
10月5日に初台の新国立劇場で上村聡史芸術監督就任後の第一作舞台作品「巨匠とマルガリータ」の制作発表会が行われた。
キーウ生まれのロシア人小説家、劇作家ミハイル・ブルガーコフ(1891~1940)の長編小説で「原稿は燃えない —真に優れた芸術や思想は権力側の弾圧により焚書となっても、消えることはなく後世に残る」の一節で有名な本作。執筆当時はソ連当局から体制批判とみなされ発禁処分となり、執筆から26年後、作者の死後にようやく出版された「巨匠とマルガリータ」は20世紀を代表するロシア文学として世界中で映像化、舞台化されている。
近年では英国を代表する演出家、日本でもお馴染みのサイモン・マクバーニー率いる「コンプリシテ」が2021年にロンドン、バービカン劇場で、また京都を拠点とし、世界で活躍する三浦基率いる劇団「地点」が2025年に、それぞれの演出術を活かした作風で上演し好評を博している。
そこで今回の舞台はと言うと、ベストセラー小説を演劇上演するために英国人劇作家・演出家・翻訳家のエドワード・ケンプが翻案(原作小説で主人公の小説家を劇作家に変えている)した戯曲を採用。現代英国演劇が専門の小田島創志がそのケンプ版の翻訳を担っている。
制作発表会には演出家(上村)、翻訳家(小田島)、さらに驚くことに、主要キャストのみならずキャストの18名全員がひな壇に顔を揃えてくれた。そこでは「奇想小説」と呼ばれ、時に難解とも評される「巨匠とマルガリータ」についての熱いトークが展開された。

「巨匠とマルガリータ」制作発表会に登壇した18名のキャストと演出家、翻訳家
まず、演出の上村聡史が口火をきり「自分と他者の間に生まれる想像力、信じる力を描いている作品です」と作品の全体像を説明。
翻訳を担当した小田島創志から「ブルガーコフの原作が非常に面白いのは間違いないのですが、ケンプ版台本は若干順序を入れ替えたりしながら演劇にすることの意味をとても感じられるような構成になっています。とても詩的な台詞が多く、さらに笑える台詞もあり、コミカルな要素がふんだんに盛り込まれていてワクワクする台本となっています」と戯曲の面白さを保証する力強いコメントが続いた。

新国立劇場芸術監督 上村聡史
主役の「巨匠」を演じる成河が「驚きの舞台美術、さらには練られた演出によって作られた中劇場の空間を存分に感じていただきたいです」と演劇ならではの視覚効果に一層期待を抱かせると、その巨匠に相対する「悪魔ヴォランド」を演じる篠井英介が「手強い作品ですが、観客の皆様の想像力をフルに使っていただけたらとても面白く観ていただけると思います」と観客への思惑を語った。


成河(上)、篠井英介
<ものがたり>
舞台は1930年代のモスクワ。文学界は官僚主義と検閲にがんじがらめ。そんな中、劇作家である、通称「巨匠」は、キリストの処刑を決めたローマ総督・ピラトを題材にした野心的な作品を書き上げる。しかし、その作品は体制に受け入れられず、激しい批判にさらされ、絶望の淵に突き落とされた結果、彼は自分の原稿を焼き払い、精神病院へと姿を消してしまう。一方、巨匠には愛する女性、マルガリータがいた。彼女は美しく聡明で、巨匠の才能を誰よりも信じていた。巨匠がいなくなり、絶望的な日々を送るマルガリータの前に、突如として奇妙な外国人ヴォランドとその取り巻きたちが現れる。ヴォランドはモスクワの街で様々な騒動を引き起こしながら、市民たちの本性を試そうとしていた。マルガリータは、唯一の願い”愛する巨匠と再び会うこと”を叶えてもらうためにヴォランドの取引に応じる。ヴォランドの目的、巨匠の運命、そしてマルガリータの愛の行方は一体どうなるのか?モスクワの日常と幻想的な世界が交錯する中で、人間の善と悪、愛と信仰、そして芸術の真価を深く問いかける壮大な物語。
続けて行われた質疑応答で「最初に戯曲を読んだ時の感想」を聞かれ、
成河:原作小説が本当にうまく翻案されているなと思いました。そしてその見事なエンタメ色にびっくりしました。鋭いアンチテーゼや社会風刺の後に加速しながら突き抜けていく荒唐無稽さが心地良くて、作品のエンタメ性に驚くと同時にワクワクしました。
花乃まりあ(巨匠の恋人マルガリータ):難しい作品なのかなと思いながら読み始めたのですが、本当に面白くてとまらなくなりました。マルガリータ自身の物語として見ると、とてもシンプルなんです。愛する人を愛し、信じたい人を信じる、言葉で説明できないもの、目に見えないものを信じ、人と人との関係から突き動かされていくところに女性として勇気をもらえる作品だと思いました。

花乃まりあ
松島庄汰(若き作家イワン):100年前も何千年前も人間の弱さというのは変わっていないのだなと思いましたし、それが気づきでもありました。

松島庄汰
「観劇前に予習は必要ですか?知っておくべきことは?」との質問には、
小田島:体感10分ぐらいでは、と思うほどストーリー展開が早くて、そこに面白さが詰まった舞台になると思うので、特別事前に予習をすることはないと思います。また新国立劇場のホームページにブルガーコフの生涯について、そして上村芸術監督と私、そして千葉大学大学院教授で20世紀ロシア文学ご専門の大森雅子教授と鼎談している記事なども掲載されていますので、そちらを参照いただければ良いかなと思います。
成河:強いて言えば、そもそものところで社会主義とは何か、というところを押さえておけば手がかりとなるかなと思います。
社会主義、つまり反宗教主義であり、人間の神秘性や精神性とかを排除していく社会主義のアンチテーゼということで唐突な一目惚れであったり、悪魔が出現したりするのだということをおさえておけば大丈夫です。
上村:これといった準備をしなくても劇場で観て楽しめるように作っていますのでご心配なく。僕も学生時代に小説を読んだ時に、話の展開が目まぐるしいぐらいに早くて、わかっていない部分もあったのですが、その後ドイツの演出家フランク・カストロフ演出の舞台を観て、こういう視点でも舞台が作れるのだと思い、そこからいろいろな僕自身の想像力が膨らんでいったという経緯があります。皆様にとっても一生の作品になると嬉しいなと思っています。わかる、わからないはあると思いますが、どうぞ構えずに劇場に足をお運びいただければと思っています。
「今、日本でブルガーコフの作品を上演する意義について」
上村:ブルガーコフがロシア帝国支配下のウクライナで生まれ、ロシア語で作品を書いているという背景があり、そういった意味で今上演をするということもありますが、現状の政治意識のみだけに集中して作ってしまうのも作品の本質と離れてしまうと考えています。俳優のみなさんにはいろいろな、市民、民衆を演じてもらうのですが、その民衆の演出が大事だなと思っています。大鷹さんが演じるピラト一人が権力を行使するのではなく、そこに民衆のポピュリズムが付随してその権力をさまざまな方向にも持っていかせるという恐れがあり、その部分に今やる意味があるのではと思っています
成河:今の僕たちの問題は学ぶことと遊ぶことが分かれてしまっていることだと思っていて、学ぶ、遊ぶという場所が劇場になると本当にいいなと思っています。この作品の意義で言えば、社会主義を体感したブルガーコフが、右でも左でもない第三の道を書いているということだと思います。そこで、今の僕たちの問題は自分たちがどこにいるかわからないことだと思うんです。自分たちの現在地を確認するために非常に大切な作業―舞台であるという気はします。社会主義がどのようにして入っていって、どのような揺り戻しを芸術家が夢想したのかということに僕は興味を持っています。その学びを遊ぶことができれば良い演劇かなと思います。

最後にあらためて作品の魅力について問われ、上村は、
上村:展開が目まぐるしくて、その疾走感がすごい。前半の稽古を終わらせたのですが、前半が大きく二つに分けられる中、一つ目のブロックがラブロマンスかなと思ったら二つ目のブロックではもう悪魔たちがものすごくやらかしている。ブルガーコフの一つの視点として、白黒の二択ではなくその間にあるものの面白さ、生きていくことの豊かさがあるのではないでしょうか。普段僕たちは早い判断、決断を、と一面的なところでジャッジしてしまうこともありますが、そうではないところへ生活、人生を導いていけたらなと思っています。舞台芸術を通して、そういう豊かさを提案していければと思っているので、僕はブルガーコフのその視点こそが今この作品を上演することの一つのポイントだと思います。
と結び、この機会に奇想天外な、それでいて真の人間性を問うた「巨匠とマルガリータ」を上演し、多くのお客様とその壮大な劇世界を共有することで日常に新しい風を吹かせることを願っていると語った。

「巨匠とマルガリータ」
日程:2026年11月7日(土)〜23日(月・祝)
会場:新国立劇場 中劇場PLAYHOUSE
詳細:https://www.nntt.jac.go.jp/play/the-master-and-margarita/
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この日、演劇が多くの人々に届くため、上村体制のもと、新国立劇場の演劇部門では「シアターデイ」「シアターU39」の始動、そして「U25の価格改定」が明かされた。
「今回新国立劇場の芸術監督に就任し、あらためて、この先50年、100年後の日本の演劇はどうなっているのだろうと考えるようになりました。人口減少の傾向にある日本において演劇の将来はどうなるのだろうと不安を感じます。我々が先輩から受け継いできた演劇に対する熱量、技や芸を次世代に渡していきたいと思う思いから、少しでも若者が劇場に足を運びやすい価格帯でという思いから20歳以下の方は無料で演劇を体験できる「シアターデイ」を始動することにしました。
またもとよりオペラ部門では販売されていた「U39」も演劇部門でスタートし、39歳以下のお客様にも割引のあるチケットを販売することになりました。
25歳以下のお客様を対象とした「U25」はこれまでよりさらに割引率を上げ、よりお得にご覧いただけるよう価格改定をいたしました。」
“劇場に行く”という文化が脈々と続くことで、送り手も受け手も想像力が養われ、人が集うことの価値、すなわち劇場文化が発展していきます。
(芸術監督:上村聡史)
