名前を盗まれ自分を無くしかけた女性、その原因を作った人の言葉を話す猿。
村上春樹の短編2編「品川猿」と「品川猿の告白」をベースに、人間と猿が織りなす本当の自分探しのものがたり、神奈川芸術劇場(KAAT)2024-25年シーズンタイトル「某」にふさわしい不思議ミステリーの芝居が幕をあける。
“英国で最もユニークな劇団の一つ(The Guardian新聞)”
“その芸術性の高さは観客に息もつかせないほどであり、たびたび涙を誘う(スコッツマン新聞)”
と謳われ、英国演劇界で大躍進中のスコットランド、グラスゴーに拠点を置く劇団Vanishing Point(ヴァニシング・ポイント)との国際共同制作「品川猿の告白(Confessions of a Shinagawa Monkey)」はKAATの芸術監督で劇作家、演出家長塚圭史が監督就任当初(2021年〜)からあたためてきたプログラムだ。
Vanishing Pointの劇世界を日本に紹介したいと願い続けてきたと話す長塚にそう願う真意、そして今回の日英コラボレーションでの狙い、そこから見えてきた神奈川県の公共劇場KAATのこれからの展望について聞いた。
*****************
今回の神奈川芸術劇場(KAAT)の日英国際共同制作プロジェクト「品川猿の告白」を「カイハツ」という長期プロジェクトに組み込んだ意図を教えてもらえますか。
まず、英国留学時(文化庁の新進芸術家海外研修制度で2008~2009年に1年間ロンドンに滞在)にロンドンのリリック・ハマースミス・スタジオでVanishing Pointの舞台「Interiors」を観てその独創的な作りにすっかり魅せられたというのがあります。良かったので、再度その舞台を観に行ったほどです。客席からアクリル板で仕切られた舞台側では無言で家族の集まりの様子が描かれ、客席側の板の外では死者のような語り手がいるというもので、その仕掛け、ヴォイス・オーヴァーでの表現、音楽の使い方などがとても面白いと思いました。舞台では老若男女の役者たちが言葉無しに、とは言えとても的確にその世界を表現していました。こんなやり方があるんだと驚きました。
作品の世界観や見せ方が独特でおしゃれ、それでいて扱っていることはとても繊細で胸を打つ、そんなVanishing Point(以下VP)をすっかり気に入りました。時間をかけて作られた優れた作品と出会い、帰国後に思ったことは、観客動員数を増やしていくことや、規模を拡大していくことを目指すだけでは演劇を続けていくのは難しいということ。社会の中で演劇はどう位置するのかということを考えていかなくては、と思うようになったのです。
そこで、自分から公共劇場に提案を持ち込むようになったんです。例えば新国立劇場にダンスと演劇を合わせた子供向けのプログラムを作りたいとアイディアを出し、幸運にも実現することが出来ました。
そんな中でKAATから芸術監督就任のお話をいただき、公共劇場で何が出来るのだろうとなった際にVPの「Interiors」を招聘するか、もしくは日本人の役者で上演するのはどうだろうと思ったんです。ちょうどVPがコロナ前の2019年に上海で「Interiors」を上演していたので、そこにKAATの事業部長が出向いて話をしたのが全ての始まりです。そこから2021年に実際に対話を始め、色々と可能性を探っていったという流れです。その中で既存の作品ではなく、新作を一緒に作ろうということになりました。彼らが興味のある日本の題材をいくつか挙げてもらい、2022年、スコットランドから来日したVPの3人のアーティストとのKAATでの合同ワークショップの中でこの村上春樹原作の「品川猿の告白」に決めました。最終的にはこの小説を題材にした劇がどのようなものになるのかわからない、というところが「カイハツ」のプロジェクトとして扱う大きな理由となりました。
2023年6月のグラスゴー、そして2024年3月のKAATでのワークショップではどのようなことが行われたのでしょうか。
グラスゴーでのワークショップで彼らが気にかけたことの一つが“言語を超えていくコミュニケーション”というもので、それにトライしてみたいというのがあったのだと思います。それぞれの俳優が母国語を話し、猿は“人間語”を話すといったことは成立するのだろうか、ということを時間をかけて話し合っていたようです。
実際に共同創作を始めてみると、そこに英語と日本語の言語の違いが絡んできて、それが課題となっていったようです。英語は主語が最初に来ることで内容がわかるのですが、日本語は主語が最後の方に来るので最後まで聞かないとわからない。なので、英語では会話が被ることは普通なのですが、日本語の会話では被るということはあまりない。クリエーションはそんな違いを踏まえての試行錯誤の連日のようです。
そのような言葉の違いを含め、国際共同制作の難しさ、向き合い方についてはどのように感じていますか。
言葉に関してはいつも難しいなと感じていますが、日本人の演出家が英国人の俳優と協働することに関しては自分の実体験からも得るものがたくさんあると思っているので、とても有意義なことだと思います。例えば英国人俳優のスキル、彼らの言葉に対する意識の高さ、そして役を自分のものにするためにリサーチを重ねて役を積み上げる姿勢とか、です。大変ではありますが混じりあって作ることの面白さは確実にあると思います。なので、もっとどんどん大胆に入り混じって作品作りが出来たら良いなと思っています。
多くの外国人演出家が来日し、日本人俳優と協働して素晴らしい作品を生み出していますが、一方で、日本語が置き去りにされているという印象がどうしても拭えません。何度も来日しコラボレーションをしている演出家の中にはそれを乗り越えたり、スキルのある俳優と一緒にやって克服している作品もありますが、多くの場合で日本語の台詞の問題を乗り越えるのは難しいと感じています。
ですが、今回の場合、二つの言語が実際に混じり合っていて、だからこそそこ(言語の違い)に関して議論せざるを得ないと思うので、何かこれまでにない新しいコミュニケーションが現れるのではないかと大いに期待しています。
一方で、英国人にとって日本語はヨーロッパの他の言語と違って全く予測もできない言葉なので、その点から心配していることもあります。日本人は義務教育の中に取り入れられているので英語の構造はわかっていて、さらに台本もあるので、どこを焦点とするのかがわかりますが、英国人には日本語の基礎知識は基本的に無いので、日本語に対してリアクションをとるだけでも難しいと思います。そのあたりの練習、稽古がかなり必要となるでしょう。
VPの芸術監督で、今作の原案、構成、演出を担っているマシュー(レントン)も二つの言語を舞台上で成立させるということが大きなチャレンジであるということは意識していると思います。
国際共同制作である今作の日本人キャストはどのようにして選ばれたのでしょうか。
長い期間のプロジェクトでもあるので、個人として自由な発想が持てているかどうかというのは重要な要素であると思います。先々の予定がきっちりと決まっているわけではないプロジェクトに参加することに前向きでいられるかということも。あとはカンパニーの中で話し合ったり、立ち止まったりすることを許容できて、それをプラスに変えていこうと考えられる人、というのも大切な点でした。まずはワークショップにそのような人を誘って、その中から日英双方の合議で決めました。
マシューさんはVPのロンドンから距離を置いたグラスゴーの劇場としての役割を説いていますが、渋谷や新宿の都内から離れたKAATについてはどのように考えていますか。
公共劇場がどうあるべきなのかということを考えた時に、商業主義に走らずに文化的に様々な意義のある作品を作りそれを継続していくことをこのKAATでやっていこうと考えています。商業的ではないやり方を模索していくということは、例えば近年青年団の平田オリザさんが兵庫県の豊岡に拠点を移した例のように、多くの地方劇場が着手し始めているところだと思います。KAATは東京ではないので、ある意味で東京とは考え方を変えざるを得ないんです。その中で、もちろん演劇界で注目を集めるスリリングな劇場でありながら、神奈川県のお客さまたちに認知されるためには何が出来るのかということを考えているところです。
国際的なコラボレーションを行う意義は?
他の国の文化を知って、その違いを認め合って共存して高め合うということの素晴らしさを広めたいというのがあります。あと、演劇というのが一般社会であまりにも認知されていないという現状を変えていかなければならないと思っていて、国際交流の演目を上演することでこれまでにない新たな文化的意識を抱く方々にも響くような劇場になっていけばと考えています。
今、若者たちもどんどん世界に目を向けているような社会になっていますが、演劇、劇場も世界と繋がっているというところを示していければ、そこから刺激を受けて劇場に足を運ぶ人も増えてくるのではないでしょうか。
単に日本の演劇をどんどん海外へ輸出すれば良いとは思っていなくて、その海外進出とあわせて今回の「品川猿の告白」のような高品質な作品を作り出し、国内で認知されることも大切だと感じています。
確かに、たくさんの国際交流、コラボレーションが行われているのは事実です。社会で多くの断絶、紛争が起こっている中、芸術、文化こそが境目を超えて越境したり手を繋いだりすることが出来るのではと思っています。そんな不穏な今だからこそ、積極的に国際交流をして演劇の環境を強固にし、その繋いだ手を離さないということが必要なのだと思います。
新作舞台「品川猿の告白」の内容について少し教えてもらえますか。
村上春樹の二本の短編小説、「品川猿」と「品川猿の告白」を完全にミックスしているのでそこに時間の繋がりが生まれています。名前が盗まれるということの奇妙さ、重大さ、そして名前を盗んだのは誰なのかというミステリーを出発点として進んでいきます。そこにとても鮮やかに猿とそれを追っている人たちが絡んでいくという、思いの外、エンターテイメント性に富んだ作品になると思います。
今回の「カイハツ」プロジェクトに期待するところは。
「カイハツ」プロジェクトに関しては今回のこの国際共同制作舞台で良い成果を上げて神奈川からスコットランドに持っていければ良いなと思っています。これをきっかけに世界も含め、多くの人にKAATを知ってもらえれば、と。
今回の作品に関わったスタッフ、俳優だけでなくこの劇場で働く人たち皆にとってもこの作品が価値のあるものになれば、より「カイハツ」プロジェクトを継続していこうという気持ちが高まっていくと思います。そういう企画をきちんと僕らが見つけ出して広げていけば可能性はどんどん増していくのではないでしょうか。僕らはこの「カイハツ」プロジェクトをかなり重要視しているんです。他の演目数は減らさずに、となると、予算の関係もあってバランスが難しいところもあるのですが、今作を良い結果に導いて続けていきたいと思っています。
先日、2026年4月から5年間の芸術監督再任が決定しましたので、KAATで行っているカナガワ・ツアー・プロジェクトで神奈川県内の各地を回り、訪れた各地で劇場を訪れたことのない人たちと話をしたりしながら劇場のことを知ってもらい、そして同時にこの未来を見据えた「カイハツ」プロジェクトをより積極的に続けていきたいと思っています。
「品川猿の告白」
会場:KAAT神奈川芸術劇場<大スタジオ>
プレビュー公演:11月28日(木)
本公演:11月29日(金)〜12月8日(日)
2025年にはスコットランド、グラスゴーで、その後UKツアーを予定している。