アングラを次世代に継承していくために

流山児祥(左)、高信すみれ

流山児祥率いる流山児★事務所が仕掛ける3年越しの上演企画「JAPAN AVANT GARDE 1968/2028 連続上演  —自由への継承—」。“アングラの原点を探る”と副題がついたこの企画の第一弾として7月にザムザ阿佐谷で上演されたのが寺山修司作、彼の劇団天井桟敷の旗揚げ公演として1967年に上演された『青森県のせむし男』だ。第二弾として同じくザムザ阿佐ヶ谷で9月8日に幕をあけるのがもう一人のアングラ四天王(寺山修司、唐十郎、佐藤信、鈴木忠志)の唐十郎作『由比正雪』。ザムザ阿佐谷では来年3月にかけて、岸田理生の『終の栖・仮の宿』、佐藤信の『浮世混浴鼠小僧次郎吉』を上演することが発表されている。

Jstages.comでは1960~70年代台頭し、演劇のみならず若者のカウンターカルチャーとして社会ムーブメントを起こした日本のアングラ(アンダーグラウンド=反権威主義を掲げ商業性ではない前衛的で実験的な芸術)演劇の申し子、流山児氏に今回の企画について、今、アングラを知らない若い観客たちに半世紀前に熱狂の嵐を巻き起こしたアングラを届けることの意図を聞いた。

さらに、2026年初頭に上演された流山児★事務所の新人公演ではシェイクスピアのハムレットを『HAMLET~the Collage~』と銘打って翻案、流山児と共同構成して主役のハムレットを演じ喝采を浴びた20歳の大型新人高信すみれにもインタビューに加わってもらった。『由比正雪』では夜鷹のケメ子を演じる彼女が劇団のSNSで「革命をしたいと思ったことは無いし、そもそも革命がよくわからない」と戸惑い顔で話しているのだがそんな彼女が描く革命、そしてアングラ演劇とは。2005年生まれの演劇人が思う本企画について本音を聞いた。

まずは日本大学芸術学部演劇学科の現役学生で流山児★事務所の他に自身の劇団「親知らズ」では劇作・演出・美術・俳優をこなし、出身地である福島の劇団ユニット・ラビッツに所属している高信すみれに演劇との関わり、流山児★事務所について話してもらった。

高信:高校に入る前は演劇を観たこともなかったのですが、福島を拠点に活動している劇団ユニット・ラビッツ主宰の佐藤成紀さんがワークショップをやっていてそこに参加したのが演劇に関わるようになった始まりです。その後、私もその劇団ユニット・ラビッツで活動していく中で、震災後に佐藤先生と流山児★事務所の共同制作の舞台、ここSpace早稲田で2016年に上演された音楽劇『幻影城の女たち-胡蝶ノ夢編-』の映像を見て、かつてないほどの衝撃を受け、大学で東京に行ったら流山児★事務所に入りたいと思ったんです。実際加入してみて、高校生で演劇をやっていた時には関わっていなかったスタッフ業など、さまざまなことを現場で日々勉強させてもらっています。また、流山児★事務所の劇団力、団結力を間近で見て、それは他にはないところだと実感しています。

流山児★事務所に入団して流山児さんと色々な話をして大きな衝撃を受けました。例えば、革命に対しての情熱とかはとても好きなのですが、一方で自分の中では革命というものを理解し切れていないというのも事実です。

流山児:アジアの人たちに日本人は何をやったのか。それは、我々につきまとう永遠の課題です。「二度と戦争を起こしてはならない」という原点の確認を含めて、アジアの演劇人たちと何を話し合えるのだろうか?という意識が日本の演劇人たちには希薄だと思う。それらの歴史認識を軸にした議論を経て“アジア演劇人非戦宣言—アジアの演劇人は絶対に戦争をしないというー宣言”を出すぐらいのコトを(生きているうちに)実現したかった。だから40〜50代、日本演出者協会で「アジア演劇人会議」を積極的に推進し活動をしたし、流山児★事務所は、2010年代から現在まで中国・台湾・インドネシア・タイといったアジアツアーを毎年のように行い交流を続けています。これから先、この想いを次の世代にバトンタッチしていくのかが、僕の最後のテーマ・課題になっていますね。 

©Atsushi Yokota

「由比正雪」稽古風景 演出の流山児祥

18歳の時、1965年に大隈講堂で寺山修司作『血は立ったまま眠っている』を東由多加演出で観たのが僕の原体験。20歳で唐十郎の状況劇場へ入ったのですが、18の時には宮本研の岸田國士戯曲賞受賞作『メカニズム作戦』も観ています。つまり1962年に岸田國士戯曲賞を獲った宮本研から1970年『少女仮面』唐十郎岸田國士戯曲賞受賞までの8年間で現代演劇は新劇からアングラへとガラッと変わっていった。僕は演劇の革命=アヴァンギャルド運動を20歳で体験したわけです。

これを”二十歳の原点”と名づけています。高信すみれも18歳で流山児★事務所に入団して20歳の今ここにいるわけです、彼女が、アングラの革命児:唐十郎の言葉をどう捉えるのか?ということに一番興味がある。戦争を体験した1960年安保世代以降、生まれたアングラ運動・・・若手の多くが全くわからないと言っていますが。(笑) 

©Atsushi Yokota

「由比正雪」稽古風景

高信:流山児さんやその世代の人たちと話していると、灯す火ではなく、もともと持っているエネルギーが全然違うと感じます。一方で、私たちには燃やすものがそもそもないな、と。流山児さんが持っている火種がどこからくるものなのか、そして今でもそれを燃やし続けられている理由も気になります。なんで自分にはそれがないのかとも思います。

私たちの世代の多くは自分が心を燃やせるものを探すことに燃えているのではないでしょうか。自分達には何も無いということにうっすらと気づいて軽く絶望もしているのかもしれません。悟ってしまっているところがあるというのは同世代の人たちの芝居を見ていても感じます。自分たちには何も無い、それならどうしたらよいのか、といった憤りが原動力になっている感じがします。

私たちが反抗すれば世界は変われる?そんなわけないだろう、もう無理だろうというのが皆の中にあるという気がします。だからこそ“演劇で世の中を変えることができる”と思っている流山児さんと一緒にお芝居を作っているのが楽しいんです。

流山児:『由比正雪』は白土三平の漫画「忍者武芸帳 影丸伝」や大島渚の映画「天草四郎時貞」などの影響を受け、当時20代の無名の若者たちが紅テントに集い、新宿で創り上げたアナーキーな「何でもあり」の芝居です。世の中が”綺麗”になっていく時代に、“汚い”ビンボーな演劇青年たちが、世の中ひっくり返してやろうと、好き勝手に「明るいアングラ芝居」を始めたのです。

アングラ演劇があれだけのムーブメントを巻き起こしたのは、知的なインテリの言葉ではなく、地べた(底辺)の“自由な言葉”に起因していると思っています。実存主義やシュールレアリズムの影響もあったのでしょう。ベケットなどもその流れから出てきて、それが世界演劇の潮流になっていました。しかし、日本では明治以来、海外からの影響をご大層なものとして崇め奉るという悪癖でベケット受容もなされてゆく。当初「新劇」の解釈でベケットの『ゴドーを待ちながら』の不条理演劇が上演され続けられたのだから。笑っちゃうでしょう。世界の終末とニンゲン存在の不条理性。

僕らもそうだった、学生運動はインテリゲンチャである学生が「市民のための革命」を起こそうとした。1970年代、僕らは政治闘争と演劇を一緒にしたかったのです。

しかし、80年代に入ると、お金という化け物が世界を支配して行く。お金が神様みたいに、ドッと降ってきたんです。不戦や国際平和や民主主義や地球温暖化対策、核軍縮などという願いを多くの人が共有していたところに経済=資本主義が降ってきて、全てを侵食:破壊していく。鶴屋南北の名言「金が敵の娑婆世界」だね。30になったら、芝居なんてヤクザな稼業はやめて、結婚して安定した生活を営むことを理想として生きるような社会になったわけです。昔は、それらを全否定して「革命」と言っていたのに。一寸、横道にそれたね。

ハラスメントとかコンプラが声高に言われる時代に『由比正雪』では「人はそれぞれ好きなことをやっていいんだよ」と、寺山さんの「家出のすすめ」ならぬ「革命のすすめ」の演劇です。もちろん、歴史が語るように、革命(ゴドー)は訪れず、同志殺し=内ゲバになる、そんな物語です。恐ろしいがそれが現実(リアル)、そんなニンゲンの実存の根源を描くのが芝居です。でも全然暗くない、唐さんも寺山さんもきちんと見世物音楽劇にしているからオモシロイ。

「由比正雪」稽古場で 流山児祥

高信:アングラ演劇は常に皆が感じているはずの憤りや怒りみたいなものを表現している場所だと思います。今回の『由比正雪』の戯曲を読んでいても、常に登場人物たちは喧嘩をしています。とは言え、それはアングラ演劇が栄えた時代特有のものだとは思っていなくて、今も私たちの中にあるはずの怒りを表現するのがアングラ演劇なのではないでしょうか。

革命を起こしたくないわけではないのですが、若い世代には実際にぶち壊しに行くという実行に移す前に“まあ無理か”と思ってしまうところはあるのだと思います。若者にも変えたいという気持ちはあるのですがそれを表現する手段を持っていないのかな、と。そこで、私のことで言うとそれを発散する術として演劇があるのだと思います。

「由比正雪」稽古場で 高信すみれ

流山児:人間という生き物の不可思議さ、不条理を芸術家は書かざるを得ない。それが寺山修司や唐十郎の作品です。二人のテキストの根底にあるのはニヒリズムと希望。寺山にも唐戯曲にも大きくある“母体回帰”の母体って何なのだろう、また、母系性の日本社会をどう壊していくのか。。。つまり『由比正雪』は日本の骨格、人間の骨格を問うているのではないのかと読んでいくと、若い人たちには言葉がわからなくても、十分面白いのではないかと思います。 

『由比正雪』は、日本という国家の話であり、歴史の話でもある。国家も歴史も「身体化」しなくてはならない「役者たち」は大変。唐の芝居は役者=集団論です。『由比正雪』は1968年の劇団状況劇場の「イマ」を描いた劇です。近年の演劇界は、ほぼプロデュース公演となり、プロデュ―サー、演出家中心の舞台が増えてきている。流山児★事務所が役者=集団であるということにこだわっているのは“無名のバカな奴らが集まって金にもならないことをやる”、別役実さんの言葉じゃないが“観客=市民を地下(アングラ)へとひきずり込む”のが仕事だと思っているからです。

高信:歴史の教科書で将来今はどんな時代と表記されるのか、戦後なのか戦前なのかと最近よく考えます。

私のエッセイや小説は個人的な事柄が多いと前から流山児さんに言われているのですが、私自身も今の若者や時代が個人の時代だと感じています。上の年代の方々は社会全体としての考え方が主流だったように思いますが、今の私の言葉は個人的なものでしかないし考え方が普段の生活に根付いていない。今はその個人の時代というものに興味があって、作品でそれを書きたいと思っています。

つい最近人から“今、アジアという実験場の転換点にいる我々はこれからどう考えてどう(世界と)向き合っていくのかが試されている”と言われたのですがその“実験場”という言葉がすごくしっくりくるなと思いました。

流山児:この企画を立案したのはアングラ時代の寺山さんや唐さんの言葉を多くの人が知らないからです。今の芝居は、きちんと「回収」しますが、寺山さんや唐さんの芝居だと回収しないのです。回収しない、つまり「正解がない」ものを埋めるのが「想像力」です。そんな舞台を観た時に、わからないけどなんか面白いとなる。どんなに戯曲の言葉があちらこちらに飛んでも人間である役者の中では、舞台の関係性で観客に伝えるためにしっかりと繋がっていますから、観たお客様は「想像力」を持って受け止めることが出来る。それが「演劇の自由」ということなのです。そういった「自由なアングラ作品」を今年は、とりあえず4本、来年、再来年と続けたら、“あ、こういったところから現代演劇が始まったんだ”となり、世界に繋がっていくことになると思います。シェイクスピアは400年経った今も世界中で上演されていますが、その意味では唐さんや寺山さんの戯曲はいつの時代に上演しても新しく面白い、まったく古びないテキストだと『青森県のせむし男』で確信しました。寺山演劇を紹介する意味でも、近いうちに、太い繋がりのある台湾や香港で上演しようと画策しています。『由比正雪』もテントで上演したいと考えています。 

高信:「青森県のせむし男」に出演して、いまだに意味は全然わからないのですが、言葉が自分の身体から発せられる感覚に関しては少しわかるようになりました。

©Atsushi Yokota

「由比正雪」稽古風景: 黄色い衣装が高信すみれ

流山児:それだよ、そこが大切なんだよ。アングラの持つ身体性。

高信:なので、この企画を3年間続けた後にどうなるのかなと思っています。(笑)

流山児:すみれはいい役者になってるよ(笑)戯曲、作家の言葉に縛られず、テキストと遊ぶ感覚に立ち返らないといけない。演劇の言葉は、役者とスタッフのもので、そうでなければみんなで舞台を創る意味がない。今の日本演劇は系統化・分業化されているので規模がとても小さいし総合芸術では全くない。業界でしか伝わらないやり方ですごく小さい中でやっている。例えば、寺山修司は市街劇などで日常に突然劇的変化、つまり爆弾のような虚構を打ち上げた、それが革命なんだよ。 

高信:その「革命」って何なんですか。

流山児:それは、変わること、変えること。ドストエフスキーの「罪と罰」の「今すべてが一変してはならぬという法は、ないではないか」 じゃないかな、誰もやったことのないことをやっていいんだよ。底抜けの陽気さで、朗らかに。

高信:若い人たちは皆わかっているからこそ、ある意味うっすらと全部を諦めて、うっすらと全体的に絶望しているんです。だから革命って何?となるのです。

流山児:それが若い人たちにとっての絶望なのか。先が全部わかっていることからの絶望はわかる。今は、全部が準備されていて自分で考えることをしない。情報帝国主義の下、スマホは“親指帝国主義”に24時間監視・支配され、戦争や世界中を襲う気候変動や円安やら一瞬で状況が激変してしまうような「砂上の楼閣」の中で皆生きている。そこから逃げたらどんな「身体」があるのか、訊ねたい。全て、脳みそも親指にコントロールされていたら、もし、親指が金を生み出さなくなったらどうするのかと思い悩む漫画を超えたゲームの様な現在。まずは、AIには身体 性がないという事からしか始まらない。カラダからの革命。

22歳で劇団創った時、寺山さんから「流山児は演劇で革命が出来ると思うか」と聞かれて「出来ると思う」と答えたんだよ。僕の中では、今でも「命を革める」ことは出来ると思っている。78歳の自分自身の無様さを、生き様を晒し続けることが大切だと思っている。「たかが人生」どっかで「少し違う人と出会える」のではないか?と試行錯誤するしかないと思っていて、すみれたちと一緒に成長したいですね。

このシリーズを観た、演出家なり演劇人が少しは変わるかもしれない。なので“自由への継承”というタイトルをつけているのです。阿佐谷ザムザでの「JAPAN AVANT GARDE 1968/2028 連続上演 —自由への継承—」企画では演劇を観るのと同時に当時のアングラ関連の映画を観ることも出来ます。映画と演劇、その両方を観るという大きな、総合的な“これがアングラ”という企画で、そこが面白いと思っています。

寺山さんはその両方を創っているし、唐さんは多くの映画で異優ぶりを発揮している。岸田理生さんは多くの脚本を手掛けている。演劇は総合芸術の王なんだから、このシリーズでアングラはボーダーレスなんだと知ってほしい。 

今後の日本演劇界に関しては、世界をあっと驚かせる音楽劇を創ってほしいいと夢想しています。これ本気。音楽劇こそ世界を超える! 

高信:自分のルーツである福島と東日本大震災は自分の中で大きなものとして残っていてそれがまだ消化しきれていないところもあるので、やはりそのことについては少しずつでも表現していきたいと思っています。福島にしっかりと向き合って演劇を通して発信していきたいです。

『由比正雪』

日程:9月8日(火)〜13日(日)

会場:ザムザ阿佐谷

チケット代:

  • 一般:5,000円
  • はじめて割引:4,000円(各ステージ限定5枚)
  • U25、学生、養成所生:3,000円
  • 高校生以下:1,000円
  • 障碍者割引:3,000円 (障害者手帳をお持ちの方)
  • RYU’S会員:4,000円
  • 半券割引:4,500円(「青森県のせむし男」をご覧になった方)

詳細:https://www.ryuzanji.com/20/26yui.html