
(記者会見で 左ー>右) マリア・アルナル、マルコス・モラウ、マックス・グレンツェル、シルヴィア・ドゥラニョー
燃える金閣寺の周りに敷かれた砂の渦に浮かぶ顔、そして人形の面、さらには「美が、私を滅ぼした。」という文字がおどるメインビジュアルに目が釘付けになった人が多いのではないだろうか。
“マルコス浄瑠璃”と銘打っているこの舞台では一体どんな『金閣寺』—絶対的な美からの崩壊を描いた三島由紀夫の小説—を見せてくれるのか、謎とともに興味が大いに湧いてくる。
そんな謎に少しでも迫るべく、都内の能楽堂で開催された「マルコス浄瑠璃『金閣寺』」制作発表会に列席したレポートをお届けする。
本作の演出・振付を担当したマルコス・モラウ*、音楽・歌唱のマリア・アルナル、衣装担当シルヴィア・ドゥラニョー、美術担当マックス・グレンツェルが一同に会した制作発表会ではスペインからのクリエーターたちによる制作秘話、そして作品のイメージを想起させるマリア・アルナルによるオリジナルの生歌唱が披露された。
*マルコス・モラウ:スペイン・バレンシア出身の振付・演出家。2025年に自身のカンパニー「La Veronal(ラ・ヴェロナル)」を設立、世界の主要劇場—パリ・オペラ座、ロンドン・サドラーズ・ウェルズなど—へ作品を提供している。今回、そのモラウの最新作が日本で初演を迎える。
マルコス・モラウ(以下マルコス): 私はダンサー出身ではないのですが、そんなダンサーではない私が振付というものを専門にしているからこそ、創作を始めた頃から今に至るまで、「身体とは何なのか」「ダンスとは何なのか」「演劇とは何なのか」ということに対して子どものような好奇心を持ち続けているのだと思います。
かつてはダンサーではないことをハンディキャップだと思っていました。しかし今は、それこそが自分の長所になったと感じています。自分の身体の中に、ダンサーとして身につけた特定の「コード=型」が存在しないからこそ他者の身体を別の角度から見て、演出し、導くことができるのでしょう。
つまり、自分の中に既存のコードがなかったからこそ自分自身でコードを発明する必要があったのです。その発明の過程で、私自身の癖やマニア、恐怖、執着といったものが、非常に人工的で、非有機的で、演劇的な身体として現れてきました。そこにはグロテスクなもの、滑稽なもの、繊細なもの、動物的なものが混在しています。私は「生」をそのまま模倣するのではなく、日常から大きく離れた身体を探しています。私たちの身体性は、それほど人工的なところまで来ている。私は動きの中に、そのような独自の言語と個性を探しています。

マルコス・モラウ
— ここで、司会者から三島由紀夫の『金閣寺』を題材にした理由についての質問が投げかけられた。
マルコス:私にとって三島は、言葉でもって言葉の限界を描き身体的な感覚に戻ることを説いた作家だと考えています。だからこそ、ダンス作品の題材として十分な魅力がありました。
今回の大きな挑戦は、この小説を「そのまま再現しない」ということでした。
別のアーティストの作品からインスピレーションを受ける時、私は、そのアーティストを常に自分より一歩先に置かなければならないと思っています。三島の言葉を読み、観察し、それが自分自身に何を引き起こすのかを見極める。そして、彼の作品から「出発」して、別の何かを構築する。原作を再現したり、直接的に演劇化したりするのではなく、「なぜ『金閣寺』が自分をこれほど惹きつけるのか」「それをどう演劇的に表現できるのか」を探りました。つまり、文学を詩的、視覚的な世界へ翻訳することです。

マックス・グレンツェル(美術):金閣寺そのものを再現したり、複製したりすることはしていません。形も素材も全く異なります。ただ、そこには「灰」があります。
家であれ、神殿であれ、建物が破壊された後に残る灰は同じです。その「灰」という要素を通じて、小説と劇場空間を結びつけています。この舞台は、小説の精神そのものと繋がっています。
舞台上では、死と再生が繰り返されます。灰の中から再び美を見出し、知識や空間の層を積み重ね、その場所を使い、触れることですべてがまた再生していく。
非常に抽象的な言い方ですが、私たちの舞台空間を形作っているのは、まさに「破壊の瞬間」なのです。破壊された場所を見ることで初めて、そこにかつて存在した寺院や建築、あるいはその空間の奥底に保存されているものへの憧憬が見えてくるのだと思います。
シルヴィア・ドゥラニョー(衣装):La Veronalでは長い間、スペインのフォークロア、つまり伝承文化を研究してきました。それはマルコスと私の共通する関心でもあります。
また、カンパニーでは長く、衣裳によってジェンダーを区別しないということを行ってきました。男性も女性も同じ衣裳を着ます。今回デザインしたスカートには大きなボリュームがあり、さらに1メートル以上の長い「尾」があります。それによって人間の身体そのものが拡張されていくことが、とても面白いと思っています。
マリア・アルナル(音楽・歌唱):『金閣寺』の音楽では、まず「声」と、三味線をはじめとする弦楽器の響きを中心に据えています。さらに、ウード、マンドラ、マンドリン、バンドゥリアなど、地中海地域のさまざまな弦楽器も使っています。太鼓もありますし、エレクトロニックなテクスチャーや、サウンドデザインの要素もあります。
このプロジェクトの音楽の心臓部にあるのは「フォーク」、つまり民俗的な音楽です。
ただし、非常に開かれた意味でのフォークです。

マリア・アルナルが会見後に歌唱を披露
人形「操られる者」と人形遣い「操る者」の境界が溶け、どちらが生を宿しているのかさえ曖昧になる文楽の「生」と「作り物」が入れ替わる瞬間に美の核心を見出し、舞台上に可視化することに挑むという今作。
吉田玉助らが遣う文楽人形、“人形”を演じる俳優陣—中村壱太郎、末永光、尾上眞秀—と彼らを遣う7名のヨーロッパ精鋭のダンサーたち。さらにはカタルーニャの伝統歌唱を現代的に再構築したマリア・アルナルの歌声と竹本連中(語りと三味線)の浄瑠璃が相俟って新たな日西の“人形浄瑠璃”がここに誕生する。




「金閣寺」稽古風景
— そんな様々なものや人の融合について聞かれたマルコスは、
マルコス:未知のものに出会ったとき、人間は恐怖を感じるかあるいは強く魅了されるものです。例えば、文楽の人形遣いをどう演出するのか。私はこれまでにも人形を使った経験はありますが、文楽のような人形遣いとは全く異なります。
歌舞伎にも独自の身体性、表情、音楽性、舞台上での立ち居振る舞いがあります。
壱太郎さんがスタジオでダンサーたちと一緒にいて、彼独自の方法でさまざまな状況を解決していく。それを見るのは本当に素晴らしい体験です。お互いの「コード」を発見していくのです。
そうして、現代ダンスや西洋という枠組みを超えた、もっと大きな世界が存在することに気づく。彼らの働き方を発見できたことは、私にとってこのプロジェクト最大の喜びの一つです。東京でのリハーサルが、これほど美しい「交わり」になっていることを嬉しく思っています。
— さらに会場のジャーナリストから自身のコンテンポラリーのメソッドと文楽との間に本質的な共通点はあるのか、という質問が出た。
マルコス:私は今回、人形とダンサーの両方を扱っています。一見すると文楽の技術を知らないように見えるかもしれませんが、実際にはLa Veronalが扱ってきた身体性と非常に多くの共通点があります。例えば、関節がばらばらになってしまったような人工的な身体。ほとんど「脱人間化」されたような身体です。
文楽では、観客が目の前にある彩色された木の人形を、ただの木として見ることをやめ、そこに「人間」や「思想」や「詩」を見出した瞬間にフィクションが生まれます。観客が目の前のイメージをエネルギーや感情へ変換する。その遊びの中に、私は文楽とダンスの強い親和性を感じています。ダンサーが踊り、音楽や状態、言語と同期していくとき、私はダンサーを扱うのとほとんど同じ感覚で、文楽のアーティストとも仕事をしています。
来週末、皆さんに見ていただく『金閣寺』では、文楽が持つ可能性の40%ほどしか提示していないと思います。
もちろん、もっと多く使うこともできた。しかし、文楽人形、歌舞伎、マリア、ダンサーたち、それぞれの要素のバランスが完璧になる地点を探りました。やりすぎれば、先ほど話したような「日本のおとぎ話のクリシェ」になってしまう。それだけは避けたかったのです。

「金閣寺」稽古風景
いかがだろう。クリエイターたちの言葉から謎の一端が少しは明らかになっただろうか。とは言え、この世界初の試み、ダンスと文楽、一流の歌舞伎俳優たち、アイドルエンターテイナーによる人形と化す踊り、浄瑠璃とスペインの伝統的な音楽・歌唱が溶け合うという「マルコス浄瑠璃」はやはり世界初の観客として目撃することが何より早道なのではないだろうか。8月29日に東京芸術劇場で幕を開ける「マルコス浄瑠璃『金閣寺』」で新しい世界への扉を開いてみては?
Bunkamura Produce 2026 マルコス浄瑠璃『金閣寺』
日程:2026年8月29日(土) 〜9月6日(日)
会場:東京芸術劇場 プレイハウス
チケット:8,000円~18,000円
詳細:https://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/26_marcos/
