ケン・ローチの代表作「I, Daniel Blake —わたしは、ダニエル・ブレイク」を舞台で味わおう

フランス、カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)を2度受賞している英国を代表する映画監督・脚本家、ケン・ローチの代表作「I, Daniel Blake—わたしは、ダニエル・ブレイク」(2016年のパルム・ドール作品)。

あらすじ

英国北部、ニューカッスルに住むダニエル・ブレイク–通称ダン– (役者:葛西和雄)はベテランの大工であったが心臓発作を起こし医者から休職するようにと告げられる。失業給付金の申請のため訪れた職業安定所では医者の診断にも関わらず、一方的な事務的判断から申請は却下されてしまう。その日、ダンはロンドンから引っ越して来たばかりのシングルマザーでやはり職業安定所から冷遇され困っているケイティー(中山万紀)と娘のデイジー(竹森琴美)に出会う。それをきっかけに、ダンはケイティーの粗末な借家を得意の大工仕事で修理するようになり、両者は親睦を深めていく。その後も、官僚的な対応、例えばコンピューターに不慣れなダンは申請手続きを始めることすら出来ず、ケイティーは給付金を受け取れず時だけが過ぎていった。どこからも救いの手が示されないまま、ケイティーもダンも徐々に経済的、そして精神的に追いつめられていき、そんなある日、業を煮やしたダンがついに社会に、世間に直接的に訴えかける行動に出る。一方、いよいよ困窮を極めたケイティーはある決断をするのだが・・・。

劇中でケイティーが十代で路上生活をしていた時に一番きつかったことをまわりから“無視される”こと、居ないものとして扱われることと語っている。

作者ローチは2011年に英国の有力紙ザ・ガーディアンのインタビューの中で「声をあげることすら許されなかった人々がいたということはあなたがた市民を怒らせるに十分足ることなのだ」と話している。

さまざまな場面で弱者が声をあげることが難しくなり、寛容が薄れて他者への攻撃が増す今日、この舞台が私たちに問いかけるものとは?

開幕を前に稽古に熱を増している青年劇場の稽古場を訪れ、自らケン・ローチの大ファンと公言し、今作の翻訳・演出を手がける大谷賢治郎氏に話を聞いた。

フリーの演出家として活躍する大谷は演劇教育ファシリテーターとして国内外の教育機関で講義を行い、演劇教育に注力している。

(c) Nobuko Tanaka

翻訳と演出を担った大谷賢治郎

今回、この舞台を立ち上げることになった経緯を教えてもらえますか。

劇団から演出を依頼された際の話し合いの中で、まず今の日本を考える上で「貧困」をテーマにした作品をやろうということになり、さらに僕が海外*で演劇を勉強したということを活かして海外の戯曲を上演しようという流れになりました。そこで、例えばケン・ローチの映画の翻案劇はどうだろうという案が出て、この戯曲「I, Daniel Blake—わたしは、ダニエル・ブレイク」を上演しようということになりました。

実はその案を出したのは僕ではなかったのですが、その瞬間にぱっと目の前が開けたような気分になったのを覚えています。と言うのも、ケン・ローチは日本では知る人ぞ知る、といった存在だったのですが、会議に参加していた青年劇場の製作、スタッフ4〜5人全員がローチのことを知っていたことに、まず驚きました。

僕自身は20代の頃映画好きの仲間うちで「ケンチーロ」というあだ名がつくほどケン・ローチの作品がずっと好きだったこともあり、これまでの自分と今自分がやりたいこととが合致して「やりましょう」と即答しました。

*サンフランシスコ州立大学芸術学部演劇学科に留学

すぐにローチのエージェントに連絡を入れたりしながらリサーチをしていたところ、映画に主演していたデイヴ・ジョーンズが脚本を書いて2023年に英国で舞台化していたということを発見したのです。早速その脚本を購入し、劇団を通じて上演の版権を取得して今日に至るという感じです。

左より 葛西和雄、大谷賢治郎、中山万紀
写真提供:青年劇場

左より 葛西和雄(ダン)、大谷賢治郎(翻訳・演出)、中山万紀(ケイティー)

その2023年版の脚本は2016年の映画版とは違っているのでしょうか。

映画公開の2016年以降の社会状況がアップデートされていますね。例えば「この国にはマクドナルドよりフードバンクの方が多いっていうじゃねえか」という台詞は映画公開以降のデータです。なので、より2023年に近い内容になっています。

あと、映画の手法と違って演劇の手法で書かれた脚本だなと思います。映画と舞台の違いで言うと、例えば映画の場合は同じ場所にいないと成り立たないという縛りがあるのですが、舞台の場合は同時に違った空間にいるということが成り立ちます。舞台における空間創造にはその自由さがあり、さらに観客の想像力に委ねられるという部分も多いので、映画のようにその状況にあった明らかな絵面、実際の場所でなくても良いのです。逆に実際のロケ地のようなリアルを舞台に反映するとあまりにもごちゃごちゃしてしまうので、美術の池田ともゆきさんと話して、具体性を持たないセットにしました。

その抽象的な舞台美術として、周り舞台、そして背後に架かったスクリーンに英国の政治家や誰かが最近発言した言葉を写し出すつもりです。日本の政治家の発言もそこに、と考えたのですが、あまりにも生々し過ぎてやめました。(笑)

2016年の外国映画を今日の「日本の貧困」を問う作品の題材にした理由は?

普段、僕は芝居の演出をしているのですが、今回に関しては自分で翻訳もしているので、作・演出の両方をしている方々の気持ちがわかったように思います。翻訳をしている時に舞台化した時の“絵面”が浮かんできましたね。

英国の場合はフードバンクという形ですが、日本ではそれが子ども食堂であって、近年まさに急増しています。そのような状況を見ると、日本は英国の状況を追随しているなと感じます。その意味でも、この話を日本で上演するのはとてもタイムリーであると思っています。

実のところ、日本にいる我々が直視すべき問題を他の国の話を通してみせることで、観客は少し距離をおいてみることが出来るのではないでしょうか。例えば、今回のテーマを日本の話でやってしまうとあまりにも生々し過ぎるし、うまく働かない。英国の話として観ているうちに、これは自分たちにも当てはまるのではと観客に気づいてもらえるのではないかと思いました。英国の作品であるという力を借りることで、観やすくなって自分のことと捉えてもらえるのではと考えています。

最初に今回は「貧困」をテーマにしようとなったのはどういう理由からですか。

劇団の方から、経済格差も含め日本の貧困を考えた時に、今の問題としてその「貧困」を扱った芝居を出来ないだろうかというお話をいただきました。僕が青年劇場さんと一緒に創るようになって10年ぐらいになるのですが、常に、どうしたら今の社会に訴える芝居を提供できるのかということを話しながら創作をしてきました。

ケン・ローチの作品創造の原動力は「怒り」であると本人が語っているのですが、今、僕もそれを言えるようになったと感じています。今の貧困問題には憤りしか感じないので僕自身「怒り」を持ってこの作品に対していけると思っています。

今、この芝居を日本で上演する意義についてはどのように考えていますか。

「貧困」という意味では日本もぎりぎりのところまで来ているなと感じています。シングルマザーの状況然りで、いろいろなことがこのままではいけないと思っているので、この状況をなんとかしていかないと、と。特に若者たちにそのことを感じてほしいと思いながら日々稽古をしています。

演劇なのでフィクションではあるのですが、そのフィクションを通じて“もはやこの物語はフィクションではない(This is not Fiction!)”ということを訴えたいと思います。これは果してフィクションなのか、それとも?と観客に問いたいと思っています。

写真提供:青年劇場

「I, Daniel Blake—わたしは、ダニエル・ブレイク」リハーサル風景

翻訳に関して、留意したことはありますか。

翻訳作業は好きなので、これを機に“翻訳と演出”という分野の仕事もさらに広げていきたいと思っています。

ご自身は演劇を通して何を届けたいと思っていますか。

幸運なことに演劇教育の場所に居られるので、正々堂々と怒りを原動力として、それを次の若い演劇人たちに渡したいと思っています。大人はきちんと怒っているということを伝えたいし、教えている大学で取り上げる演目として移民問題や平和教育、戦争という意味での広島、沖縄を扱っていこうと思っています。

教え子たちが僕の演出した芝居を観に来てくれるので、おこがましいのですが彼らにバトンを渡せているという実感もあります。実際、彼らの創るものに少なからず僕が問題提起したものが現れていたりします。若い彼らは学校でほとんど教えられていないので、例えば沖縄戦のこと、そして戦争のことを知らない人が多いのですが、演劇を通してその部分をきちんと手渡していきたいです。

I, Daniel Blake—わたしは、ダニエル・ブレイク

上演期間:9月26日(金)- 10月5日(日)

作:デイヴ・ジョーンズ

翻訳・演出 大谷賢治郎

会場:紀伊國屋ホール(新宿)

詳細:https://www.seinengekijo.co.jp

Tel. 03-3352-7200