
仲間から99歳の誕生日を祝ってもらうおかじい
88歳で演劇デビュー、100歳を迎える直前まで舞台に出演し続けた俳優「おかじい」こと岡田忠雄氏をご存知だろうか。このドキュメンタリー映画「OiBokkShi 99歳の看板俳優」は演劇に全身全霊を注いだおかじいの生き様、天に召されるその日まで俳優として生きた男の姿をとらえた奇跡の記録だ。
俳優で介護福祉士の菅原直樹が老いと演劇をテーマに始めた演劇ワークショップの第一回目受講生となったおかじいは長年夢の職業であった俳優業を極めるため終わりなき探究心で日々邁進する日々を過ごしていた。
認知症の妻が待つ我が家では言うことを聞かない伴侶を大声で叱りつけてしまっていたおかじいだったが「老いと演劇」のワークショップを通して、妻とのコミュニケーションに演劇的解決策を見つけ自らそれを実践、関係を改善していく。
菅原と岡田の12年間に渡る演劇創作の記録から超高齢化社会に突入したここ日本で、いかにお年寄りたちに輝いてもらい、また周りにいる人々がその輝きの恩恵にあずかることができるのかという秘訣を見つけることができるだろう。
誰もがいつかは通る道“Oi(老い)Bokke(ぼけ)Shi(死)”を元気に闊歩するためには?菅原直樹におかじいとの思い出をたっぷりと語ってもらった。

(c) Nobuko Tanaka
「老いと演劇」というテーマで演劇活動を続けてきたわけですが、今回ドキュメンタリー映画で映像として残そうと思われたのはなぜですか。
ありがたいことに、これまでKSB(瀬戸内海放送)と地元岡山の放送局OHK(岡山放送)がOiBokkeShiの活動を追い続けて30~60分ぐらいのドキュメンタリーを制作してくださっていました。おかじい(岡田忠雄)はもともと映画畑の人で、今村昌平監督の映画「黒い雨」や「カンゾー先生」、その他有名な監督の映画にエキストラとして参加していたんです。もとはホテルマンだったのですが、定年後に好きだった演劇、日舞などの芸事に取り組み、とりわけ映画が大好きだったので、地元岡山が舞台だった「黒い雨」にエキストラとして出演する機会を得たのが始まりです。ロケ期間中には毎日撮影現場に通ったみたいです。
そしておかじいが88歳の時に、僕が主催したワークショップに参加して僕と出会ったというわけです。
これまでOiBokkeShiの看板俳優として活動してもらっていて、今年100歳を迎える予定でした*ので、これまでずっとエキストラとして映画に出ていたおかじいを主役にした作品ができないだろうかということでこの映画企画が始動しました。100歳のおかじいに観てもらうという目的で、当初映画は「恋はみずいろ」という久留米公演(2025年7月)の様子まで、ということで2026年の春の公開を予定していました。2026年5月の100歳記念公演を目の前にして3月に急にお亡くなりになり、その死に関しても取材して追加しました。結果的に岡田さんの“Oi(老い)Bokke(ぼけ)Shi(死)”を描いた奇跡の作品、岡田さんの俳優としての生き様が詰まった作品になったと思っています。
僕は偶然にも亡くなる前日に岡田さんのところへ行ってお会いすることが出来たのですが、半身麻痺の状態で「舞台は命」と言って拳を突き上げていました。本当に最後の最後まで舞台を諦めなかったのだと思いますね。

舞台稽古に励むおかじいと演出の菅原
*2026年3月、5月の新作公演へ向けた準備中に脳梗塞を発症、誤嚥性肺炎のために逝去。
人は歳をとると病気を患ったり障害を持ったりして色々なことを諦めていきます。おかじいは90歳を過ぎてもタバコを吸っていたのですが、何度か脳梗塞を発症して、最後は医者から「タバコを取るか舞台を取るか」と言われ舞台を取りました。自宅から介護施設へ移り、歩くことも諦めざるをえなくなっても、おかじいはベッドにいながら舞台を諦めることは決してなかった。それが僕の中に強いメッセージとして残っています。
菅原さんは青年団の俳優である傍らで介護ヘルパーの資格を取って介護の仕事を始められたということですが、介護の道に入ったきっかけは何だったのでしょうか。
10代の頃から演劇が好きで、演劇が学べる桜美林大学へ進学し、そこで平田オリザさんと出会いました。その流れで卒業後は青年団*界隈の舞台に俳優として出演していました。20代を過ぎ、結婚して子供が生まれ、アルバイトでももう少し何か専門性のあることをした方が良いなと思ったんです。僕自身、祖母が認知症を患っていたことがあり、その祖母の言動に若干困らされた経験がありました。そういった状況でどのように対応すれば良かったのかがずっと謎として僕の中に残っていました。なので、介護の仕事をして認知症という謎と向き合えたらなと思い介護の仕事を選びました。あと演劇ではコミュニケーションが重要になってくるので、パソコン上での仕事よりも人と向き合う仕事の方があっているのではと思ったことも介護を選んだ理由です。初めは不安でしたが、実際やってみたら面白かった。色々な人の話を聞くのは楽しいですし、認知症の方でもコミュニケーションの取り方によっては通じ合う瞬間が多くあって、本当に楽しいです。
*1983年に劇作家・演出家の平田オリザ中心に旗揚げされた劇団。平田が支配人を務める駒場アゴラ劇場を中心に、現代口語演劇を特徴とした作品群を展開し、1990年代以降の日本演劇界に大きな影響を与えた。
最初は俳優業との2足のわらじだったのですが、1年ぐらいやってみてもっと介護の仕事をと思い始め、そちらに重きをおくようになりました。
多くの高齢者の方々はどんどん役割を奪われ、日中ボーッとテレビを観ているだけとなりがちですが、実際は役割を求めているということを実感しました。彼らはこれまでの人生で色々な役を持って生きてきた方々です。介護は高齢者へのお世話というイメージがあると思いますが、実は介護をする上で一番のやりがいは高齢者の方々に何かをしてもらって、それをしている高齢者が生き生きとした表情を見せる瞬間です。料理であったり、これまでやってきた仕事に関連したことだったり、そんな何かを見つけると高齢者のみなさんはすごく生き生きとされます。介護の仕事では食事、排泄、入浴の介助があるわけですが、それぞれの方にあった役割を見つけるということもとても大切な仕事の一つだと思います。そしてそれはとてもクリエイティブな仕事なんです。人生みな違いますので、それぞれに話を聞いてその人にあった役を一緒に見つけていく。それは例えれば演出家の仕事であり、俳優に役を与えストーリーを読み解いて美術などを揃えて俳優に舞台で生き生きと演じてもらうというのと似ているなと思いました。演劇のフィルターで介護を見ると、まさに“役”であるという気づきがありました。高齢者は役を求めていて、高齢者ほど良い俳優はいないと思います。
帰宅願望や施設内の徘徊など、施設内で問題行動と思われることはたくさんあって、通常スタッフは「部屋に戻りましょう」と声をかけます。しかしその人の経歴を見ると警備員だったということがわかったりするわけです。そうなるとそれは問題行動ではなく、施設内を警備していたのか、となり見方が変わってきます。夜間巡回を一緒にすれば良いということになるわけで、そこに人生経験のヒントがあるのです。そのアプローチがとても面白いと感じました。
2014年に「老いと演劇」OiBokkeShiを旗揚げしたわけですが、どのようなことから始めたのですか。
東日本大震災の後、介護施設は全国どこにでもあるのでどこでもいいかと思いながら家族と岡山県の和気(わけ)町への移住を決めました。老人ホームで2年間ぐらい働いて、「高齢者ほど良い俳優はいない」というのと「介護者も俳優になったほうがよい」のではと思い始めました。その2つの実感をもとに、和気町で劇団を結成しようということになり、地域の人々に声をかけて始めました。
高齢者ほど良い俳優はいないということから、まずは高齢者と一緒に芝居を作りたいと思ったのですが、多くの人が介護と演劇がどう繋がるのかは理解できないと思い、まずはどう繋がるのかを体感してもらう演劇ワークショップを作りました。それは介護者も俳優になったほうがよいという実感をもとに考えたものです。あと、日本人にとって演劇は身近なものではないので、介護とか老いを入り口に演劇に親しんでもらいたいという思いもありました。

「カメラマンの変態」舞台写真(2017年)
そのワークショップでおかじいと出会ったわけですよね。
そうです、2014年6月の第一回目のワークショップに一番乗りで、開始の1時間半前にはいましたので。
認知症の妻を抱えていたおかじいは「“演技”でぼけを受け入れて救われた」と話されていますがその真意をどう捉えていますか。
ワークショップの内容は認知症の方のおや?と思う言動、つまり記憶障害や見当識障害に関するものです。例えば僕のことを時計屋さんと言ったり息子さんと間違えたりがある時に否定するばかりではなく、それを受け入れる関わり方もあってよいのではないかということを提案していくものになっています。例えば、時計屋さんと呼ばれたらこちらは「何か時計でお困りごとはありますか」と応える、すると「あるわ」と返ってくる。そんなコミュニケーションがあってもよいのではということで、認知のズレをいちいち正すのではなく受け入れる言動もありなのではということを実際に体感してもらうワークショップでした。
当時、おかじいは88歳で耳も遠くて、老いがテーマのワークショップとは言え、そこまで高齢の方が参加されるとは思っていなかったのでちゃんと出来るか不安でした。彼がどこまで認知症の人の言動を演技で受け入れるということが伝わっているのかを把握していませんでした。そのワークショップをNHKの記者の方が取材してくださり、その映像でおかじいが認知症の奥さんの介護の中でぼけを受け入れる演技を実践していたのを見て、これは、と目を見張りました。

自宅で認知症の妻の介護をするおかじい
例えば、奥さんが「今日で退職します」と言って家を出ようとする。それまではそのような時は怒鳴ってケンカに発展していたのですが、ワークショップを受けてからは心の中でカチンコを鳴らして「あ、それでは退職金をお支払いするのでここで書類を書いてください」と言っておかじいは時間稼ぎをして受け入れるという対応をしていました。その後、ケンカは少なくなったと本人が話していました。介護者は自分が正しいと信じていますから、出来るようでなかなか出来ない対応です。僕は仕事として対処しているし、認知になってから関わっているので余裕がありますが、家族は難しいと思います。母親が自分のことを忘れてしまったらショックですし、それを受け入れて演技というのはなかなか辿り着けない。おかじいは夫婦間でそれを、それも老老介護という大変な状況でやっていて、この人凄いなと思いました。
ワークショップに参加して菅原さんと出会ったことでおかじいの晩年は違ったものになったと思いますが、一方で菅原さんもおかじいから受け取ったものは多かったと思います。
もらったものはめちゃくちゃ色々ありますね。やはり演劇の力を教えてもらいました。日常生活で演技を実践するということ、そして演劇によって生かされている人、舞台が命という人がいたという事ですね。コロナ禍の時に演劇は不要かという議論がありましたが、おかじいにとっては絶対なくてはならないものでしたから。
おかじいは特殊な人ではあったとは思うのですが、おかじいの生き方を通して、皆さん気付かされたりハッとすることはあるだろうなと思います。老いても、認知症になっても、死期が迫っていても、人は輝く可能性があるということを教えてもらいました。高齢になって出来ないことが増えてくると人に会うことを諦めたり今までやっていたことを諦めたりでほぼ家の中での生活になってしまうのですが、何らかのアプローチをすることでその命は輝く可能性があるということです。おかじいはそれをすごくわかりやすい形で舞台で証明してくれたなと思っています。

ベッドに寝ながら舞台にあがるおかじい
演劇の特殊性として、俳優に定年はなくて、歩けなくなったら車椅子での役、寝たきりになったら寝たきりの役、最後には棺桶に入る役ができるとおかじいは言っていました。舞台で死ねたら本望とも言っていたのですが、その説得力が半端なかったです。
おかじいは会う人会う人に「あんたも舞台に出ればいい」と話していましたね。人はそれぞれ良いところがあるからそれを役を通じて舞台で表現するんだ、と常々話していました。本当にそうだなと思います。当初、OiBokkeShiでは演劇経験者とおかじいによる完成度の高いものを目指していて、そのため一度はおかじいにキツいダメ出しをしたこともあったのですが、後でそれは違うと反省しました。それ以降はおかじいには生き生きと演技をしてもらうという方向へと方向転換し、「ポータブルトイレットシアター」(2018年)というおかじいの日常を舞台化した作品、本人から聞いた奥さんとのやりとりを再現した作品を作ったりしました。
師である平田オリザさんも東京を離れ、兵庫県の豊岡で新しい演劇活動を展開していますが、平田さんから受け継いだものに関してはどう思われていますか。
高校生の時に平田オリザさんのワークショップを受けて目から鱗だったという経験があります。演劇というのは作品を観るだけでなく、普段のコミュニケーションに繋がるものなのだとそのワークショップで学びました。
オリザさんのワークショップで、電車のボックス席で知らない人に話しかけ、「旅行ですか」とひとこと言うというのがあったのですが、高校生がやるとわざとらしくなったり、逆に馴れ馴れしくなってしまっていました。その際にオリザさんが「普段、皆さんだったらその状況で話しかけますか」と尋ね、ほとんどの人が話しかけない、または場合によっては話すかもと答えていました。
そこでオリザさんが「場合によってはということは、相手役が変われば、自然と声をかけやすくなるのではないでしょうかね」と話したんです。
それまでは演技をする人がとにかく頑張らなくてはいけないと思っていたのですが、環境が変わることでコミュニケーションが生まれやすくなるのだということをその時のワークショップでやったのが大きな発見でした。僕もコミュニケーションが苦手な人間だったので、もしかしたらそれは環境に問題があったのかもしれないなと思い、演劇って面白いと思いました。
作品作りも重要ですが、演劇は日常のコミュニケーションを考えるきっかけになるな、と。今やっていることもそれに近いのかなと思っています。
東京ではなく、地方で活動を展開していることで感じることはありますか。
より演劇の力の大きさを感じますね。演劇について何も知らなかった方々が楽しんでくださるんです。認知症の人との関わり方を考えるという演劇ワークショップなので、介護施設の職員研修で行うのですが、そこにいる皆さんが喜んでくださるんです。演じることで他者の気持ちがわかるようになったり、普段無意識でやっているコミュニケーションについて意識的に考えるきっかけになるのではと思っています。
近年、劇場の席について鑑賞する演劇だけでなく、多種多様な演劇作品、ワークショップが出てきています。これからの演劇の可能性についてはどうお考えですか。
俳優というとテレビに出ていたり、舞台で演じていたりと、あちら側といったイメージがあるのですが、本来演劇は小さなコミュニティーで演じ合う、見せ合うものだったのではないでしょうか。今、活動拠点となっている岡山県奈義(なぎ)町にも農村歌舞伎が残っていて、その意味でもさらに地方にある芝居を復活させて、演劇の敷居を低く出来たらよいなと思っています。
また、演技の技術にも色々あるので、これまでの人生経験を上手く活かした演技経験の無い方による新しい演劇というのもあるのではないか、とOiBokkeShiで演劇を作りながら思っています。

(上)カーテンコールで笑顔を見せるおかじい
(下)船上で菅原と
例えば、今「人生相談天国」という作品を制作中なのですが、台本が無い即興のパートによる作品で台詞を覚えるのが難しい人でも参加出来る、人生相談があってそれに対する意見を交換するという内容になっています。みんなで考えてこうしたら良いのでは、ということを話し合っていくのをお客さんに見てもらう演劇です。
また、客席と舞台の境界を無くしていくというものもやっていければと思っています。普通お客さんは舞台を観にくるわけですが、それが途中でお客さんも俳優にもなるような、それが自然と起こるような仕掛けを持ち込めれば、と思案中です。
菅原さんとおかじいの奇跡の出会い、そして演劇作り、さらにはおかじいの人生をまとめて見られる映画「OiBokkeShi 99歳の看板俳優」を通して届けたいことは何ですか。
僕もおかじいと出会えたのは運命的で奇跡的だと思っているのですが、この映画が生まれたのも運命的で奇跡的だと感じています。監督・撮影の大野諭史さんが取材を続けてくださって、プロデューサーの武田知也さんが企画を立ち上げてくださり、クラウドファンディング・プラットフォームのモーションギャラリー大高健志さんとの出会いがあってこの映画が出来たということに運命的なものを感じています。
今まで僕はおかじいと作品を作ってきましたが、その過程に色々と物語があったわけで、それをどうお伝えするかが難しいと思っていたところにこの映画の企画が立ち上がったわけです。そして完成映画を観た時に、OiBokkeShiの12年間の活動が見事にまとまって結実しているなと感じました。
まずはおかじいの俳優人生を多くの人に見てもらいたい。ものづくりをしている方々にこのように生活とアートを結びつけて生きた人がいるというのを見ていただきたいです。そして若い人たちだけでなく高齢の方々にぜひ、おかじいが88歳で老老介護という厳しい状況にありながら自ら演劇のワークショップに参加して、そこで色々なことを学んで奥さんとの向き合い方を変えたということ、そして88歳から舞台俳優として活動したということを見て欲しいと思っています。おかじいの挑戦する姿をぜひ見ていただけたらなと願います。

おかじいを見つめる菅原

(c) Nobuko Tanaka
「OiBokkeShi 99歳の看板俳優」
2026年11月20日(金)~ 岡山 シネマ・クレール
2026年11月27日(金)~ 東京・下北沢 シモキタ-エキマエ-シネマK2ほか全国順次公開
詳細:https://www.ksb.co.jp/oibokkeshi_movie/
