演劇を信じて、演劇を更新していくハイバイの岩井秀人が自身最後の演出で「て」を再演

(c) Nobuko Tanaka

劇作家、演出家、俳優 ハイバイ主宰 岩井秀人

自らの体験を掘り起こした私小説ならぬ私戯曲が多くの観客の支持を集めている劇作家、演出家、俳優で劇団ハイバイ主宰の岩井秀人。自身のひきこもり時代を描いた『ヒッキー・カンクーントルネード』、お互いにわかり合えず衝突する家族を描いた『て』、熟年夫婦の奇妙な間柄を描いた『夫婦』、友人関係の男4人の人生を追った『おとこたち』と定期的に再演を重ねるこれらの演劇作品とは別に、近年ではシリーズ化している『ワレワレのモロモロ』や『いきなり本読み』などの通常の演劇上演の枠を超えた企画を立ち上げ、新たな演劇のアプローチを積極的に行なっている。

劇団結成20周年を祝し、代表作『て』の5回目の再演で全国4カ所ツアーが幕をあけるということで、前述のシリーズ企画のように独自路線をひた走る岩井が思う演劇のあり方、その効力の可能性、そして最新版の『て』について聞いた。

Q: ハイバイの代表作『て』ですが、あらためてこの作品を上演するにあたっての心構えはありますか。

初演の時から起きていた現象として、『て』の舞台を観た後にいろいろな人が僕にご自身の実体験を話し始めるということがありました。「実はうちの父が、母が、兄がこうでして、、、」といきなり感想を、と言うか、その人の家族の話をしてきたんです。それを見て、ああ、僕は、こういうことをやっていくべきなんだと思ったのです。『て』は僕の人生の話だったはずなのに、観客が『て』の舞台に自分の人生を見て、各々の人生を話しだすということが起きました。“何これ?”と思いましが、僕にとっての演劇とはそういうものなのかもしれないと思いました。

演劇は人の心や自分の心についてあれこれやっているという意識が僕の中で強かったので、いつかはそういった「作る者、見る者の心に前向きな変化をもたらす活動」に辿り着くだろうというのはあって、ちょうど『て』がそこにハマったという感じがしています。結果、多くの方から感想として多種多様な家族の体験談を聞かせてもらい、多くの気づきがあり、そんな気付きをくれるのだったらそれをやらせてもらおう、とその時に決めた感じです。

長く生きていると尚更、“家族だから”のその後に言えることがなくなってきた気がします。(家族だから)わかりあっているとは絶対に言えないし、わからないも言えない。80年代ぐらいまでは家族だからという文言がまかり通っていた気もしますが、どんどん家族だからとは言えなくなってきているのではないでしょうか。

Q: いわゆる演劇的な技術を高めるというよりも舞台を通して観客、そして彼らの生活に関わっていくことを重視したいということですか。

僕自身とても影響を受けた演劇作品を顧みると、自分が生きてきたことの価値観が大きく揺さぶられたり、自分が過ごしてきた現実に別の意味をもたらしてくれたり、自分の未来の捉え方を変えてくれたり、と自分の人生にダイレクトに刺さるような舞台が多かったことに気づきました。それまでの現実の見方が間違っていたかもしれないと思わされるような演劇で、その点で岩松了さんや平田オリザさんの劇に衝撃を受けたのだと思います。それらが演劇として新しかったのはもちろんですが、なんてことのないやりとりの中に、実は命がけで放った一言だと思えるような台詞があったりして。それが例えば過ぎ去った過去の、誰かが僕に向かって放った言葉の中にも存在しているのではないか。といった演劇と人生、両方の体験になるような、そういったものを作りたいと思いながら見よう見真似で作っていくうちに、これ(『て』)こそが自分が出来る演劇だという思いに至りました。

Q: 以前、『て』は自身の家族を語ることでの自己治癒、一種の演劇療法の演劇だと話していましたがその演劇療法についてうかがえますか。

自分の家族の話にかぎらないのですが、誰かの話を取材して持ってきて僕が書くとそ観た人の過去の何かが立ち上がる。

集まった人たちから実際に起きた話を集めて作る『ワレワレのモロモロ』*シリーズに関して言うと、創作過程で本人から話を聞いた時が僕にとっては感情の振れの強さが最高の状態なんです。その後、本人に台本を書いてもらい、なんとかその強さをキープしたまま台本に残そうとしながら稽古を重ねていくうちに、体感としてはその感じ(強さ)がどんどん減っていくんです。見せ物にしなくてはいけない、商品にしなくてはいけないみたいなことが強くなっていって、劇に仕上げていくと感動の強さが目減りしていくんです。

なので、矛盾しているなと思いながらやってきたところがあります。去年も「ワレワレのモロモロ」公演をやったのですが、公演でなくても良いなと思うようになってきました。

もちろんお客さんに感じてもらうのも重要ですが、何よりも話した本人にとって、その過去を他の人と共有し話しあう中で、本人が自分の過去に別の視点を持つようになることが重要です。自分の人生の意味を捉え直すとか、そういったことが「ワレワレのモロモロ」という演劇の真の部分だと思っています。仮に本番の公演がなくても、ワークショップだけでも、僕は十分に演劇だと思っているし、純粋な「心のための作業」として良いのかもと思い始めました。

「ワレワレのモロモロ」には現実ならではの、フィクションだと出来ない変な歪さ(いびつさ)があるんですよ。

フィクションって、ストーリーのためにストーリーに必要なものだけにしていくことになり、垢のようなものが取れてつるんとしてしまう。でも、体験した本人の視点から書いたものは全くストーリーと関係がないような、その時に見えていたものとか、その時に熱く感じたこととかを優先的に書いていくので、それが多分、色々な人の実人生に反応していくのだと思います。

*「ワレワレのモロモロ」:出演者自身に起きた出来事をその出演者本人が台本(初稿)にし演じるスタイルの短編オムニバス作品。これまで国内外(海外:フランス、台湾)で数々の違った作品が創作、上演されている。

Q: 『ワレワレのモロモロ』はどのように作られていくのでしょうか。

公演とワークショップとでは全然違います。公演を打つとなったら、1年前ぐらいから準備して、オーディションをして、台本を作るのに何ヶ月もかけて作っていきます。

一方で、4時間ぐらいのワークショップの場合は、会場に行って参加者から話を聞いて、その場で“やってみましょう!”となる場合もあります。

結局、誰かの話を再現するための演劇を立ち上げないで終わってしまう場合も多々あります。話を聞くだけで終わったりするのですが、その方がめちゃくちゃ面白かったりするんですよ。再現演劇にする必要があるかどうかというのも考えどころで、場合によっては話を聞いただけで十分、参加者たちの人生の瞬間瞬間を旅したような感覚が得られることも多いです。

ある人の話を聞いていたら、別の方々に数珠繋ぎのようにどんどん話が繋がっていくこともあります。それはそれで4時間の演劇、完全に演劇なんです。みんなよく生きてきました、終わり、みたいになったりしてすごく面白いんです。

誰かの話を聞いたことで、また誰かの過去が立ち上がる。それが起きたらもう、それは僕にとっては十分演劇だという感じがしています。劇場の中だけで演劇をやっていることのもったいなさを感じて劇場の外へ出て、地方のさまざまな場所、リハーサル室だったり、公民館だったり人の家だったり、屋外だったりで『ワレワレのモロモロ』をやっています。

今年はそんなワークショップを毎月ぐらいの頻度でやっていました。

ワークショップ単体だと資金繰りが難しいので、僕が4〜5日のツアー日程を組んで、マンツーマンの俳優指導をし、作品を観る集まりをしてその後にトークをして、『いきなり本読み』のイベントを入れたりしながら『ワレワレのモロモロ』ワークショップを2回ぐらいやる。それで70%ぐらいお客さんが入れば交通費も宿泊費も捻出できて、僕のギャラも出るようになります。

今年は11月に台湾に2週間ぐらい滞在して『ワレワレのモロモロ』を創作してきました。

Q: 以前、フランスでも『ワレワレのモロモロ』を作っていましたが、お国柄みたいなものを出てくるのでしょうか。

台湾は出ましたね。人権意識とか言論の自由への意識はすごく高いです。中国との関係的にも、その意識がないと、すぐに奪われてしまうし、すぐに放棄させられてしまう可能性があるのでちゃんと意図して持ち続けなければいけないといった意識をとても感じました。

彼らにとって人権問題はとても身近なテーマで、台湾で学生とワークショップをしたときに、彼らはその点にフォーカスして感想を言っていました。自分達の発言やナイーブな話でも安全に話せるように配慮してくれたことがすごくありがたかったですとか、横のつながりを大事にしてくれてありがとうございました、といった感想が出ていました。高校生でそういうことを意識しながら、演劇のワークショップについて感想を言うというのは、日本ではあまりなさそうだなと思いました。

今後、海外では公演というよりもワークショップをやりたいなと思っています。

(c) Nobuko Tanaka

岩井秀人

Q: もう一つの人気シリーズ『いきなり本読み!』*についてはどのように考えていますか。

『いきなり本読み!』は演劇としてとても優れているなと思っています。本当に初見で戯曲を読むので、最初の10分ぐらいは、例えば俳優さんが漢字を読めなかったり、男だと思って読んでいたら女の役だったりと、とにかくめちゃくちゃ下手くそなところからスタートするんです。だけど30〜40分もしたら俳優さんが本能レベルで持っているすごい技術で、キャラクターからシーンの意図、ストーリーまで全部が読む台詞に入っていくんです。お客さんがその過程を全て見られるというのはこれまでの演劇にはなかったのではと思っています。通常の公演を作っている際に何が面白いかと言ったら、昨日までイマイチだった俳優が今日になったら激変しているとか、本読みをしている過程で何かを掴んで変化していくとか、演出家が言ったことに反応してすごく変わるとか、俳優のイマジネーションによってすごいところに連れていってもらったり、というのが稽古場で本当に面白いなと常々思っていたので、それをなんとか舞台に上げられないかということでやった企画です。演劇としての一番面白いところ、事故も含めて「今、その場でドラマが立ち上がっていく」様子を見せることが出来ているのではないかなと思っています。

アクシデントが起きたときこそ、“あ、演劇だな”と思うのですが、そういったことが『いきなり本読み!』では毎回毎回起きるので、そこがとても面白いんです。

あと、俳優と演出家をお試しで引き合わせている面でも、とても良い企画だなと思っています。通常の公演稽古となると、例えば初日にこの演出家は大嫌い、となっても2ヶ月一緒に働かなくてはならないわけじゃないですか。その意味で言うと、『いきなり本読み!』でお試しができるというのはすごく良いと思っています。

『いきなり本読み!』に関しては僕以外の人が司会をやれるようにならないと文化になっていかないと思うので、司会者を増やしてこの企画をもっと広めていきたいと思っています。

*『いきなり本読み』:初見の台本読み合わせライブ舞台。毎回読み手の顔ぶれは変わる。

Q: 話を今回の『て』に戻しますが、岩井さんが『て』を演出するのは今回が最後と宣言されていますが、本当ですか。

そうです。もう大分やったなという気がしているのと、「書いた本人による演出」というものにも限界があるかなと思っているところがあって、今回を最後にと思っています。ちょうど今月僕の戯曲「夫婦」を別の演出家、Maars inc.という劇団の廣川真菜美さんが演出する舞台があったんです。彼女が去年演出した「こどものじかん」という舞台が素晴らしくて、ちょうど彼女が「夫婦」を演出したいと申し出てくれたのでどうぞということになりました。以前は他の人が自分の戯曲を演出するのは全部断っていたのですが、今は他の人に演出してもらう期待の方が大きくなってきたんです。この『て』に関してもいつか誰かが演出してくれたら良いなと思っています。

Q: 今回は演出プランも変えるとおっしゃっていましたが具体的にはどのようになるのでしょうか。

変えますが、それほど大きく変えるわけではありません。2周同じことをするという構造が強すぎるのでそれをどう見せるのか、という違いになると思います。2周すること、視点が違うというのはどうゆうことなのか、ということに関して新しいやり方でやってみようと思っています。

Q: 今回は演劇ファンが飛びつきそうな豪華なキャストが揃いました。

そうですね、ありがたいです。大倉孝二さんに小松和重さん、それに何回も出演してもらっているので慣れてしまったのですが、職人的な素晴らしい俳優、田村健太郎(タムケン)さん、とものすごく豪華です。すごいことをすぐに平気で出来てしまうので、稽古が普段よりもずっと早く進んでいます。(笑)

これまでの「て」では1周目と2周目で違うところ以外は全く同じにやるという方向で演出していました。放っておけば今回も戯曲がそうなっているので、これまでと同じになっていくのですが、どう考えても小松さん、大倉さん、そしてタムケンがもったいないんですよ。これだけ技術がある人たちを集めて、これまでと同じようにやるのは違う気がして、プランを変えました。そのようにしても、母が見ていた世界と次男が見ていた世界が違うという件に関しての邪魔にはならないんだということがわかってきて、今はそちらの、これまでとは違うやり方の方向に広げていっています。*

*父親のキャストに関して、2周の繰り返しの中で一捻りあるとのこと

「て」の出演俳優たち

Q: ワークショップやイベント企画を通して演劇の幅を広げようとされていますが、演劇が普及すると社会はどう変わるのでしょうか。演劇だから出来ることとは何なのでしょうか。

今まさにそれを探さないと、演劇は危うい状況なのだと思っています。演劇を守ろうというのはただ演劇好きの人が言っているだけで、演劇には何か意義があると思っていたところで、他のジャンルからは「いやその取り柄だったらウチが持っているよ」と言われそうな気がしています。本来演劇だけが持っていた取り柄というのが今はあまり無いように思います。みんながライブで一緒に舞台を体験してそれについて話しながら帰る、という部分を復活させればもう少し取り柄は分かりやすくなるかなとは思うのですが、どこもそういった努力はしていないのが現実です。

あと、かつては演劇の強みの一つとして言われていた「体感」という点で言うと、遊園地とかリアル脱出ゲームとかの方が今は圧倒的に強くて、ストーリーの中に没入できると言う点で言っても、それも演劇が強いかと言えるかどうかわからない。僕はゲーム育ちなので、ストーリーの中に自分が入って、しかもその中で自分がストーリーを展開できるということで言うとゲームの方が圧倒的に強い。座っているだけで楽しませてくれるということで言えばネットメディアの方が断然強い。

演劇だからと言うだけで良しとしていたものを、これが演劇の強いところだと思うということを意識していかないと、コロナで縮小した後もその縮小のブレーキはかからないのではと思います。

ハイバイ20周年『て』

東京公演:2024年12月19日(木)― 29日(日)

本多劇場

富山公演:2025年1月8日(水)、9日(木)

富山オーバード・ホール 中ホール

高知公演:2025年1月18日(土)

高知県立県民文化ホール グリーンホール

兵庫公演:2025年2月1日(土)、2日(日)

兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール

詳しくはhttps://hi-bye.net/play/te2024