言葉を超えたコミュニケーション『Love Beyond (Act of Remembrance)』

村上春樹の短編小説「品川猿」「品川猿の告白」をもとにKAAT神奈川芸術劇場とスコットランドの劇団ヴァニシング・ポイントが日英国際共同制作という形で舞台化し2024年にKAATで初演を迎え、その後グラスゴーとダンディーでも上演された『品川猿の告白(Confessions of a Shinagawa Monkey)』。

日英の俳優(4人ずつ)の混合というだけでなく、主人公である猿の尻尾を人形遣いが操りながら生身の俳優が猿を演じ、さらに日英の言語が混ざりながら話されるという、多様な混合が唯一無二の舞台を生み出し、観客の目を釘付けにした。

そんなアイディア満載の仕掛けが本国のみならず、世界中で話題をさらっているヴァニシング・ポイントの2024年最優秀スコットランド作品賞受賞作品『Love Beyond (Act of Remembrance)』がKAATにやってくる。

Photo by Tommy Ga-Ken-Wan

(あらすじ)

耳の聞こえないハリーは、ケアホームの一室で暮らし始めます。看護師メイは懸命に寄り添いますが、手話が分からないまま言葉を重ね、二人はすれ違ってばかり。やがて、部屋で過ごすハリーの心のなかに、亡き妻エリーズとの時間が幾度もよみがえります。レストランでの初めてのデート、海辺で過ごしたひととき、手話を通して確かめ合った愛。しかし、認知症の進行とともに記憶はほころび、過去と現在の境界が少しずつ揺らぐなか、メイがやっと覚えた手話さえも、ハリーは忘れ始めるのです。そして、ある“名前”と出来事をきっかけに、夫婦の人生に刻まれた大きな喪失が輪郭を帯び始めます……。

主人公の聴力を失い認知症が進むハリー役を自身も聾者であるラメシュ・メイヤッパンが演じ、演出をヴァニシング・ポイントの創設者であり芸術監督、『品川猿の告白』の演出を手がけたマシュー・レントンが担う。

Photo by Tommy Ga-Ken-Wan

ハリーを演じるラメシュ・メイヤッパン

レントンは今回のKAATでの上演にあたり日本の観客へ向けて「本作には私の興味が詰め込まれている。それは言葉やコミュニケーションの在り方や、発話される言葉だけがコミュニケーションの方法だろうかという思い。そうした考えに向き合いながら、美しい視覚要素を使い、掘り下げ、表現した」というメッセージを出している。

Photo by Viola-Damiani

マシュー・レントン( Matthew Lenton)

その言葉通り、今作は英国手話(BSL)、視覚言語、英語の口話での台詞を融合させて上演という斬新なスタイルで行われ、さらには、勇敢にも(日本語)字幕なしでの上演が敢行されるということだ。

アーティストサイドからはその趣旨について、

「本作に字幕が用いられていないのは、ろう者と聴者の双方にとって等しい体験を生み出すための芸術的な選択です。互いに完全には理解し合えないままコミュニケーションを試みる登場人物たちに共感し、つながることを可能にします。観客はそれぞれ自身の言語や文化的背景に基づいて受け取り方を形成するため、物語の理解には多様な解釈が生まれるでしょう。」

とのコメントが届いている。

おそらく多くの観客にとって新しい観劇体験となるであろう『Love Beyond (Act of Remembrance)』を実際に観る前に、すでに観劇を果たした人々、メイヤッパンの舞台を観たことのある人々から、観劇のヒントとなるような応援メッセージが届いているので紹介しておこう。

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小野寺修二(カンパニーデラシネラ) より

以前、フランスのランスで開催されたろう者が中心となった芸術祭Clin D’oeil Festivalで、今作の作・主演ラメシュさんのソロ作品を観たことがあります。身体から出てくる情報量の多さと表現の真摯さ豊かさにとても驚きました。今作も言語を超えていく彼の身体に釘付けでした。

シームレスにつながる空間、時間、音楽。記憶や幻想の世界にいつのまにか連れ込まれる感覚は、不安を伴いながらも惹きつけられるもので、日常にひそむ虚像、境界線、隙間が自分から遠くないことを感じます。テキストの少なさやセットのシンプルさが想像を喚起し、個人の話であるようで普遍的な「私」の話だと実感しました。

酒井冴輝(POCチャンネル・長男/一般社団法人POC・代表理事/デフフェス実行委員会・委員長) より

『Love Beyond』を観て、記憶を表現する演出方法がとても印象的で、最初から強く惹き込まれました。表現方法が非常に多彩で、役者の動きや手話一つひとつに自然とのめり込んでいく感覚があり、まるで夢の中に入り込んだような不思議な時間でした。特に、ストーリーの中で相手に「伝えたいのに伝わらない」というもどかしさの表現がリアルで、相手にどう伝えるかを模索する姿にも深く共感しました。作品の世界に入り込むことで、音がなくても人の感情や想いはここまで心に響くのだと強く感じました。聞こえない人も聞こえる人も是非一緒に観ていただきたい作品です。

Sasa_Marie(ろう者、詩人、研究者)より

これこそが、目で生きる人が主体となって作られた舞台だ。

わたしたちは、誰かの見ている、その目の世界の中に吸い込まれる。目で見る世界では、記憶もまた目でたどられる。

時間の中に流れていく、形をとどめない言葉の重なりを引き受ける生でもある。

生きてきた道のりが違えば、同じものは見えない。

最後まで突きつける、その鮮やかさ。

孤独である自分のことや、意味というものさえ忘れてしまったとき、人は何を手がかりに、他者と共にあろうとするのか。

めざめ、まどい。

ながれ、ゆらぎ。

あわい、にじむ。

いつか誰にでも忍び寄る問いが、そっと気配を残す。

そのまなざしが、わたしたちの目の内側に、静かに深く刻まれていく。

土田英生(劇作家・演出家、MONO代表)より

この作品の中ではろう者の方とのコミュニケーションがベースになっているけれど、高校生の時に体験したオーストラリアでのホームステイの記憶が当時の感覚を伴いながら鮮明に蘇ってきた。相手がなにを言っているのか理解できず、自分の言いたいことも伝えられない。気持ちだけが先走るあの心地。今回は字幕なしの上演と聞いているけれど、逆にそれが功を奏するのではないかと想像する。コミュニケーションにおけるもどかしさを追体験できるのではないか。内容にも深い共感を覚えた。自分の年齢にも関係してくるのかもしれないが、生きてきた中での悔恨や、足取りに対する郷愁がダイレクトに伝わってくる。そして、ネタバレを避けるのではっきりとは書けないが、ある道具の使い方がとても効果的で、主人公が身体的に置かれている状況と、脳内で見えている景色の対比を絶妙に表現していた。

ぜひ多くの方に見て欲しい作品です。

那須凜(俳優)より

今作は、2024年にKAATで、昨年にスコットランドで上演された『品川猿の告白 Confessions of a Shinagawa Monkey』でご一緒し、大変感銘をうけたマシュー・レントンが演出を手がけています。ワールドツアーを観た英国の仲間達が大絶賛していた作品なので、日本に上陸して生で拝見できることが心から楽しみです。『Love Beyond』では、人々が司る言語の多様性を思い出させてくれます。英国手話、口語、そして視覚的言語です。その全ての言語を、我々日本人で完璧に理解できる人は少ないでしょう。しかしそれでいいのです、それがいいのです。マシューが仕掛ける様々なマジカルな演出たちが、人々の境界線のように思える言語を飛び越えて、愛というものを多くの言葉で語りかけてくれます。表現を愛する日本の皆さんの多くに、この作品が届くことを祈っています!

藤田桃子(カンパニーデラシネラ) より

ある時、友人でろう者の映画作家牧原依里さんが「私は目が見えなくなっても、たぶん怖くない。なぜなら、まだ知らない未知の世界がそこにあるから」と言いました。私はそのことを、折に触れ反芻します。自分の想像や理解力を自分はおおよそ過信しがちで、そしてそれは修正の機会がなく、私は共感力を持っていると勘違いしている。何でも理解できると思うのは、きっと何も理解できていないということだ。私が出来ることは、牧原さんの言葉を反芻することだけ。

ろう者であり演劇クリエイターのラメシュ・メイヤッパンさん作・主演『Love Beyond(Act of Remembrance)』。手話を使う主人公、そして認知症を患っていることが徐々に分かってきます。何という性質の設定か、とまずは思いましたが、作者ラメシュさんは追及緩めず、他者とのコミュニケーション不全の上に物語は進行します。そして主人公は現実と自身の記憶を行き来する。

溶けた二つの世界はあまりにもゆるやかに繋がり取り込まれ、怒りや哀しさといったネガティブな感情は突如発作的に発動し、そのことこそがきっと作品のテーマだと思うのですが、あまりにも美しく誘われる非現実・記憶の入り口に、見誤りそうになります。理解できたと思わないことを旨としたい、とここでも思うのです。

牧原依里(映画作家、演出家、手話のまち東京国際ろう芸術祭ディレクター) より

2019 年、フランスの国際ろう芸術祭「クラン・ドゥイユ(Clin d’Oei)」にて、『Off Kilter』で彼の演技を初めて観た。その類まれな身体表現と空間の使い方に、一瞬で魅了された。彼の存在は世界中の人々に知られるべきだと思い、手話のまち東京国際ろう芸術祭への招聘を試みたが、タイミングが合わず叶わなかった。

それがまさか今回、KAAT と高知県立美術館が招聘するとは!悔しさを感じながらも、こうして生の舞台を観られることを素直に喜んでいる。世界がその才能を求めている、ということだろう。

今回の新作はまだ観ていない。どんな世界を見せてくれるのか、私自身も心から楽しみにしている。ろう者アーティスト、ラメシュ・メイヤッパン—その才能をこの舞台を通して、しっかりと目に焼き付けてほしい。

森山開次(舞踊家)より

この舞台を観て、世界と自分自身が遥か違う次元に乖離するような感覚を覚えた。鏡に映る私でさえ私とは違うものに感じる圧倒的な孤独。

シンプルでありながら、緻密な演出。デフアクターの表現力の高さ。記憶の断片を拾い集め、握り締め、鏡に迷い込むように、一人の男の途方もない孤独の旅路を共にしたようだった。人生には孤独がある。その孤独の姿に胸を掻き乱される。記憶を鏡に映し、ズレを少しずつ積み上げるように舞台は進む。そして、最後には、透き通った鏡の向こうに映る俳優の姿に涙する私がいた。心を揺さぶられる作品だった。多くの人に、体感してもらいたい。

『Love Beyond(Act of Remembrance)』

会場|KAAT神奈川芸術劇場<大スタジオ>

日時|2026年6月12日(金)19:30

6月13日(土)13:00(託児サービスあり)、18:00(アフタートークあり⋆)

6月14日(日)14:30

⋆トーク登壇:ラメシュ・メイヤッパン、長塚圭史(KAAT神奈川芸術劇場芸術監督)※手話通訳、日英通訳

鑑賞サポート:全公演、オーラキャストにより難聴支援あり