日本のミュージカルを追い求め半世紀、ミュージカル劇団イッツフォーリーズ

(c) Nobuko Tanaka

事務所でインタビューに応じてくれた𡈽屋友紀子さん

かつて「日本人が日本語でミュージカル?」と冷笑される時代があったことが信じ難いほど、演劇界の中心で新しい作品が創作・上演され、日々エンタメニュースで話題を提供している“ミュージカル”。

その後21世紀に入り、海外制作作品の日本人キャストによる上演、例えば劇団四季のロングラン興行や東宝の海外の大作上演の再演定着化、さらには井上芳雄、山崎育三郎、浦井健治らミュージカルスターの登場によりミュージカルは年々その勢力を拡大し続け、観客動員を増やしてきた。そこにきて、日本におけるミュージカル全盛を決定づけたのが日本オリジナルのミュージカル日本の漫画・アニメ・ゲームを原作とする「2.5次元ミュージカル」の誕生とその発展だ。

そんな“日本のミュージカル”を1977年から作り続けている集団がある。作曲家故いずみたく(1930-1992)創作の楽曲をミューカル上演している劇団「いずみたくフォーリーズ(いずみたくの愚か者たち)」だ。そんな日本人による日本語のオリジナルミュージカルを求め続けている彼らが浅草九劇で2月に発表した新作はアメリカ人レジナルド・ローズによる法廷劇「十二人の怒れる男」。1954年にテレビドラマとして制作された傑作脚本は1957年の映画でヘンリー・フォンダが主役を務め大ヒット。その後も世界各地で舞台化され、時代を超えて人の本質について問い続けている。そんな傑作脚本に触発されたいずみたくが音楽大学の公演のために作曲をした譜面が事務所の倉庫から見つかったことから端を発した今回の新作上演について、そして60年以上にわたり日本のミュージカルにこだわり続けてきた「イッツフォーリーズ(1994年に改名)」の歴史について、故いずみたくの姪で、劇団「イッツフォーリーズ」、いずみたくの楽曲管理、舞台制作を行なっている「オールスタッフ」の代表である𡈽屋友紀子さんに聞いた。

(c) Nobuko Tanaka

𡈽屋友紀子

撮影/安念勉

いずみたく

撮影/金井花蓮

「十二人の怒れる男」

まずは「オールスタッフ」と「イッツフォーリーズ」、それぞれの役割について教えて下さい。

故いずみたくが音楽活動をスタートした時に作ったのがオールスタッフの前身である1962年発足の「有限会社いずみたくミュージックオフィス」で、株式会社にした際に現在の「オールスタッフ」と社名を変更しました。いずみは1960年ごろから作曲だけでなくミュージカル制作を始めたのですが、当時は歌って踊れるミュージカル俳優が少なかったのでミュージカル俳優を育てる目的で「いずみミュージックアカデミー」という学校を立ち上げ、その卒業生を中心に1977年に発足したのが「(いずみたく)フォーリーズ」というミュージカル劇団です。いずみが日本人の情緒感を重要視した日本のオリジナルミュージカルを作りたいと思って始めた劇団なので、今でもそれを大事にしながら作品作りをしています。今回は海外の戯曲「十二人の怒れる男」をミュージカルにしましたが、基本的には日本の原作ものを上演していく方針に変わりはありません。

劇団そして音楽、と全ての中心にいたいずみたくさんが1992年に逝去された後はどのような状況だったのでしょうか。

劇団はほぼ解散に近い状況となりました。半分以上の団員が辞めていきました。既に上演が決まっていた「おれたちは天使じゃない」「それいけ!アンパンマン〜アンパンマンと勇気の花〜」「見はてぬ夢」を残った人たちと元劇団員などを集めて上演しましたが、新しい全国展開の企画は数年間出来ませんでした。

撮影/岩田えり

「洪水の前」

叔父様(いずみたく)が一生涯、力を注いだミュージカル制作、エンタメビジネスに関して、ご自身はどのように思っていたのでしょうか。後を継ぐという思いだったのでしょうか。

ここで働くつもりは全くありませんでした。お恥ずかしい話、国語と音楽の成績が一番悪くて(笑)、そんな私が文化・芸術の世界に関わることになるとは全く思っていませんでした。

大学卒業のタイミングで、元オールスタッフ専務の石岡三郎に“人手が足りないので手伝ってくれないか”と言われたのですが、そう言われても、、、という感じでした。一方で、大学時代は体育会系のスキー部に所属していて体力、メンタル面には自信があったので、やれるかもしれないなとは思いましたけど。とにかく、小さい時から客席でステージを観ていたので、いずみたくの作品に関してはよく知っていたというだけでした。それまでそれ以外の演劇なんて全く観てこなかったので、入社後すぐに始めたことは手当たり次第に舞台作品を観ることでした。1年間の2/3ぐらいは全国へ巡演に出ていたのですが、残りの1/3の期間で新劇からストレートプレイ、コンサートと、とにかくなんでも観られるものは観るようにしました。今でも年間90本は観劇しております。

と言うのも、1982年に財津一郎さん主演で上演した「洪水の前」というミュージカルを1996年に新キャストで再演をした際、俳優は歌も演技、ダンスも上手だったのにも関わらず、私は全体的にインパクトに欠けると感じたのですが、演出家に“なぜそう感じたのか”を説明することが出来なかったからです。いつの日か演出家と対等に会話ができるぐらい演劇、舞台についての知識を身につけないとこの仕事はできないと強く感じ、そのためにできる限り舞台を観るようにしました。

この仕事に就いてから数年は休むことなく、巡演をしながら毎日出会う新しい事、その全てに没頭した毎日でした。

撮影/日高仁

「おれたちは天使じゃない

その後、代表取締役に就任して目指したことは何ですか。

1993年に入社して、その後2019年に代表取締役になりました。モノ作り、作品作り、つまり現場が好きで経営にあまり前向きで無かった私が社長に就任してからさらに会社全体で私を持ち上げてくれました。その昔、私が初めてミュージカル「MIRACLE」という大きな規模の公演をプロデュースしたのが、2000年。その際に多額の借金を背負った時も、実際やらないとわからないからと私に任せてくれた当時の会社の上司には本当に感謝しています。そこで学んだこと、主にお金の扱い方ですが、それはとても大きかったです。限られた予算の中で何を優先するのか、自分の芸術的希望は予算と見合うのかを冷静に判断することを学びました。また、ツアー公演を予定していた演目で、新たに作った大道具が組み立ててはその日にバラさなければならない巡演に適したものであるのかを見誤って大変な目にあったこともあります。それらのことを日々まわりのスタッフから学んでいく中で、美術担当やスタッフと対等な話し合いができるようになりました。予算の関係で(美術)プランを変えたいと思ったら、それを相手に納得してもらう説明が出来るようでなくてはなりませんので。30年間かけてさまざまなことを教えてくれたスタッフには本当に感謝しています。

いずみたくが亡くなり劇団員の多くが辞めた後、劇団を復興再生しなければならなかったので毎年劇団員を募集しました。なので、今の「イッツフォーリーズ」は平均年齢層が若い劇団で、今年も10人くらい新人が入ってきます。その若い人たちをどうやって育てていくのかが今の課題の一つです。

あと、通常他の劇団では劇作家や演出家、俳優が中心となって彼らがやりたいことを実現するために雇われるのが制作スタッフなのですが、いずみたくは文芸スタッフでありプロデューサーでもあって、そのいずみのミュージカルを上演するために演者を集めた団体だったので「イッツフォーリーズ」では今でも母体となるオールスタッフの制作部が企画を立てることが多い劇団です。

昨今、入団してくる若者たちの目標は多様で、2.5次元を目指す人もいれば、憧れが劇団四季の舞台という人もいてさまざまです。私はそれもありだと思っています。

ミュージカル界の今の状況を教えてもらえますか。

まず、現状の演劇界についてお話すると、学校公演が減ってきています。文化庁予算の中で少しだけ学校での巡回公演に当てていますが、それでも毎年演劇を観ている小中学生は少ないと思います。静岡のSPACや岐阜県可児市の可児市文化創造センターのように地域でネットワークを構築して地方予算を使って地域の人々に文化芸術を提供しているところもありますが、地方公共劇場はごく僅かです。そのような取り組みを全国規模で広げていかないと日本の演劇の観客は増えていかないと思います。イッツフォーリーズでは、大きなこだわりとして子供たちへ向けたファミリーミュージカルで全国を巡回するという実績があります。私の演劇原体験にも重なるのですが、子供たちに本物のミュージカルを見せたいという思いが強くあります。

男性のミュージカル俳優は全体で1割程度なので、ステージ数が増えている今、男優は引っ張りだこで、仕事があります。フォーリーズでも50人いる俳優のうち1割くらいが男性ですが暇な人はいませんね。反面、タイミング的に劇団公演に出演できる男性が少なくなってしまっているので、他の現場でのお仕事を体験するのは良いことなのですが悩ましいところではあります。

「十二人の怒れる男」では客演の方々のキャスティングがうまくはまっていました。

今回客演のほとんどが劇団に所属されている方々で、そのおかげなのか一致団結したチームが出来ていました。イッツフォーリーズのOBである駒田一さん(1990年まで所属)は「実家に帰ってきたみたい」とおっしゃってくださって、今回も役者陣の中心となってコミュニケーションをとってくださいました。とてもありがたかったです。

撮影/金井花蓮
撮影/金井花蓮

「十二人の怒れる男」

演出の五戸真理枝(「文学座」所属)さんがレジナルド・ローズの戯曲の翻訳、脚本、作詞も手がけてくださったのですが、とても読み易い脚本だなと思いました。さらに言うと、ストレートプレイの「十二人の怒れる男」をミュージカル化する条件として、勝手に台詞にない歌詞をつけることが許されなかったので、五戸さんが原作を訳した後、歌う部分の台詞を青字で示してくれました。なので、基本的に台詞をそのまま歌っています。ミュージカル創作の場合、曲が先、もしくは歌詞が先と両方の場合があるのですが、今回は作曲の田中和音さんが「まず先に好きに歌詞(セリフ)を書いてください」と言うことで、そのやり方にしました。いずみたくが遺した20曲ぐらいの譜面があってそれが見つかったことで今回の上演が実現したのですが、その当時の記録が何もないので、テンポとかアレンジがわからない。そんな中、田中さんが使う曲を選んで編曲し、さらに新たな曲も足していただきました。

12月中旬に稽古が始まったのですが、12月に入っても曲が仕上がっていませんでした。全部で36曲あるのですが、歌稽古の開始段階で3〜4曲が出来ているという状況でした。その後月末までに全曲が仕上がってきて、一ヶ月で36曲を作ってもらいました。凄いですよね。

初め、私はファンタジーの世界の裁判劇、それも男女混合の陪審員たちでと考えていたのですが、原作通り1954年のニューヨークで男性の陪審員という設定を守らなければ上演権はおりませんと言われてしまい、改めて打ち合わせしながら進めていったのですが、脚本が出来上がって音が入った時にこれは面白くなりそうだと確信しました。

イッツフォーリーズの今後の予定を教えて下さい。

今年は浅田次郎原作の再演が2本、2020年初演の「獅子吼」と2023年初演の「ピエタ」を上演します。力を注いで創作した作品の再演という機会をいただけるのは本当に嬉しいことです。

また、新作の打ち合わせを3本、同時進行で進めているのですが、それぞれ演出家は違います。新しいコラボレーターとの出会いは常に求めています。その場合、やはり一緒に作っていくので相性が合いそうな方、例えば五戸さんもその観点から10年以上前からずっと声をかけていて今回念願叶って創作が実現しました。私、有言実行をモットーにしているので、まずは一緒に作品を作りたい方に「いつか一緒にやりたいです」と声がけをしてしまうんです。願いとともにそれを言い続けていれば、いつの日か実現できると信じています。

その結果として3本の企画が進行しているのですが、共通するテーマとしては今の世の中に対する反骨を示すということです。

その3本の中の一つはずっと作りたいと思ってきた“いずみたく物語”です。いずみたくの楽曲をモチーフとして使うことはあっても、いわゆるカタログミュージカルではない、オリジナルのミュージカルをと考えているところです。

撮影/安念勉

いずみたく

「イッツフォーリーズ」「オールスタッフ」について

https://www.allstaff.co.jp

イッツフォーリーズ新人公演 「ミュージカル ファーブル昆虫記」

3月28日(土)14:00-、18:00-

29日(日)12:00-、16:00-

会場:浅草九劇(東京都台東区浅草2丁目16−2 浅草九倶楽部 2F )