日本とヨーロッパの国際共同制作ダンス「ダンスマラソンエクスプレス(横浜⇔花巻)」を見逃すな

KAAT×TJP(ストラスブール・グランテスト国立演劇センター)

ダンスマラソンエクスプレス(横浜⇔花巻)

©Anaïs Baseilhac

伊藤郁女ポートレート

撮影: 大洞博靖

伊藤郁女(かおり)は17歳のある日、5歳から始めたバレエを「白いタイツを履いてヨーロッパ人みたいに金髪のカツラを被り、白くメイクすること」に疑問を抱いたことから辞め、コンテンポラリーダンスの世界に入った。その後、ダンスを学ぶためにニューヨークに留学。ダンスでのキャリアを求めて渡ったヨーロッパでは気になるカンパニーを自らで訪ね、顔を合わせ交渉し、フィリップ・ドゥクフレ、アンジュラン・プレルジョカージュ、アラン・プラテル、シディ・ラルビ・シェルカウイなど、コンテンポラリーダンス界を牽引している名だたる振付家とのコラボレーションを実現させた彼女は常に自らで信じる道を切り開いてきた、開拓者だ。

そんな伊藤が活動の拠点としているフランスで2015年にはフランス政府から芸術文化勲章シュバリエが贈られ、2023年1月にはフランス北東部にあるストラスブール・グランテスト国立演劇センター(TJP)の総芸術監督に日本人で初めて選任された。彼女は今、日仏の文化の橋を渡す先駆けとなるべく日々奮闘している。

Jstages.comはそんな伊藤が指揮をとるTJPと横浜にある神奈川芸術劇場(KAAT)の国際共同制作プログラムである「ダンスマラソンエクスプレス(横浜⇔花巻)」の稽古場を訪れ、振付・演出を担当している伊藤郁女に今回の国際共同制作の目指すところ、作品の源泉となっている宮沢賢治の小説「ひかりの素足」について、さらに彼女の現職、TJPの総芸術監督という仕事について聞いた。

「ダンスマラソンエクスプレス(横浜⇔花巻)」リハーサル前半、懐かしいJ-Popが流れる中で時にユーモアたっぷりに、時にアクロバティックに踊り、演じるアジア・ヨーロッパ混合の8人のダンサーたちの自由ではみださんばかりのエネルギーに目を奪われ、後半では宮沢賢治の珠玉の言葉に耳を、そして身体ごと奪われた。

撮影: 大洞博靖
撮影: 大洞博靖

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今回の日仏公共劇場コラボレーションはどのような経緯で実現したのですか。

2020年、コロナ時に日本に帰っていた際に長塚芸術監督とお会いして、私のソロ作品をご覧になったということで、長塚さんから神奈川芸術劇場(KAAT)で何かやって欲しいと言われました。そこから毎年KAATでラボ(カイハツプログラム)を開催しながら何ができるのか探ってきました。

そんな中、2021年にフランスで初演をしたキッズ公演「さかさまの世界」を2023年にKAATでKAATキッズ・プログラム2023作品として上演しました。その前から日本語の擬音語・擬態語を題材にした作品をKAATで創作したいと思っていたのですが、擬音語や擬態語でラボを行った際に、そこにお話がないとマイムやショーのようになってしまうということがわかり、私が宮沢賢治の「ひかりの素足」はどうかと提案しました。2023年1月にフランス、ストラスブール・グランテスト国立演劇センター(TJP)の総芸術監督に就任したこともあり、今回のTJPとKAATの国際共同制作が始まりました。

作品のキーとなるお話に「ひかりの素足」を選んだのはなぜですか。

宮沢賢治の作品世界には多くのオノマトペ(擬音語・擬態語)が使われています。

物語には2人の幼い兄弟、一郎と楢夫が出てくるのですが、ドラマトゥルグでもある長塚さんとあらためて小説を読み進めていく中で、幼い弟楢夫は貧しい家の事情から犠牲になる、つまり死にゆく運命にあったという物語の背景が、誰かが命を捧げることで生きていくという日本の貧しい時代の社会背景が見えてきました。

ヨーロッパの人からすると“なぜ死を選ぶのか”となるのだと思うのですが、命を捧げる、犠牲になるという日本の死生観が描かれたこの作品をフランス人の人たちと一緒に考えて作品を創っていくのは面白い試みなのではと思い創作を開始しました。日本の特攻隊や姥捨山などはヨーロッパの人たちからは疑問、興味の対象なのだと思います。

例えば、稽古中 “生き残った一郎がその先に生きていくことが大変で、彼が犠牲者なのだ”という結末になるのはどうしてか、という質問がフランス人のダンサーから出ていました。楢夫は家族のために死にゆく者なのでその近しい者たちの間では仲間外れにはなっていないということから、仲間外れと犠牲というものの関係性を皆で話し合い探っていくということをやりました。

小説の中で一郎は「私を代わりに打ってください。楢夫はなんにも悪いことがないのです」と鬼に懇願して、自分が犠牲に、楢夫の代わりに死にたかったと言います。それでも人生を変えることはできなくて一郎は生きていかなければならないのだ、という視点からこの作品を捉えています。つまり、生き残れたからハッピーということではない複雑さがあるのです。

ダンサーから出た質問で他に面白いものはありましたか。

どうして日本人は接触しないのか、身体のコンタクトをとらないのか、と聞かれました。身体と身体の間にエアー(空気)があるように見える、と。それに対して日本人ダンサーのAokidさんが「ヨーロッパの龍には羽がついていて飛ぶけれど、日本の龍はそれが無くて飛ぶ」と説明していて、面白いなと思いました。つまり、日本人にとってコンタクト、触るアクションというのは“(特別に)好きだ”ということを伝えることを意味しているので、それを回避するためにその他の方法で相手に対する愛情を示すのが日本人で、だから人と人の間にはエアーがあるのだと思います。例えば、私の両親が手を繋いでいるところなんて見たことがありませんし、それが普通でした。私からは見せなくてもわかっている愛情というものがあって、見えてなくてもそれはとても繊細なもので存在している、という説明をダンサーにしました。その質問をしたフランス人のダンサーもその感覚を日本で体験していて、日本のファミレスに一人で入ると安心すると言っていました。フランスだと店員が顔を目の前まで近づけて注文をとるのですが日本ではそれがなくて、マジマジと見られないエアーのある空間がホッとすると話していました。

フランスと日本の違いとして、フランスでは人がいるところに人が集まってくるということがあります。例えば海辺で日光浴をする時に、フランスだと空いている場所がたくさんあるのに何故か私のすぐ前に他の人がタオルを敷き始めます。

また、時間の感覚に関しても彼らは必ず約束に10分ぐらいは遅れるので、日本人がフランスに来た時には事前に文化の違いを説明します。あと、フランス人がリハーサル中に急に部屋を出ていってしまう場合があって、その時には「別にあなたたちに対してではなく、自分に対して苛立って出て行っただけですから心配しないでください」と解説します。

撮影: 大洞博靖

出演ダンサー

上段(左から):Aokid, Noémie Ettlin, Louis Giliiard(今回の出演は無し),

中段:岡本優, Issue Park, Rinnosuke

下段:山田暁, 湯浅永麻, Léonore Zurflüh

今回、国際色豊かな出演者となりましたが、彼らを選ぶ際に留意した点はありますか。

個性が光る日本人ダンサーで、その中でもグループワークが出来る人を選びました。あとは輝いている人、というよりもこれからもっと輝くだろうなという、華を持っている上でさらにそれをもっと見せられるであろう人たちを採用しました。華がすでに出来ている人というのは自分のスタイルが出来てしまっているので、あまり変わらないんです。なので、世阿弥の言うところの若いだけではない本当の華が出始めている人というところが重要だと思い、それを基準に選びました。

今回、Issue Park君はブレイクダンスのバックグラウンドがあって、Rinnosukeさんはダンサーの他に俳優でもあるなど、いろいろなところから集まってくれました。その中でグループのあり方というのは重要で、誰か一人が特出しない、様々な面で調整が出来る人たちを選びました。

Aokidさんは遠慮しがちな日本人には珍しく強めのキャラクターなのですが、ヨーロッパ人には彼のキャラが大ウケしています。彼にひっぱられるように、他の人たちもどんどん前に出てくるようになってきています。

伊藤さんのダンスでは現場で起こることに期待している、という印象があります。

ダンスは踊っている人と観ている人の間で起こることで、振り付けをしたものを単に見せるのではなく、その場で出て来ることをなるべくフレッシュに観客と分かち合えるようにしないと、と思っています。ダンス作品の奥には人間がいますので、一人一人の人間性が見えるように、とは意識しています。ダンサーだけ見てしまうとテクニックに視線が向かいがちですが、そのテクニックを退けた時にそのパフォーマーの人間性を見ることができたら良いなと思っています。

ラボやリハーサルを重ねてきた国際共同制作は今どのような変遷を辿っているのでしょうか。

宮沢賢治のテキストがダンサーの身体に入ってきた感じです。今の擬態語や擬音語、例えば「萌え萌え、きゅん」とか「ワクワク」、といったオノマトペの使い方では軽さがあり、自分の気持ちを隠す用途で使っていますが、賢治の時代の使い方はもっと強いものです。例えば「黒いゴリゴリの岩」「雪がつんつんと白く」とか、静寂の「しいん」とか、それらがあちこちに挿入されているのですが、そんな賢治のオノマトペがダンス作品に現れてきたように思います。宮沢賢治の言葉の素晴らしさがダンサーたちに浸透してきたのでしょう。

ダンスマラソンは90年代ごろからある、マラソンをしながらダンスをする、歯磨きしながら踊り続ける、と言った長時間にわたるダンスイベントのことなのですが、それを続けながら最後は宮沢賢治の「ひかりの素足」に突入していくという、かなり強引な流れになっています。

伊藤さんと同じく公共劇場の芸術監督である長塚さんとは、劇場のあり方などの話もなさるのでしょうか。

よくします。日本とフランスでは芸術監督としての仕事が全然違うのでそういった話も多いです。

私がいるストラスブールの国立演劇センターではアーティストが芸術監督を兼ねているので、マネージャー的な人事も仕事の一つになります。25人の劇場社員がいるのですが、彼らの人事を私が担当するので、毎日のミーティングが結構大変ですね。プロジェクトに関しては公募なので、例えば政府や地方自治体の人々が私が書いた40ページぐらいの企画書を読んで、採択された場合はそのプロジェクトを実行することが出来るという流れになっています。なので、最長で4年間の(総芸術監督)任期の間も、何かやりたかったら自分で企画書を書いて提出しなければならないのです。

当然のことながら、総芸術監督に就任する前には、マネージメントに関すること、例えば自分が考える組織図や予算も含めた創案を提出しなければなりませんでした。

今後TJPをどのようにしていきたいと考えていますか。

日本では地震が多いこともあって“金継ぎ”のように壊れても直して使おうという気持ちが強いと思います。一方ヨーロッパは最近になってテロや戦争、気候変動などの不安から世界の終焉を考えるようになってきて、人々の感覚が変わってきたのだと感じています。フランスはそもそも古いものを大切にしてきた国で、フランス人は壊れたものを見ないでずっと保管されてきたものを見てきた人たちです。それが近年、壊れたものを見るようになってきたというところで、壊れたもの、傷ついた人たち、どうしようもないことをどうやって“金で継いでいくか”というプロジェクトをTJPで行なっています。

その際に、金となるのが私たちの“こども心”であり、それはいろいろなことを想像できる力だと考えています。

4つのスローガンがあって、まずTJPは0歳から鑑賞できる劇場なのですが、今年は特に15〜26歳の観客を呼び込むということを目標に掲げました。なので、学校との協力体制を強化しています。2番目に、私が日本人なので、ミックスカルチャー、それもアジアンミックスカルチャーのアーティストたちを集中してプロデュースしています。さらに、いろいろな種類のジャンルの作品、例えばサーカスですとか、人形劇、ダンス、そして劇に関しても既存のクラシックの戯曲ではなく、普段の口語を使ったテキスト、そして身体で表現しているテキストが使われた劇を積極的に選んだりしています。最後に4番目ですが、こどもが参加してプロジェクトを考える、創作するといったこともやっています。これらはフランスでは珍しいミッションですね。

撮影: 大洞博靖

フランスではダンスはどのような位置にあるのでしょうか。

フランス語を伝えるという意義があるのか、演劇の方が政府からの予算が多くつきますし、ダンスの上演数の方が圧倒的に少ないです。国立振付センターと国立演劇センターがあるのですが、国立振付センターの方が数は少ないですし、予算も少ないです。

私は国立演劇センターの総芸術監督なのですが、振付家がなるのは初めてですし、日本人が就任するのも初めてです。36ヶ所ある演劇センターの総芸術監督のミーティングがあるのですが、そこに外国人は私以外いませんし、振付家も私だけです。なので、いろいろと期待されている面もあるのですが、そんな中で自分のアイデンティティを確立していくことに時間がかかっています。

これまでの経歴を拝見すると、常に目の前のドアを自分で叩いて切り開いてきた感があります。

そうですね、でも今はもう疲れましたね。(笑)なので今はノックされている立場です。そこで今大事だと思っていることは若い女性の振付家や演出家にもっと活躍してもらいたいという思いから、今回「ダンスマラソンエクスプレス(横浜―花巻)」に参加している岡本優さんに1ヶ月間TJPに滞在してもらったりして、これからのアーティストのヘルプをもっとやっていきたいと思っています。日本人アーティストも一回外に出てみると視野が変わるので、もっと外に出て欲しいと思います。

海外で活躍してきた伊藤さんから、これから海外へ出ようとしている若い人たちにアドバイスはありますか。

やりたいことははっきりと言うことが大事だと思います。言わずにもぞもぞしているのは時間の無駄です。人生はまずいコーヒーを飲むのには短くて、美味しいコーヒーを飲みたかったら「美味しいコーヒーをください」と言わないと、まずいコーヒーで我慢していたら駄目なのです。失敗しても良いので、しつこいな、くらいに思われるぐらいやってみた方が良いと思います。

KAAT×TJP(ストラスブール・グランテスト国立演劇センター)

『ダンスマラソンエクスプレス(横浜⇔花巻)』

期間:7月10日(木)〜13日(日) ※10日(木)はプレビュー公演

会場:KAAT神奈川芸術劇場<大スタジオ>

詳細:https://www.kaat.jp/d/dme