https://www.japansociety.org.uk/review?review=879
英国ロンドンのコロネット劇場で2024年11月14日〜16日の3日間の公演を盛況のうちに終えた鯨井謙太郒 率いるKENTARO KUJIRAI コンペイトウ。
The Japan Societyに掲載された(上記リンク英語)レビューでも絶賛されている。
レビューの日本語訳をこちらからお読みいただけます。
舞台評:by Alice Baldock
暴風雪、孤独、そして冬の凍てつくような寒さが舞踏ダンサーで振付家の鯨井謙太郒による作品のタイトルとなっている「その土地とそこに住む人々を守る神秘的な力」という意味を持つとても古い言葉「U-BU-SU-NA」の世界に染み込んでいく。
舞踏は前衛的なダンスの一種で1950年代に日本で数人のダンサーたちによって始まった踊りである。その踊りの中心にあるのが変容という概念であり、あらゆる身体は何にでもなるという、その能力と可能性を考えの核に据えている。コロネット劇場は2022年開催の”Electric Japan“—彼らの誇れるレガシーとなったプログラム—など、長年に渡って日本の舞台を紹介し続けている。
「U-BU-SU-NA」はあっという間に過ぎる1時間という上演時間の中で観客を無数の変容する世界へと誘ってくれる。ある場面では風や雪に抗うダンサーが、またある場面では—おそらく彼らはある冬の夜に居心地の良い部屋にいるのかもしれない—一人のダンサーが箒を巧みに使うもう一人のダンサーによって部屋中を転がされるといったユーモアたっぷりのコミカルなシーンが展開される。これらの多様で変化し続ける世界は鯨井が語っているこの作品に対するビジョン、つまり今日の日本における都市と彼の生まれた地域との間にある緊張関係を探る見識となるのかもしれない。
この作品は鯨井の出生地であり、舞踏の発展を伝える上で重要な場所である東北地方に焦点を当てるという目的がある。
舞踏の初期の代表作の一つに「かまいたち」という作品がある。「かまいたち」は東北地方の都市秋田の畑で働く人たちの足首を切る妖怪をテーマにした写真集から創作された作品だ。また、1980年代には土方巽振付による「東北歌舞伎プロジェクト」という作品が複数の舞踏家たちによって創られている。東北地方のある地域では毎年かなりの期間雪に覆われるところがあり、そのことを反映した作品を2人の舞踏家、土方巽と元藤燁子が創作している。そして1985年には土方が東北に関してのエッセイ「風だるま」を執筆している。
その中で土方は“東北地方には「風だるま」というものがある”と記している。
“この現象を少し説明をすると、北の地で突風が吹くと、雪が舞い上がり、風がものすごい勢いになることがある。そうなると東北人は風に包まれながら田んぼから家の玄関までたどり着くので、風を纏った風だるまとなって入り口に立ち尽くすことになる”(「風だるま」より)
一方元藤は著書の中で一部分を東北の秋田地方の雪深い気候についてページをさき、土方の出生地である秋田が彼の舞踏にどれほど大きな影響を与えたかについて述べている。雪は人々の口に入り、そのことで言葉が短くなる。それらの短い言葉に端を発する動きには閃光、黒い大地、雪の吹きだまり、などがある、と。(元藤燁子著、1990年刊行「土方巽とともに」より)
これらの特性は「U-BU-SU-NA」のダンサーたちにも、KMRii とC.R.O.W design labによる衣装にも表れている。それぞれの衣装が粉雪に包まれているようで、それらがダンサーたちの独自の動きにつれて、急速かつ穏やかに揺れる。ある瞬間には全てのダンサーが何かに向かって動いているように見え、それは想像の風や雪に対しているというのが彼らの力強い動きからはっきりと見てとれる。
この目が離せないパフォーマンスの中で最も印象的なことの一つが、ダンサー全員の質の高い動きであり、それぞれがそれぞれの動き、ペース、空間の使い方を正確に把握しそれらを駆使している。その中でも特に野口泉のパフォーマンスは卓越していた。彼女の動きは多くの場面で殊更に繊細であり、細部にまでこだわったものだった。
彼女の動きはしなやかで滑らかで、ある退場シーンではステップを踏むことなく、波のような動きで部屋の奥へと進んでいった。
FUJI||||||||||TAと中里広太による音楽はキリキリとした都会的なメタリックな叫び声、鳥のさえずりののどかさ、そして星明かりのエッセンスを捉えた一連の音楽(吉田一弥による照明デザインも合間って)の間をローラーコースターのように駆け巡る。
ダンサーたちは音楽と調和しながら動くこともあり、音楽と衝突することもある。それらが鯨井謙太郒が注目させたい自然と文化の間の不安と緊張を強調している。
「U-BU-SU-NA」がパフォーマンス、衣装、照明、音楽などの面で本当に素晴らしい舞台であることは間違いない。特にその動きが短いながら緊張、ユーモア、そして静寂の世界へと結びついていて、いつまでも心に残る魅力に溢れた舞台だった。