— The Guardian 14 June 2023 Kim Willsher の記事から翻訳・抜粋
フランス人の作家、演出家、作曲家のDavid Lescotの「Dough(ゲンナマ)」はその全てがお金に関する芝居です。人が生涯を通してどのようにお金を作り、それを管理するのか、あるいは失敗してお金を失うのかについてのお話です。
今年のエジンバラ演劇祭フリンジで上演されるこの舞台では一人の人間とお金の関係を自分とその他の人々との継続的な取引として検証していきます。
Lescotの分身である祖母が赤ん坊だった彼のために預けたお金のエピソードからテンポの良い、おもしろくて、時にちょっとほろ苦いお話が始まり、最後は葬儀屋との交渉のシーンで締めくくられます。
そこで主人公は歯の妖精を発見したり(西洋では抜けた歯を枕の下に入れて寝ると、歯の妖精がそれをお金、またはプレゼントに交換してくれるという言い伝えがある)、予想外の小金を得たり、とんでもない散財の投資をしてみたり、詐欺にあったり、、、時に若い父親として生活苦を経験、掃除機の値切り交渉をしてみたり、と金銭の貸し借りを経験します。
「お金は単にお金であるだけでなく、人と人との繋がりに大きく関わってくるものなのです。私たちの人間関係、選択、運命を決定づける人生目標にもなり得るし、不幸なものにもなり得るのです。」
独立系の彼のカンパニーCompagnie du Kaïrosが拠点としているパリのカフェでインタビューを受けた52歳のLescotは「この作品がとても個人的なもの」であると話します。
「ある人が生まれてから死ぬまでの人生を純粋にお金との関係という視点から捉えてみたかったんです。
「私たちの人生、そして存在は全てお金、それを有しているか否かにかかってくるということにとても興味があったのです。この劇はそのことを描いています。そして人々の関係がお金によってどのように左右されるのかについても言及しています。
「この劇の中心人物である人物にはお金に関する才能はありません。実際彼はルーザー(敗北者)なのですが、たとえルーザーでも人生を通して彼の道を見つけることは可能です。お金に関してはルーザーでもある種のおだやかで平穏な境地に辿り着き、最終的にお金との間に距離を置くことで平和な居場所を得ることができるのです。」
Lescotは難しいことをユーモアを通して見つめることによって「芝居を通して自分自身の人生にある種の平衡状態を見出すことができる」と言います。
「私にとって、お金はゴールではなく手段なのです。私は儲からないので知られている職業を選びましたが、それなりに暮らしていけていてそれがすでに私にとっての勝利なのです。お金に関する困難、やっかいも知っていますし、お金がないことがどうゆうことなのかも知っているつもりです。私の目標は多くを稼ぐことではなく十分に稼ぐことなのです。」
「Dough」はもともとコメディー・フランセーズの短編劇シリーズの一つとして創作されたもので、それが英語訳されて昨年ニューヨークで上演されました。主人公の「私」をZach Luskが、その他の40人以上のキャラクターをMatthew Brown とHannah Mitchellが演じました。今回のエジンバラでも同じ役者たちが演じる予定です。
ニューヨークの演劇批評家Erin Kahnは「私がどうして演劇を好きなのかを思い出させてくれるスマートで魅力に溢れた、ほとんどケチのつけようのない傑作」と称賛しています。
Lescotはフランス語よりも英語での上演の方があっているのではないかと言います。「私が英語の劇が好きな理由は、何かについて笑えるのと同時にそれが難しいということを英語なら成立させることができるからです。」
舞台は至ってシンプル、長方形のライトが当たるスペースがあるのみ。そこで主人公とその他の登場人物たちが会話をするスタイルで人の一生を60分でスピーディーに描きます。
「経費をカバーできるほどの売り上げは期待出来ないでしょうね(笑)」とLescotは明るく話します。「でも、そこはエジンバラですから。演劇のインターナショナルなプラットフォームである演劇祭ですから、絶対にトライする意義はあります。より多くの人たちにこの作品を目にしてもらって、その上で願わくば他の劇場に興味を持ってもらうことが重要なんです。つまり、経済的には計算されたリスクなんですよ。」
「Dough」8月2-28日 Pleasance Dome, Edinburgh で上演されます。