スズキ拓朗は彼のダンススタイル同様に軽いフットワークでダンスと演劇の領域を越境し続けている。ダンサーとして近藤良平率いるダンスカンパニーコンドルズの新作「ALL YOU NEED IS LOVE」に出演するかと思えば、4月には神奈川芸術劇場(KAAT)で昨年11月に敢行した初のニューヨーク公演の凱旋公演、三島由紀夫の小説「橋づくし」をベースに創作した「GOTTANI!!2026」おどる小説『橋づくし〜The Seven Bridges〜』おどる詩集『こだまでしょうか』を、さらにはコンドルズの兄弟ダンス集団ハンドルズ*ダンス作品「I want to hold your hand」へ出演し、12月には新国立劇場の新作舞台でダンスと演劇、漫画のクロスオーバー作品「ミノタウルスの皿」**の脚色・振付・演出が控えている。
小説や漫画の他に、“おどる” — シェイクスピア、戯曲、落語、絵本、古事記、童話、と銘打って様々なジャンルの原作をダンスをメインとした舞台へと昇華してきたスズキ拓朗。その独自の作風が評価され、ダンスと演劇の両方で数々の賞に輝いている。そんな彼にダンスと演劇のフュージョン創作が生まれた過程、それによって目指すところを聞いた。
*2009年にコンドルズ主宰近藤良平氏と埼玉県内の障害者が結成したダンスチーム。公演ごとにメンバーを募集し、半年間のワークショップを重ね公演に臨んでいる。
**「ドラえもん」「オバケのQ太郎」などで知られる藤子・F・不二雄が1969年に発表した短編SF漫画。

スズキ拓朗
ダンスの人という印象があったのですが、アーティストとしての出発点は芸術系大学の桐朋学園芸術短期大学で演劇を学んだそうですね。
桐朋学園芸術短期大学(桐朋学園)に入学した僕のまわりには元子役や演劇部出身の人ばかりで演劇の“え”の字も知らず、演劇に関わるのが初めてという僕のような人は皆無でした。
桐朋学園では俳優を目指すだけでなく広い意味で舞台関係の仕事に就くためという人もいて、その中で僕は(演劇)教育者になりたかったんです。親戚を含め全員が教員という家庭で育ったので若い頃から自然と教育者になるものだと思っていました。そんな折に地元の新潟で教育演劇のミュージカルを観る機会があり、エンターテインメントを通して教育に携わる方法もあるのかと思い桐朋学園に入学、そこで学長である蜷川幸雄さんに出会いました。
その流れで卒業後は蜷川さんが主宰していた劇団「さいたまネクスト・シアター*」に入ったのですが、1年で辞めました。実際そのきっかけは蜷川さんの「お前は身体も効くし、どちらかと言えばダンスの方が向いているのでは」という言葉でした。僕も演劇を作るのは身体であると思ってダンスに興味があったので、「じゃあやってみますと」いうことで辞めました。実際今も継続している僕のダンスカンパニーCHAiroiPLIN(チャイロイプリン)は桐朋学園の学生時代に“お試し”で立ち上げたもので、そこでは既にダンスを始めていました。演劇専攻だったので、ミュージカルのためにダンスやバレエをやる人はいましたが、コンテンポラリーダンスやピナ・バウシュのような演劇とダンスの融合であるタンツテアター的な作品を作るという人はいなかったので、蜷川さんは“一体あいつは何をやっているのか”と思っていたのだと思います(笑)。とは言え、4年間大学に通って毎年俳優として4作品に出演していたので、一応俳優としての基礎は出来ていたと思います。
ダンスが面白いと思い始めた頃にセッションハウスの伊藤直子さん、ダンサーの山田うんさん、東野祥子さん、そして演劇もやられている矢内原美邦さんらと出会い、その後最終的に近藤良平さんに行き着いて、近藤さんからお誘いをいただいてコンドルズのメンバーになりました。類は友を呼ぶと言いますが、近藤さんとの出会いは運命的なものだったと思っています。
*演出家で彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督であった蜷川幸雄が主宰した18歳以上のメンバーで構成される若手演劇集団。
その運命的な出会いである「コンドルズ」の存在とはご自身にとってどんなものなのでしょうか。
自身のカンパニーCHAiroiPLIN以外でダンサーとして所属している唯一のカンパニーですので踊りを頑張れる唯一の場所だと思っています。
コンテンポラリーダンスカンパニーで発足メンバー(コンドルズは6人**)が抜けずに30年続いているカンパニーは他にないと思うので、カンパニーとしてとても尊敬しています。良い意味でも悪い意味でも、おそらく適当にやっていたから続いたのだと思います(笑)。多分それも大事なことで、作品作りの上で真剣になりすぎて辛くなってしまう人も多い中で、コンドルズにそれを乗り越える力があるのは多分あまり考えてないからなのかなと(笑)。人生の楽しみ方を知っている先輩方という意味でとても尊敬していますし、カンパニーを長く続けていくためのコミュニケーション作り、そして作品の作り方をコンドルズにいながら学んでいます。
**近藤良平、勝山康晴、石渕聡、鎌倉道彦、小林顕作、藤田善宏
先日、座・高円寺で上演したスズキさんが振付、構成、演出の桐朋学園の57期卒業公演「FRIEND」では役者・ダンサー一人一人の個性を活かした舞台がみごとに出来上がっていました。
作者の安部公房さんが桐朋学園の創設メンバーの1人で教師でもあったので、学校側からの依頼で安部公房さんの戯曲「友達」を題材とした「FRIEND」、CHAiroiPLINで何度か上演した作品を選びました。学生たちにはまず身体があるのだということ、その時の身体の状態、例えば二日酔いであったり、気分が落ち込んでいたりによって台詞の言い方は変わるのが常なので、台詞をどう言うかを頭で考えるのは役者の仕事ではないと伝えました。なので、まずは身体を動かしダンスを踊って、その身体から自然と発せられる言葉を探そうと皆で試みました。


おどる戯曲『FRIEND』2022年CHAiroiPLIN 公演より
彼らの演技の理想形の8割は僕の演出、構成、ダンスの振り付けで出来ていると思っています。一方で、ダンスの限界はそこまでだと思っていて、あとは踊った後のダンサーや役者がどのように立つか、どんな表情を見せるか、どんな言葉を発するのかというところに答えがあると思っています。そこをプラン(頭で考えて)で喋ってしまうと多分100点で終わってしまう。100点を目指すのなら、ただ言われた通りにすれば良いので2週間ぐらいの稽古で出来上がるでしょう。でも、そこで120点をとらないと人は感動しないはずです。何が起こるかわからない舞台上で相手の言葉をおもんばかって言葉を発する、そして行動する、その瞬間を捉えるためにはやはり日々の鍛錬が必要で、その結晶が舞台になるのだと思っています。なので、いかに日々の鍛錬が重要なのかということを学生たちに話しました。
これまで自分の作品作りに大きな影響を及ぼした出来事、人物はいますか。
出来事で言うと、一つは病気ですかね。病気の後遺症で僕の右手の筋力がとても弱いんです。それゆえダンスには向いていない。普通はダンスを選ばないと思うのですが、そのマイナス部分があるからこそ出来ることが何かあるのではないかと思っています。動かないのだとしたら、それに対して他の身体の部分はどう動こうとするのか、というところでダンスをやってみようと考えました。それが大きなきっかけではありました。
チャップリンが好きでCHAiroiPLINというカンパニー名にしたのですが、そのチャップリンが「「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」と言っていて、大いに賛同します。いわば僕の右手は悲劇ですが、それを転換して考えることは可能だと信じています。「FRIEND」も人が死んでしまう話なのですが、そこに何か希望はないかと考えましたし、去年上演したシェイクスピアのリア王を題材にした「RARE」*でもリアは悲劇の中の悲劇と言える可哀想な話だと思いますが、希望を読み取りたいと思いながら作品を作りました。

佐藤誓、小林らら

おどるシェイクスピア『RARE〜リア王〜』
蜷川さんにとにかく本を読めと言われ、最初の1週間でシェイクスピア戯曲37作品を読みました。戯曲を読んだこともなかったので、ト書きの“ト”って何?という感じでしたが、そこから始まって4年間で行間を読むことが大切だというところまで到達しました。その意味でも蜷川さんとの出会いはやはり大きかったです。
*2025年におどるシェイクスピアシリーズ最新作として、レストランのオーナーシェフであるリア王とその娘たちの話「RARE〜リア王〜」を上演。
スズキさんの場合、戯曲、小説、漫画や落語などの原作からオリジナルのダンス作品を作るわけですが、その工程はどんなものなのでしょうか。
簡単に言うと、解体して再構築するということでしょうか。行間についてもそうなのですが、一度分解しないと何が言いたいのかはわからないのです。シェイクスピアは話の中に乳母や庶民を登場させた初めての作家だと言われています。そこで作家は何が言いたかったのかと考えたときに、乳母や家来といった大衆に発言させた真意を探るためには戯曲を分解しないとわからない。パッと読んで大きなドラマを読み込んでいくだけではなく、その途中にあるちょっとした落とし物を拾っていくと違った答えが見えてきます。おそらく作者もそれが言いたかったのだろうといった些細なところを読み取りたいので、一度戯曲を解体します。そこで言葉も一文字ずつ解体します。「RARE」のリア王の話で言うと、レア肉、つまり肉の話しにして衣を纏っている(揚げ物の衣と王様の衣)王様の衣を剥がして裸になったらどうなるのかといった話にしようというところから始まり、料理人、レストラン、食べる、食べられるといった方向へ広げていきました。最終的には“リアは娘たちとみんな揃って食事がしたかっただけなのかもしれないね”といった作品になっていきました。そのように、違う角度から戯曲を読んで自分の作品にしていきます。

スズキ拓朗
おどる落語『らくだ』
そもそもシェイクスピア自身もそれまでにあった王族向けの行儀の良い話、追放された王様が最後に娘の愛で王家を取り戻し大円団で終わる話を良い意味で誤読して王族が喜ぶのではなく、一般大衆がもっと楽しめる話、王の悲劇ではあるけれど愛と希望がある話に仕上げたのではないかと思います。
SNSや携帯電話でコミュニケーションをとっている僕らが今「リア王」を上演するにあたって、僕がもう一度シェイクスピア戯曲をわざと誤読して解体する、勘違いを自分の中に起こす必要があるのだと思っています。そうすることで全くなかった新しいものとシェイクスピアが繋がります。僕はそれが時代を超えることだと考えているのです。シェイクスピアの戯曲の中にはもちろん「RARE」で繰り返し歌われる童謡「お食事お食事嬉しいな」といった歌詞はありませんが、その存在しない線を作るためにわざと雑味を作って誤読して、その先で“繋がった”となるのが創作の醍醐味で楽しいのです。
原作を解体して再構築し、さらに色々と“混ぜる”ことの意義はどこにあるのでしょうか。
混ぜることの目的としてはそれによって全く新しい何かが生まれるからですかね。クロスジャンルと言うと面倒臭いと思われるかもしれませんが、僕にとっては面倒臭い方が楽しいとなってくるのです。新劇関連の学校にいたので、例えばシェイクスピアも戯曲を最重要視した舞台をたくさん観て来ました。なので、戯曲がピラミッドのトップにある、答えが戯曲に書いてあるものをやるのは僕にはもう十分、という気持ちがあるのです。それをきちんとやる方はすでにたくさんいらっしゃいますし。
そうではなくて、先人が残した名作戯曲を僕らの感覚で楽しむためには、むしろ面倒臭くしなければと思っています。逆に言うと、古典の名作戯曲はそれほどに強固なものなのではないでしょうか。
強固であるがゆえに、あえてそこにダンスを入れています。桐朋学園の学生に話したように、どうやって台詞を言おうかと縛られて戯曲の奴隷になってしまうのではなく、まずは身体があるという考え方です。偉いのはまず生きている僕たちで、舞台で見せなくてはならないのはそこにいる人間であって戯曲の文字を起こすことではありません。戯曲はそれが書かれた時点でその仕事を終えているので、舞台上で俳優が光るためにはまず言葉を壊すことが必要。とは言え、それも戯曲の言葉が好きだからこそやっていることなのですが。
2025年11月にニューヨークでおどる小説『橋づくし〜The Seven Bridges〜』を上演したということですが、いかがでしたか。
反応が日本とは全然違っていたので、行ってみてよかったです。始まってすぐ僕がソロで踊るところから“ヒューヒュー”と大賑わいでしたから。日本よりも反応が良いので、海外へ進出しようと思う日本人アーティストがいるのもわかります。日本人にとっても難解な三島由紀夫の「橋づくし -The Seven Bridges- 」を題材にした作品だったのですが、かえって海外の人の方が三島の名前に反応していたように感じました。ニューヨークの人たちの方が勉強してから観にきているのかもと思いました。日本の文化をニューヨークで発表できたという意味でも良かったです。先ほどの混ぜる話につながりますが、わざわざお金をかけて言葉の通じない海外で上演をするのは面倒臭いことですが、新しく出会った文化を取り入れて混ぜ合わせて、そこからまた新しいものを作るというのは楽しいですよね。
今回KAATでは「橋づくし」に関してはニューヨークで上演したまま、英語で喋っている部分もそのままで上演します。あともう一本、金子みすゞさんの詩集「こだまでしょうか」を新作発表します。詩は言葉と言葉の間が多いので、詩とダンスは相性が良いなと思っています。今ラストシーンの仕上げに入っているところです。可愛らしい印象の詩ですが、僕は少し違った角度から見ていて、“失ったもの”をテーマに創作をしています。最後の一行「こだまでしょうか、いいえ、だれでも。」の“いいえ”に着眼してその否定の中にある希望を導き出したいと思っています。
今後やってみたいこと、挑戦したいことはありますか。
谷川俊太郎の詩「二十億光年の孤独」はやりたいと思っていて、温めているところです。これまで自分でオリジナルの戯曲を3本(「さいあい〜シェイクスピア・レシピ〜」「鳥獣戯画」「オジャマタクシと心の唄」)書いているのですが、「二十億光年の孤独」に関しては自分の人生のストーリーを入れて、僕が戯曲を書こうかなと思っています。
子供たち向けのワークショップも積極的に行っているスズキさんですが、これからの若者、子供たちにはどんな声をかけたいですか。
人が人と関わらないと挨拶は出来ないしその挨拶が大事だよ、と。今はネットやZoomを使って人と会わなくても仕事ができる、AIを使えばモノも作れてしまう時代ですが、人は生きている実感がないと生きていけないので、その意味で舞台はなくならないと思っています。劇場に足を運んで舞台を観たり、富士山に登って山頂でおにぎりを食べて美味しいと思うのと一緒で、身体を動かして、無駄な時間を費やして得るものを大事にしたほうが良い、と子供たちには言いたいです。

スズキ拓朗
「GOTTANI!!2026」 CHAiroiPLIN
4月4日(土)18:00- & 5日(日)14:00-
KAAT神奈川芸術劇場大ホール
「I want to hold your hand」 ハンドルズ
4/11(土)、 4/12(日) 14:00-
こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ
「ALL YOU NEED IS LOVE」 コンドルズ
6月12日(金)19:00-
6月13日(土)14:00-
6月14日(日)14:00-
彩の国さいたま芸術劇場大ホール
おどる絵本 『みえるとかみえないとか』
7月18日(土)、19日(日) 15:00-
彩の国さいたま芸術劇場小ホール
その後、9月6日(日)まで全国ツアーを展開
『ミノタウルスの皿」 新国立劇場
2026年12月 上演
新国立劇場小劇場
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