。

アダム: 同感!

ウィル: それがとても重要で、これまでにそうでない人たちと働いてきたこともありましたが、今の現場は違います。我々は多くのことを話し合いながら進めています。

(c) Nobuko Tanaka

左 ウィル・タケット 右 アダム・クーパー

Q: アダムさんはどう感じていますか?今回初めて日本人の俳優といっしょにクリエーションをするのが楽しみだと語っていらっしゃいましたが。

アダム: 本当に稽古場の雰囲気が良いんです。あーダメだ、一体自分はここで何をしているんだろう、と落ち込んでいる時でもウィルやスタッフ、共演者さんたちが周りで温かく支えてくれるんです。

常に近くで演技をしているので特にそうなのですが、天海さんが稽古が始まってすぐの時に「すごい!どうやったら日本人が日本語で演じている中で、完璧にタイミングが計れるの?」と目を輝かせながら褒めてくれました。ああ彼女は僕のやってきることを楽しんでくれているんだな、とそこで自信が持てました。本当に素晴らしい方です。今回は普通に演じたり踊ったりとはちょっと違った表現の仕方を要求されているので、自分の感覚、周りの音や言葉を注意深く拾って、少しでもこの作品の力になれればと思って稽古に臨んでいます。

Q: 先ほど稽古を少しを拝見しましたが、言葉なしに動きだけでマクベスの内的感情を見事に表現されていて驚きました。

アダム: まあ、そのような動きによる表現・演技はウィルと一緒にこれまでずっとやってきたことなので問題はないと思っています。ロイヤル・バレエ団時代からの仲で、ウィルは僕のことをよく知っています。つまり、彼は僕が出来ることを熟知していますし、僕も彼がやりたいことが瞬間的にわかるのです。そのあたりはとてもスムーズにいっていますよ。

Q:今回のマクベスは普段のアダムさんの役柄、明るく能動的なキャラクターとは違って寡黙な男という設定ですが。

アダム: そうですね、それが僕にとってはチャレンジになりますかね。一番大変なのは一幕で他の登場人物たちが次々に自分の意見をしゃべっている中で、マクベスはその会話の中には入らず誰にも応えず、言葉にせず、ただただ黙っているシーンですかね。その黙っている間、内にテンションを蓄積しておいて、表面上は違った表情を見せるように演技しています。これが難しい。とても複雑な劇であるのに一貫して彼は言葉を発さない、意見を言わない、それがとても難しいです。彼自身複雑な面を持ったキャラクターで、その上妻レイディとの関係、そして娘(吉川愛)との関係もとても入り組んでいて複雑です。それら全てを動きのパワーで表現しなければならないのです。

ウィル: 補足させてもらうと、ここでいうパワーはいわゆるダンスの激しい動き、パワーによるものではなくて、強い意志を持ちながら動くということですね。

Q: 今作は女性が女性の地位についての声をあげていますが、それに対して男性側から何か言いたいことはありますか。2023年の今、時代は変わってきているとは思いますが。

アダム: これまで女性には何かを言うチャンスが本当にあったでしょうか。それぐらい男性が発言する時代が長く続いてきたのではないでしょうか。

時代は変わっているとは思いますが、そのスピードの遅さが問題です。我々がそんな男性側であるということ、そのことが恥ずかしいと感じるくらいです。

ウィル: 今、多くのシーンで、演出家として、自分自身に「男としてお前はどう感じるんだ」と自問していますよ。そんな時には稽古場にいる女性陣に聞いてみなければなりませんね。我々男性は正しい道を辿っているのかどうか、聞いてみるべきだと感じています。

この作品を通して、女性についてさらに多くを学んだとまでは言いませんが、もし自分がこの劇を観ている女性客だとしたら、この舞台が自分に問いかけていると強く感じることでしょう。

男性だからわかるとか女性だからわかるといった舞台は作りたくないです。男性も女性も同等の理解度があるはずですからね。とは言え、女性として生きたことはありませんので、チームの女性からの意見を聞くことは重要です。同様に、日本に住んだことがないので、英国人として「これは日本で通用するのか」ということも、稽古の中で常に周りの人たちに確認しています。

例えば、あるシーンで娘が父親とダンスをするという機会があるのですが、日本だとそういうことはまずしないと娘役の吉川さんが教えてくれました。

また、人が去っていくシーンでのジェスチャーについて、天海さんが私が見せたような動作では日本ではその意味にならない、と教えてくれました。とても小さな動作ですが、私にとっては目から鱗で初めて聞いた日英文化の違いでした。

なので、ジェンダーの違いだけでなく国の文化の違いなど、いろいろなことで我々は違いを確認しながら作っています。

Q:おそらく会場は多くのアダムファンの女性で埋め尽くされるとおもいます。そんな若い女性たちにこの作品を通して何を伝えたいですか。

アダム: いやいや僕なんかではなくて、天海さんのファンが押し寄せるでしょう。とにかく、この芝居のストーリー、そして役一人一人に関心をよせてもらいたいです。シェイクスピアのマクベスではそうはいかないかもしれませんが、ウィルが説明したように今作はシェイクスピアではなく全く新しいストーリーで、設定も歴史劇ではなくユニバーサルな設定なので、観客は何らかの点で繋がるところが見つけられると思っています。

この劇は感情的にとても激しい瞬間の連続なので、ここ稽古場に充満している緊張感といったら、それこそすごいことになっています。なので、劇場で何百人の観客が一緒にこの緊張感が溢れている瞬間を体験することはとても刺激的なことになるはずです。すばらしくパワフルな観劇体験になると思います。

その緊張は、例えば戦争だからということではなく、役の人物たち各々が置かれた状況がその緊張を生むのです。

ウィル: 天海さんのレイディはほとんどの時間、舞台上にいます。とても大きな役で持続力が試されます。なぜなら彼女はとても難しい感情の起伏の旅を演じるからです。そしてフィナーレですが、最後は良い形では終わらず混乱して終わります。彼女の人生はまるでローラーコースターのようで、頂点にあがったとおもったらその後すぐに急降下して終わるのです。彼女は他の登場人物たちを有無を言わせない状況で招集し、そこで、これは彼女を表すセリフとして実際に書かれているのですが、彼女は内側に爆発する星のように、宇宙、つまり全てを彼女の中に引き入れるようなことをするのです。それも完全に怯えきった状態で。

これはとても興味深い考察だと思うのですが、劇場で野心のある女性の役を観たあと、その彼女がひどい女、または性悪女だと言われないような芝居をこれまで見たことがありますか?まずないでしょう?なぜ女性が野心家であってはいけないのでしょう。男性ならいつでも野心を持てと言われるところなのに。

彼女がマクベスとパートナー同士で、彼女が彼よりも野心に燃えているのは悪いことなのでしょうか。そして、彼女は娘を愛さなければいけないのでしょうか。たとえその娘が彼女のキャリアを台無しにした原因だとしても。この母娘はとても複雑な間柄です。女性は子供に対してそのように疎ましく思うことを禁じられています。たとえ子供のために全てを諦めなくてはならなかった事実があるとしても。彼女はとても複雑な女性ですが、実際、彼女はとても正直なのです。

観客がレイディを観て「ちょっと私みたいなところがある」と感じたとすれば、それはそれでちょっと恐ろしいことではありますが、同時にこのような女性がいても良いのだと思ってほしいんです。

彼女はアンチヒーローではなく、とても複雑な状況下でこの話を進めていく紛れもないヒロインなんです。他の劇で彼女のような女主人公が出てくることは想像できませんよ。

最後に、この劇はシンフォニーのような構造も持っていて、一幕は政治的な会話が主で、社会・政治的なパワーゲームとなっています。二幕は一転、スローペースになって少し変なことが起きていきます。 現実的ではないアイディアが介入してきて、魔力のせいか三人の魔女らしき者たちが登場します。魔女たちはリアルなのか、レイディの脳内のことなのか、それとも精神的なものなのか、わかりません。でもそうならば、なぜ彼らがそこにいるのかを考える必要があるでしょう。第三幕はまた早くなって、音楽的にはフーガのような流れをとりながら、最後を迎えます。このようにシフトしていくのです。音楽的構造からこの流れを考えるのも面白いですよ。

「レイディマクベス」キャスト陣

「レイディマクベス」

東京公演:10/1(日)〜11/12(日) よみうり大手町ホール

京都公演:11/16(木)〜11/27(月) 京都劇場

詳しくは https://tspnet.co.jp/ladym/

(c) Nobuko Tanaka

左 ウィル・タケット 右 アダム・クーパー