1週間ほどの公演期間が普通である日本の演劇状況で、幕が開けた後に観た人たちの口コミで評判が広がり客足が伸びていったというのは珍しいケースと言って良いのだろう。そんな嬉しい結果を残したのが日本劇団協議会の新進演劇人育成公演、演出家部門で採択された林勇輔演出の「STAGS and HENS」だ。
1970年代の英国北部の街で悶々とした日々を過ごす若者たちを描いた「STAGS and HENS」は英国ウェストエンドで24年間のロングランを記録したミュージカル「ブラッド・ブラザーズ」の作者であるウィリー・ラッセルによる戯曲で1978年に英国リバプールのエブリマン・シアターで世界初演された。今回、演出の林は小劇場Space早稲田の空間に音楽とお酒を求めて若者が集まるリバプールのパブの地下の落書きだらけの男子トイレと女子トイレを出現させ(美術:HAL9000)、それぞれに将来へと突き抜ける何かを模索している彼らに起きた一夜の人生変革をスピード感溢れる演出でスリリングに描ききった。

上演前に劇場で準備をする林勇輔
そんな舞台をみせてくれた林に、今回の上演までの道のり、そして彼が演出に込めた思い、海外戯曲を身近に感じてもらうように役者が話す独特な方言の仕掛けについて聞いた。
あらすじ (日本劇団協議会 HPの公演紹介より)
1977年、リバプールの小さな町、リンダ(竹本優希)とデイヴ(小林由尚)の結婚式前夜。新郎新婦が、それぞれ友人達と男女に分かれ、独身最後の夜をハメを外して楽しむスタッグナイトとヘンナイトが繰り広げられている。新郎新婦が鉢合わせると不幸になるというジンクスにも拘らず、同じクラブに集ってしまう彼ら。そして今夜ここではロンドンで人気のバンドがライブをするという。それはリンダの元彼ピーター(辻京太)のバンドだった。再会を果たす二人―――ノリで決めた地元の男友達との結婚を翌日に控えたリンダは、この夜、ある行動を起こすのだった。
林さんの経歴について教えてもらえますか。 演劇を志したきっかけは?
語学系の大学に通っていた時に、たまたま幼馴染の女の子が夏休みを利用してロンドンで語学研修を受けると言い出したので、その案に乗っかって僕もロンドンへ行きました。
当時はロンドンが演劇の盛んなところだということも知らずに行ったのですが、ある日その友人が「ロンドンと言えばミュージカルだから、今晩ミュージカルを観に行く」と言い出したので、僕も「じゃあ一緒に行くわ」と観に行ったんです。
自分でチケットを買って、生まれて初めて劇場に足を運び観たのが「キャッツ」でした。これは劇場という場所で繰り広げられる魔法だ!とショックを受けたと同時に、劇場へ行くという行為自体が刺激的でとても面白いこと、と大きな衝撃を受けたのです。それで自分は絶対に劇場で魔法を作る人になるという思いで帰国しました。
帰国後にオーディション雑誌をめくっていたら、「トーマの心臓」舞台化決定キャスト募集の文字を見つけて、Studio Life*のオーディション受けました。そのオーディションに合格しStudio Lifeに入団し、今に至るというわけです。
*1985年に河内喜一朗と倉田淳によって創設された劇団。1988年以降は男優のみで構成され、少女漫画(萩尾望都、三原順、樹なつみ、など)や海外の翻訳劇などを中心に上演している。
Studio Lifeに入団してからも単身で2年間の英国留学をしていますがなぜ留学を決意したのですか。
Studio Life の倉田淳さんが英国の演劇に精通していて、日本の俳優のために英国でワークショップをやりたいと話していたんです。僕の入団後、他の劇団からも参加者を募ってStudio Lifeがロンドンでのワークショップツアーを主催しました。10日間くらいのツアーで、参加者は連日ロンドンのワークショップクラスを受講するというもので、それを数回開催していました。その際に、後に僕が師と仰ぐデイヴィッド・ベネット (David Bennett)のクラスを2回ぐらい受講したんです。
Studio Lifeに俳優として入団した頃は芝居の”し”の字も知らずに演劇の世界に入ってしまったので、演劇の多くを知らずに困惑している状態でした。そこでベネットのところへ行けば何かわかるかもしれないといった漠然とした気持ちで「すみません、ちょっとロンドンへ行ってきます」と告げて2年間ロンドンで演劇の勉強をしました。
僕が入所したDavid Bennet’s International Actors’ Laboratoryではギリシャ人、フランス人など外国人が多く学んでいました。ベネットは著名なニューヨークの俳優養成所、アクターズスタジオ出身のアメリカ人で、マリリン・モンローが同期だったと話していましたね。
英国での2年間はどのようなものだったのですか。
合法的に働けるような準備(学生向けのワークパーミットの取得)をして渡英したのですが、それでも外国人として生活をするということの大変さをしみじみ感じました。まず何をするにも手続きが必要。そして外国人として働いて生活して行く大変さがあり、それに加えてアクターズスクールの勉強があったので本当に大変でした。
最初は日本食レストランで働き、その後はその当時大流行りで次から次とオープンしていたスターバックスでアルバイトをしました。ビジネス街にあるスタバだったので、金融街のビジネスマンを相手に働いたのも英語の勉強には良かったかもしれません。
何か見つかるかもと思い渡英したにも関わらず、実際には時間の余裕がなく、余計にめちゃくちゃな生活を送っていたように思います。あっという間に1年が経ちこれでは帰れないと思い、もう1年、計2年間ロンドンにいました。
ベネットのクラスでは演技の技巧的なことを教えてくれるわけではなく、俳優としての身体の細胞レベルでのコントロールの仕方、役に使える肉体を作っていくということを教わりました。
演劇、ミュージカルで俳優として活躍する傍らで今回「 STAGS and HENS」を演出することになった経緯を教えてもらえますか。
実は今作に出演していただいている流山児★事務所の俳優伊藤弘子さんと副業の勤め先が一緒で、そのご縁があって今回の舞台上演という流れになりました。
2023年にSpace早稲田で、伊藤さん出演155本目の記念舞台で大女優の回想という一人芝居「PILLOW VELVETTIE」の作、演出をさせていただいて、そこから流山児さんにお声がけいただいて、今回の「STAGS and HENS」の実現となったのです。
ロンドンから帰ってきた2001年ごろ、Studio Lifeの河内さんと倉田さんから英国の戯曲を3本ぐらい渡されてざっくりと訳してほしいと言われたものの1本が「STAGS and HENS」でした。これだけがStudio Lifeで上演の機会がまだなかったということ、そして作者のウィリー・ラッセル(Willy Russell)の大ファンで彼の代表作「Blood Brothers」をロンドンで何度も観ていたこともあり、流山児さんに「STAGS and HENS」を上演したいと申し出ました。

ヘンナイトで踊りまくる新婦リンダの友人の女性陣— 真ん中バーニー役の伊藤弘子
改めて戯曲に向き合ってみて、どう感じましたか。
最初に読んだ時からずっと、新郎デイヴ(小林由尚)の友人の一人であるエディ(朝倉洋介)はなぜあのような行動をとるのか、という疑問が自分の中に残っていたというのもこの作品を選んだ大きな理由ですね。なぜ彼は親友の嫁リンダ(竹本優希)のことをこれほど悪く言うのだろう、とずっと疑問でした。エディはゲイなのだろうという解釈で稽古に入ろうとしていたのですが、さらに読み込んでいったところ、もしかしたらエディではなくデイヴの方がゲイなのではないかと思えてきたのです。
あの小さなコミュニティーの中、あれだけの仲間意識、同調圧力がある中でエディは親友のデイブがゲイであることに気づいたのではないか、と。
1968年にイングランドとウェールズでは同性愛が非犯罪化されたのですが、この作品の設定である70年代は、まだまだ社会的にも同性愛には厳しい目が向けられていました。そんな時代にデイヴがゲイだとしたら… そんなデイヴを一番近くで見ていたエディはそれに気づくけれど彼に罵声を浴びせるわけではなく心中で”お前は素晴らしいフットボールプレイヤーだからそれを活かせばこんなところから抜け出せるかもしれない、自由になれるかもしれないのになんで女と結婚するんだ”と怒っているのです。さらに言えば”結婚なんてや〜めた”なんて言っているリンダに対してもイライラしているという解釈に至って、そこで全てがクリアーになったんです。
と言うことで、今回はデイヴがセクシャルマイノリティであるという設定で演出をしました。台詞は一切変えていないので、そのことがはっきりと語られているわけではないのですが、その意図を俳優やスタッフと共有して舞台を作りました。

男子トイレに佇むデイヴ(小林由尚)
その点を話していたら、ピーター役の辻京太くんが”もしかしたら過去にピーターとデイヴの間に何か恋心のようなものがあったのかも。。。”と言ってきたんです。
久しぶりに帰郷したピーターが男子トイレでスタッグナイトの男子たちに会った際に、カヴ(里美和彦)が酔いつぶれているデイヴを指差して「ここに誰がいると思う?デイヴのことは覚えとぅるよな?」と言う台詞があるのですが、それに対してピーターが「会わない方がいいのかもしれないな」と言うんです。なぜ?と思っていたのですが、辻くんの指摘があっているとすれば、なるほどと納得がいきますよね。なので、今回はピーターもデイヴのセクシャリティを知っているという設定になっています。他の男子は全く気づいていない。エディにしても確信はないのですが、デイヴが何か性のことで悩んでいるというのは感じている。原作には無いのですが、最後のシーンでデイヴが壁にサインをするシーンがあって、そのデイヴの姿を見てエディは自分が彼をこの街に縛り付けていたのかもしれないと気づく、という演出にしました。
今回の舞台でとても特徴的だったのがリバプールの若者たちが話す強い訛りでした。あれはどうやって日本語にしたのですか?
英国在住の翻訳担当の阿部さんと話している時に、英国の芝居をやるなら言葉、訛りにこだわりたいと提案しました。
同じ英語話者同士でも階級によって、出身地によって話す言葉が違うのが英国人たちの特徴で、話し方、そして使う言葉によって上流階級、下級階級がわかってしまうのです。言葉の違いでドラマが構成されていく英国の戯曲、特にラッセルの戯曲にはそれがはっきりと出ているので、それを今回の上演でやりたいと告げました。
とは言え、そこに日本のどこかの方言をそのまま当てはめるのは嫌だった。どこか手垢がついた手法だし、例えば関西弁にしたらそれは関西の話になってしまうのでそれは違うと思い、阿部さんに方言を作ろうと思うと言いました。
そこで、リバプール訛り、マンチェスター訛り、スコットランド訛り、ロンドン下町のコックニーなど訛りのきつい場所の言葉の特徴を少しずつもらいながら、それを日本語に落とし込んでいったのです。
役者に集まってもらって、“オリジナル方言でっちあげ会”みたいな場を設け、でっちあげのための色々なアイディアを出してもらいました。その中で、まず“〜じゃろがいな”という言い方が出てきました。一方で、コックニー特有の言い回しでやたらと“〜isn’t it?”と、付加疑問文を最後につけるという話法があるのですが、その”isn’t it“と”じゃろがいな“を混ぜて英語で付加疑問文になっているところは”じゃろが イニ“とすることにしました。そうすることで彼らが(リバプールでの)下層階級だということがわかるようになっています。あと、英語の呼びかけの”hey“はhを発音しない”エイ“と言ってもらうようになどなど、イントネーションを含めて役者にそれらのルールを徹底してもらいました。英語の原作で頻繁に使われている汚い言葉の”ファック“は北部の訛りを取り入れて、真ん中の”ァ“を”ォ“に変えて、全て”フォッキャ“という言葉にして、”すごく“という意味で強調する言い方として多用しています。
この70年代の英国劇を、今日本で上演する意義についてはどう思っていますか。
セットの柱に貼ってあった“今、変わらなければ、我々に明日はない”というスローガン、それに尽きると思っています。

トイレの落書き(”今、変わらなければ、我々に明日はない But if we do not change, tomorrow has no
place for us”)
劇中では男子トイレと女子トイレにそれぞれ集まる男女ということで境界線がはっきりと引かれています。その境界線を越えるかどうか、まずはその境界線に意識を持つということを考えてもらいたいこととして意識しました。僕はカーテンコールにそのメッセージを込め、カーテンコールの際には男女に分かれず、男女の役者が入れ子で並ぶように演出しました。
世の中には線を引けないものもあると思うのです。昨今、様々なことに明確な線を引いてしまう、もしくは名前をつけてしまうことで、これまでは寛容に受け入れていたことを明確化してしまい、それによって生きにくくなっているということがあるのではと思っています。ドとレの間に、実は多くの音があるように全てに中間があるということです。その様々なグラデーションを皆が受け入れることが重要だと思っています。それは今作に限らず、どの作品でも伝えたいと思っていることです。

男子トイレで睨み合うピーターとエディ
(左ー>右 ローディー(小林由尚)、ピーター(辻京太)、エディ(浅倉洋介)、ビリー(本間隆斗)、カヴ(里美和彦)、ロビー(申大樹))
