岸田戯曲賞受賞の池田亮の新作「球体の球体」は生命とガチャに関しての考察

池田亮
(c) Nobuko Tanaka

演劇界最高峰の賞、岸田國士戯曲賞を今年31歳で受賞した池田亮。東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了という美術家としての顔も持つ池田は丙次(元:田中裕希)らと共に2015年に劇団「ゆうめい」を結成。劇団で劇作家、演出家として作品創作をする傍ら、舞台美術(大道具・小道具)、映像製作、時に俳優も担っている。テレビアニメやドラマの脚本、演出、近年は外部の舞台作品の脚本・演出を担当することも増え、2024年2〜3月には日生劇場(東京)、梅田芸術劇場(大阪)で亡き寺山修司捧げる音楽劇、英国人演出家デヴィッド・ルヴォー演出、香取慎吾主演の舞台「テラヤマキャバレー」の脚本を担当し好評を博している。

若手の注目株である池田は片田舎のブックカフェに集まってくる社会からはみ出した人たちが起こす一夜の出来事を描いた戯曲「ハートランド」で権威ある第68回岸田國士戯曲賞(2024年)を受賞。それにより彼への期待がますます高まる中、9月14日にシアタートラムで開幕する池田の新作「球体の球体」とはどんな作品なのか。

主人公である現代アーテイストが遺伝と自然淘汰をコンセプトに創作したガチャガチャ(カプセルトイ)のようなアート作品「Sphere of Sphere (球体の球体)」に込めた思いを巡り現在と近未来(2059年)を行き来する寓話ファンタジー「球体の球体」について、そして岸田戯曲賞という節目を超えた今、池田が創作で求めるものについて聞いた。

造形作家としてカプセルトイの原型を製作し、その原型を販売するハンドメイドショップ「トイフクロ(https://yyyry.theshop.jp/)」を運営しているカプセルトイアーティストでもある池田亮が描くガチャガチャの世界の果てとは。

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  • 第68回岸田國士戯曲賞を受賞したことで、一気に演劇界の今の顔となった池田さんですが、受賞しての感想をお聞かせ下さい。

正直に言うと賞というものにあまり興味はなくて、集客につながるかも、という考えから応募をしたのですが、賞を目指していたわけではなく、貰えたら嬉しいなぐらいの気持ちでした。

2019年にテレビブロスという演劇以外の情報も載っている情報誌で、劇団ゆうめいの「姿」が投票によってステージ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたことがありました。その時は他のメディア、テレビ番組、映画や漫画と一緒に並べられているのがとても嬉しかったのを覚えていますが、今回は戯曲の賞なので、演劇の賞というよりも戯曲に対するものと受け止めました。その意味で、岸田賞の候補になった時はもちろん嬉しかったのですが、あまり実感はなかったです。

賞の発表がちょうど第二子の誕生と重なって、「あれ、今日が審査会か」と当日に思い出したくらい。その時期、賞のことばかり考えていたら家庭に支障が出るなと思い、あまり考えないようにしていたというのも関係していると思います。

一方で、自分が一ファンとして舞台を観ていた演劇人の方々に選評を書いていただいたのは単純にとても嬉しかったですね。

授賞式では審査員の方たちと話す機会も持てたのですが、そのすごい方々と話していて、若干自分と似ているところ、つまり演劇を作るマインドみたいなところは重なっていると感じ、その意味では一緒に舞台を作っている人たちなんだという親近感を持つことが出来ました。授賞式は遠くにいると思っていた方々を近くに感じることができたありがたい場でもありました。

  • ご自身の中で、岸田戯曲賞を受賞したことで変わったことはありますか。

受賞スピーチの中でも触れた、僕が14歳の時に初めて書いた小説「耳かきドライバー*」のように、上演するための戯曲というよりもインターネットで匿名で投稿していた小説の方が多く、そうしていた期間の方が長いんです。匿名ということで自分の名前を出さないからこそ書けるみたいなところがあって、隠したい、これを自分が書いていることを知られたくない、さらにはどんな人が書いているのかを匂わせたいという側面があったのですが、賞の受賞後は逆にそれらを変換してどんどん舞台上に出していきたいと思うようになりました。舞台では自分の名前も当然出てしまうので、隠さないと人前に出せないと思ってきたものをこれからは隠さず出しながら、いろいろな表現に挑戦していこうと思いました。

*「耳かきドライバー」あらすじ:クラスでからかいの対象となっていた中学生の主人公がプラスドライバーを耳に突き立てて同級生へ復讐しようと企てるが、その予行練習として自分でプラスドライバーを耳に入れてみたところ意外にも気持ち良く、耳かき中毒になってしまうという話。その後その行為は増長し、マイナスドライバーや六角レンチへと道具を変え耳かきを続けた彼は最後に息絶える。

これまでは主に実体験をベースに戯曲を書いてきました。とは言え、演劇の中のものがたりの素材だったので、実際には実体験の中から削ぎ落としていたものもあったのですが、岸田賞を受賞した今はそんな削ぎ落としたものをもう一回見つめ直し、それらを出して作品にしていきたいと思っています。

観客にとって無駄なのではと思って以前は切り捨てていたものを、逆にきちんと見せられるように作れたら、それが進化なのではないかと思うようになったからです。なので、今一度、困難だと思っていたことを新しくみせるということをやってみたいなと考えています。

  • 多才な池田さんなので、美術(彫刻)家、陸上、ゲーム関連の作家などキャリアを選ぶ上で様々な可能性があった中、演劇を選んだのはなぜなのでしょうか。

まず、自分が流されやすい性格であるということはあると思います。(笑)

そんな中でも(演劇創作に)“流れてみよう”と思っている理由としては、彫刻は一人で作るものという認識がすごくあって、一人で作るものは一人で作りたい。でも自分としてはそれだけではちょっと物足りなく感じてしまう、飽きてしまうというのがあります。

誰か他の人と何かを作るとしたら、自分が揺り動かされる作品を作りたいと思っていて、人が一人加わることによって絶対的に変わる演劇の表現がすごく気になっているというのが演劇を続けている理由です。美術家として彫刻を作っている時の自分と、演出なり他の皆さんと芝居をクリエーションしている時の自分は完全に切り離しています。そうした方がいろいろなものを吸収できたり、考えていることをシフトチェンジできたり、周りから得たものを流用して新しいものを作ることができると思っています。

周りからアイディアをいただくと、一気に自分のアイディアを捨てそうになったり、自分ではない他のアイディアを信じてみようという気持ちになったりします。稽古場でその取捨選択をすると現場が混乱するので、ガチャガチャのカプセルではないですが一度自分の手元に収めて、それをもう一回練り直すということを今回試してみようと思っています。

今は様々な現場の意見、アイディアを全て聞いた上で、それを自分のところで溜めて考えてから、これだというものを出していきたいなと思っています。

池田亮
(c) Nobuko Tanaka
  • これまでの創作でも1作ごとに前作の反省点を含め創作の仕方を変えたりしてきた池田さんが最新作の「球体の球体」でやりたいことは何ですか。

今回は寓話をやりたいと思っています。今までは実体験をもとに話を立ち上げて創作し続け、そこからフィクションにも振れたのですが、今作はより寓話感が強くなっていると思います。

子供が産まれてから絵本をたくさん読むようになりました。短くて展開も分かりやすいのですが、読んだ絵本の多くはものすごく奥が深くて、それらにすごく影響を受けました。ある種ミニマムでありながらすごく奥行きがあるというものに作劇で挑戦したいという気持ちがあり、それに通じるものとしてガチャガチャをモチーフとしました。

最近では実際のいろいろなモノがガチャガチャになっています。例えば、身近なモノではスマートフォンのカバーがガチャガチャの中身になっていたりするんです。そんな風に、さまざまな実際のモノが小さくなってガチャガチャで売られていて、人はその小さいモノの方を持ち歩きたいと思っている。消費社会の今、食パンの袋、実際には食べたら捨てられるものがめちゃくちゃリアルなモノとなってガチャガチャで販売され、捨てられずに携帯されている。そう考えると今流行っているガチャガチャってすごく奥行きがあるなと思ったんです。それを発端とした物語を書こうと思った時、今回の作品「球体の球体」になりました。

  • そのモノが中身であるガチャガチャに人の遺伝子とか記憶というものが入っているというのが「球体の球体」の話となるわけですよね。

今回の戯曲で扱っている精子や卵子の冷凍保存ってマイナス196度で凍結して棚みたいなところに保管するらしいのですが、それって生命ではあるけれどすごくモノ感みたいなものがあるなと思ったんです。同時期に、ガチャガチャに海老の卵が入っていてそれを孵化することができるというのを見つけ、そんなものまでガチャガチャで売られているんだと驚いたというのがありました。どの海老が出るかな?みたいな感じで売られていて、生命の冷凍保存とガチャガチャで売られている生命というのがリンクしていきました。

今はテクノロジーが発達してきたことで、例えばこの人とこの人が結婚したらこんな顔の赤ちゃんが産まれますみたいなことができますよね。それって怖いなと思うのと同時に、もしかしたら未来はそういうこともあり得るかもしれないということも言えて、そんな想像の世界を描きたいと考えました。何かに例えてみせるという演劇、すごく原始的な演劇というものの中だからこそ、今後起きるかもしれないテクノロジーの未来を描いてみることに挑戦したいと思って書いたのが今回の作品です。

「球体の球体」キャスト

  • 様々な表現に挑戦している池田さんがこれからの演劇に可能性を感じるとすればどんなところですか。

今回の新作の話で言うと、テクノロジーが進化しても、目の前に人がいるということを演劇は大事にしたいのだろうなということを思います。

人と人は出会いたいと思っているという根幹的な、生命的な部分を演劇に感じています。

この先テクノロジーが発展していったら、例えば今は代役を人間が演じていますが、将来その代役をホログラムが担うことになるかもと思ったりもします。もし、そうなったらホログラムと実際の人間が演じているみたいな舞台も出てくるでしょう。それこそコロナ禍で演劇を観に行けないとなった時にAR歌舞伎のコンテンツが出てきたように、テクノロジーの発展と共に演劇をどう残すかを考えた時に、演劇なので実際に目の前に生命として人間が存在することは守られるとするとどうなるのか、、、そういった未来を今のうちに演劇で描けないかなと思って作ったのが今回の作品です。

演劇ではすごく原始的なものから未来のテクノロジーを勝手に想像したりすることが可能です。たとえば先ほどの話ではないですが、生まれなかった人が生まれたらどうなるか、とか生まれなかった国が生まれたらどうなっていたか、という“もしも”を想像することが演劇的だと思うので、まだまだやれることはたくさんあると思います。

自分のことで言うと、岸田戯曲賞を受賞した「ハートランド」もバージョンアップしてまたやりたいなと思っています。と言うのも、自分としてはお客さんの反応に呼応していくことがとても大切だと思っているからです。前回の公演でのお客さんの声は反省として受け止めて、そこにわからないという声があったらわからないままにしておきたくない。そのわからないという声を大事にしていきたいんです。「ハートランド」に対する声を聞いて、次こそはわかってもらいたいという思いがあったからこそ、次の「養生」、さらには「テラヤマキャバレー」、そして「球体の球体」に繋がっていったと感じています。

劇の感想、レビューを読む時間こそ大事だと思っていて、スルーしてしまえば良いという意見もあると思いますが、感想を言ってくれた時点で書き込んだ“あなたも参加者になりましたね”という気持ちがあるので、なるべくたくさんの感想を読みたいというのがあります。それを受け取った上で、自分の出す結論はこれですということを出していきたいなと思っています。

  • 「球体の球体」はご自身がおっしゃるように寓話的であり、笑いもふんだんに盛り込まれています。その笑いについてはどうお考えですか。

今回の作品は全体にフィクションではあるのですが、どこかおかしな部分というか、普段こういった人はいないけれど、自分の中には確かにいるという人物を登場させています。

子供と一緒に遊びに行くボール遊びの場所で、目から鱗の不思議なことをしている親子を目にしたり、また「球体の球体」の中にも出てくるのですが、とてつもなく優柔不断な人が —実は劇団ゆうめい主宰の丙次がそうなのですが— 実際に僕の周囲にいたり。まあ、自分の親についても言えるのですが、一見変なところがあっても何かそれには理由があったり、本人はそれが普通だと思っているけれど側から見たら普通ではないといったところを話のやりとりの中で出したいなと思ったんです。そこが笑いに繋がるのでしょうね。

  • 様々な人と一緒に仕事(コラボレーション)をしていますが、それは意図してのことなのでしょうか。

同年代の人たちだと、言語感覚や見ていたテレビ番組が近かったり、好きなものが似通っていたりするので仲良くなりますよね。一方で演劇人の先輩方に聞くとあまり一緒にやるということは無くて、しかも年々無くなっていくということを耳にするので、今のうちになるべく多くの人と一緒に作りたいなと思ったりしています。あと、僕は対抗意識というか、他の劇団との勝ち負けみたいな感覚が無くて、同年代の劇団の舞台を観に行くのも一観客として、ファンとしての気持ちが強いんです。そうなると僕の中にこんなに面白い表現をする人と何か一緒に作ってみたいという思いが湧いてきて、なので同年代の人たちとのコラボレーションが多いんです。

  • 海外進出には興味がありますか。

興味はとてもあるのですが、実は旅行でも仕事でも、海外へ出たことが一度もないんです。でも先ほど話したように、作品の幅を広げるという意味でも海外の人たちと交流をしてさらに幅を広げていけたら良いなと思っています。

  • 海外の演劇人との交流という意味で、池田さんが書いた脚本を英国人のデヴィッド・ルヴォーが演出した舞台「テラヤマキャバレー」が2024年2月に上演されました。ルヴォーさんとの仕事はいかがでしたか。

年齢はすごく上なのに、ルヴォーさんが考えていることが年齢差を全然感じさせないものでとても楽しかったです。稽古に入る前に、ルヴォーさんが劇に関係していたりいなかったりするお話を結構しっかりとされるのですが、そのお話が毎回面白かったですね。あの時は東京の稽古場が海外になったような時間でした。

  • この先最終的に行き着きたい点、目標などはあるのでしょうか。

ざっくりですが、いつの日か巨大な作品を作りたいです。物理的にも巨大な、青森のねぶた祭りのような。そして同時にすごく小さい作品も作りたいと思っています。なので、その幅をどれだけ広げられるか、そして同時にどれだけ小さくできるかということに挑戦したいと思っています。一人だけに見せる作品を作りたいし、大勢に見せる作品も作りたい。つまり振り幅が大きいものを沢山作れるようになりたいなとは思っています。映画とかドラマやアニメのように海外も含め、沢山の人に届けられるものに立ち向かいたいですから。

仕事と同時に育児もしているとなかなか劇場に足を運べなくて、劇評を読んだり舞台写真を見たりして面白そうな舞台だなと想像する日々を過ごしていると、演劇に比べて身近なのがテレビの物語だったりするわけです。演劇をやっている身としては、全く違ったジャンルだとはわかっているのですが、その部分に対抗したいなと思っているというのがあって、それが振り幅の挑戦に関わってくるのかもしれません。

池田亮
(c) Nobuko Tanaka

「球体の球体」

日程・会場2024年9月14日〜29日

シアタートラム (東急田園都市線「三軒茶屋」から徒歩3分)

詳細:https://www.umegei.com/kyutai-no-kyutai