近年のインバウンド増加は東京の日常風景の変化からも明々白々。駅や商業施設、レストラン、そして観光地や神社仏閣に訪日外国人の姿を見ない日はない。こんなところにも、と思われるような狭い路地、ローカルな居酒屋やカフェにも、昨今のSNSでの映えスポット拡散により、海外からのお客さまが多く訪れている。
とは言うものの、いまだにそのインバウンドの影響が及んでいない分野として蚊帳の外にあるのがパフォーミングアーツ、特に演劇なのではないだろうか。
日本語で上演される演劇の鑑賞はその言葉の壁により外国人にはハードルが高く、歌舞伎の幕見を体験する人はいても現代演劇の舞台鑑賞を日本でのスケジュールに組み込む人はほぼ皆無という実態がある。
そんな状況を少しでも動かしていこうという思いから、東京芸術祭が今年から始動した事業が「Tour to Discover」。英語、韓国語、中国語での鑑賞サポートを展開している。
その柱となっているのがシャトルタクシーツアー。東京芸術祭2024のメインプログラムの一つ、木ノ下歌舞伎「三人吉三廓初買」の観劇の前に、話の舞台となった下町界隈のゆかりの地を巡る文化観光ツアー。劇の背景を目で、耳で知った後に、その印象が残る中で5時間半のコンテンポラリー歌舞伎「三人吉三廓初買」の世界を存分に楽しんでもらうという企画だ。
歌舞伎「三人吉三」を観たことはあるものの、江戸の世話物(町人社会、世相風俗を扱った歌舞伎の演目)が今にどう繋がっているのかについてはよく知らないということもあり、実際にこのツアーに参加してみた。ここではその体験をレポートする。
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「Tour to Discover 」の第一回目(9月16日 祭日)が行われた日はあいにくの小雨模様。ツアーの集合場所である両国の駅には十数名の参加者が集まり、これから始まる歌舞伎演目に特化したツアーの開始を待ちわびていた。
簡単なツアーのルールや注意事項を確認後、二つのチームに分かれて英語ガイドによる約2時間の「Tour to Discover」ツアーがスタート。まずは集合場所である両国の町を歩いて散策。
両国国技館前
今でこそ国技館やちゃんこレストラン、そして大改修中の江戸東京博物館を訪れる外国人で賑わっている両国だが、ガイドさんの説明によると午後に鑑賞する「三人吉三廓初買」に深く関わっている場所がこの両国であり、作者の河竹黙阿弥の終焉の地であるとのこと。
百本釘跡の立看板
隅田川沿いにあるかつての両国絵図
徒歩で両国駅付近に設置されている看板や絵図を見ながら「三人吉三廓初買」の見せ場の一つ「大川端場」にある隅田川沿いの百本釘(水量が多い隅田川による侵食を防ぐために打ち込まれた杭)、そして江戸の隅田川沿いの景色を眺めて回る。そして隅田川のシーンが劇中ではどのように描かれているのかと想像を膨らませながらシャトルタクシーに乗り込み、次なる目的地浅草、浅草寺へと向かった。
浅草浅草寺 仲見世通り
朝の雨が強くなってきたが、午前9時過ぎの浅草には既に多くの観光客が集まっていた。そんな団体ツアー客や早起きの観光客たちの雑踏をぬいながら仲見世通りを歩き河竹黙阿弥の住居跡碑、そして黙阿弥の記念碑がある浅草神社を見学。記念碑には「三人吉三廓初買」の文字もあり、黙阿弥が生涯のほとんどを浅草界隈で過ごしたことなどが記されていた。
河竹黙阿弥住居跡碑
河竹黙阿弥碑
市川團十郎の碑
次に江戸時代、唯一の幕府公認の遊廓であった吉原 — これは「三人吉三廓初買」の“廓初買”のエピソードに大いに関わってくる —の名残である吉原神社を参拝。ここでガイドさんが江戸時代の吉原の絵図を見せながら、陸の孤島として囲われていた遊女たちの境遇に言及、ツアー参加者たちも江戸の特殊な風俗に興味がある様子だ。
吉原神社
ツアーの終盤は浅草を離れ、駒込エリアにある江戸の有名な放火事件のヒロイン“八百屋お七”ゆかりの寺、墓のある円乗寺とゆかりのある焙烙地蔵がある大円寺を訪問。
八百屋お七ゆかりの大円寺
「三人吉三廓初買」の中心人物、三人の吉三のうちの一人、女装の盗賊お嬢吉三が自らを“八百屋お七”だと名乗るシーンがあることから、様々な歌舞伎演目に登場する稀代のヒロインお七のゆかりの地を訪ねたところで見学ツアーは締めくくられ、池袋東京芸術劇場へと帰途についた。
舞台観劇前の昼食休憩中にツアー(英語)に参加していた日本企業に勤務している香港人のJustin Mongさんにツアーについて聞いてみた。
もとの同僚に誘われて今回のツアーに参加してみたと話す彼は「日本の文化に興味があったものの、これまで劇場を訪れたことはありませんでした。日本の歴史や文化をもっと知りたいと思っているところなので、このあと現代歌舞伎を観るのをとても楽しみにしています」と話してくれた。
「今朝のゆかりの地巡りツアーはとても面白かったです。特に終盤の八百屋お七に関するお寺が印象に残りました。このようなツアーはこれから期待できる企画だと思います。ツアー後に配られた質問票に収入額についてのプライベートな質問があったのですが、その辺は改善の余地があると思います」とのこと。
ツアーに参加する前に、少しでも歌舞伎演目の時代背景や歴史を調べておくとさらに「Tour to Discover」を楽しめるのではと話すMongさん。ツアー見学中にもガイドさんへ素朴な疑問を投げかけていた彼の姿があった。
「Tour to Discover」では、このツアーの他にも各演目の観劇前にアーティスト、そして作品について英語、韓国語、中国語で解説してくれる(30分ほど)プログラム、多言語での劇場ツアー、さらには英語のポータブル字幕機の貸し出しなどもあるのでそちらも要チェック。
インバウンド増加に伴って、今後このような外国人を劇場へ呼び込むための企画、サービスは需要を増してくることが見込まれる。“東京の多彩で奥深い芸術文化を通して世界とつながる”ことを目指していると掲げる東京芸術祭が歩み出したこの一歩がさらに定着していくことを願っている。