大音量で流れるロック音楽、レザースーツに細身のスリーピース、長身のイケメンが女役を颯爽と演じ、スピーディーな場面進行で幕があがったらノンストップで終演へと一気に突っ走る。そんな若さ溢れる新しいスタイルのシェイクスピア上演で観客を魅了し続けているカクシンハン。2016年には薔薇戦争四部作(ヘンリー六世+リチャード三世)の約1ヶ月に渡るロングラン公演を敢行。パワー全開の舞台は日々口コミで話題となり、新しいファンを多く集めての大盛況で幕を閉じた。
そんなカクシンハンが今回挑むのがシェイクスピア作品の中でも極めて残酷でスキャンダラスと言われる「タイタス・アンドロニカス」。 2014年、新宿三丁目のスペース雑遊で5月に「夏の夜の夢」、8月に「タイタス・アンドロニカス」、11月に「ハムレット」を上演したという経緯があり、今回が二度目の上演だと語る劇団主宰、演出家の木村龍之介に今回の公演で目指すところを聞いてみた。
Q: 「タイタス・アンドロニカス」は2014年に上演してから二度目の上演ですが、前回とは違うのですか?
A(木村): はい、大分違います。ですが、前回同様に河内大和さんがタイタス・アンドロニカス、真以美さんがラヴィニアを演じます。その二人の軸は変えず、タモーラは男性の白倉裕二さんが演じます。シェイクスピアは絶対に一つの作品の中に聖なるものと俗なるものを出すのですが、今回の劇でその俗なるものの代表がタモーラだと思っていて、。。なのでその部分は男性たちが馬鹿騒ぎをしている様なイメージで作っています。
Q: 英国では「蜷川マクベス」はもちろん絶大な評価を得ているのですが、06年にRSCの本拠地ストラットフォード・アポン・エイボンで開催された37作品全部を様々な国の劇団により上演するという企画「The Complete Works」の1作品として上演された「タイタス・アンドロニカス」も、特に英国人の若い演劇人たちの中では大きな支持を得ています。
A: 僕が蜷川さんの舞台を初めて見学したのが「タイタス・アンドロニカス」の再演の稽古初日でした。ですので、あの舞台は鮮明に覚えています。そこで、まず、シェイクスピアがこんなに激しくて良いんだ、と思ったことを覚えています。リアリズムで「タイタス・アンドロニカス」をやると、かなり陰惨な話になってしまうのですが、それを激しくやることでひとつ乗り越えてしまうと、こんなにも美しくなるんだ、と思いました。もちろん蜷川さんの作品はヴィジュアル的にとても美しいのですが、それ以上に人間が美しいな、と。それはリアリズムを超えた魂の叫びだと思います。僕らは絶対的に蜷川さんの影響を受けなければいけないんだと信じています。つまり、演劇はこんなに激しく、そして五感が刺激されて良いんだということをアジアの演出家が言っていて、それは正しいということを日々感じています。演劇がリアリズムだけに走ったり、今の僕らの描写だけになってしまってはダメだということを蜷川さんの舞台から教わりました。テキストを忠実に、言葉をはっきり、というのも重要ですが、その先を見ないといけないと思います。
Q:日本人がやるシェイクスピア、日本人に見せるシェイクスピアについてはどう思っていますか?
A: 思うのは、シェイクスピアの脳みそが今も保管されているとして、その脳みそにこの東京という街を見せたらどんな風に戯曲を書くか、演出するか、それを追求することこそが演出家としてのリアリズムだと思っています。シェイクスピアがロンドンという外部刺激を受けて作り出したということ、その交換をここ東京でしたい、と考えています。それが出来たら、絶対面白い作品が出来上がるはずです。なぜならシェイクスピアの翻は面白いので。なので、そのアプローチで作品を発信すれば、今の東京のお客様にも絶対届くと確信しています。
あともうひとつ、僕の中で「シェイクスピア東京」というものを常に考えていまして、その架空の「シェイクスピア東京」という街を想像しながら、作品作りをしています。東京は日本の首都というだけではない、それ以上の独特なものだと思っていて、例えばガルシア・マルケスの「100年の孤独」で描かれる架空都市「マコンド」に匹敵するような、そんな場所として東京をイメージして「シェイクスピア東京」の作品を生み出そうと試みているというところです。
Q: そこで今回の舞台ですが、具体的にはどんな作品になっているのでしょうか。
A: まず大前提として、俳優がすべての鍵を握っていると思っているので、「シェイクスピア東京人」である河内さんであり真以美さんが、戯曲なり僕のイメージから触発されたものがどれだけ出てくるかというのが作品の強度に繋がってくるのだと思います。俳優たちがこの世界をどうイメージしているのかを僕の演出で見せたい、と思っています。
あと、今回はかなり色々なもの、イメージをこの作品の中に詰め込んでみました。 「タイタス・アンドロニカス」は素晴らしい言葉の宝庫なので、その言葉に負けないイメージを盛り込みたいと思ったからです。 シェイクスピアでは目に見えないもの、例えばマクベスの「魔女」、ハムレットの「亡霊」、夏の夜の夢の「妖精」がとても重要なんです。今回の芝居でもその目に見えない存在をちゃんと描写しないと、ただの人間の陰惨な出来事になってしまうと思っています。今回、上演するのがお盆の時期というのもあり、、、まあそれはたまたまですが、この戯曲におけるその目に見えないものは「死者」であると考えています。つまり冒頭、タイタスがゴート族との戦いに勝利し凱旋するのですが、その時に彼はすでに22人の息子を失くしているんです。そこからさらに2人殺されるんですが、その死者たち、つまりこの芝居は肉体を失った骸骨たちとともに繰り広げられる一大盆踊りなのではないか、と。それを今回、やりたいと思っています。復讐が肯定されるのは一つの日本の文化であって、その美化された復讐劇を後半特に徹底的にある種の爽快感をもって進めていくという演出です。ある曲をずっと流しながら、骸骨たちの盆踊りを繰り広げることになります。
あと、先ほども言いましたが、この戯曲はとにかく言葉が強い。ギリシャ悲劇に負けないぐらいの強さがあるので、前半ではコロス(ギリシャ演劇における合唱隊)を多用しています。それにより言葉のエネルギーが劇場空間でほとばしるようにするためです。蜷川さんが「王女メディア」で見せてくれたような力強さを僕らはどのように受け継いでいけるのだろうか、そんな挑戦の一つでもあります。 なので、かなり賑やかな、エネルギーのある作品になると思います。
Q: 他にヴィジュアル的な面での演出、新しく試していることはありますか?
A: 基本的には何もない空間で俳優たちがどう造形するか、ということに興味があるので、凝った舞台装置を作るつもりはありません。足場のようなものが5つぐらいあるだけで、ダイナミックさは作ったセットではなく、俳優たちの造形する演技によって出そうと目論んでいます。
東京にいる僕らだから出来るシェイクスピアを創って、それを世界水準にまで高めたい、というのが僕の目指すところです。
その僕らならでは、というところですが、例えば蜷川さんは彼ならではという日本の美的観点を用いることで世界のシェイクスピア演出家であったわけですが、僕の場合は、そのような様式的な美しさ、ヴィジュアルとはまた違ったところで見せられたらなと思っています。絵画的な美しさは素晴らしいのですが、僕らは演劇をさらに体感したい、見るだけでなく感じたいと強く思っているのでそこに挑戦していきたいと思っています。
Q: 様々な見方、演出が可能な戯曲ですが、木村版はどこに照準を合わせているのでしょうか。
A: まず、絶対的に面白い、こんなにもシェイクスピアって面白いんだ、と思ってもらえる舞台にしたいと思っています。シェイクスピアの初期の作品なんですが、作者自体も絶対にこれで世間に注目されたい、面白い作品にしたいと思って書いた作品で、ある意味整合性のないほとばしるエネルギーに溢れた作品で、それが僕らにぴったりだと思っています。その面白いというのは、村上春樹作品のように面白く読めて、同時に深くて、ついつい見入ってしまい、そしていつの間にかいつもと違うところに連れていかれるというような、そんな面白さが大事 だと感じています。コンセプトというよりも、とにかく面白くて舞台に引き込まれるような、それが全てではないか、と。その時に僕たちはこの「タイタス・アンドロニカス」は日本的な爽快な復讐劇として、西洋では決して見られないものを見せたいと思っています。観劇後にはビールを飲んでさっぱりとした気持ちになって欲しい、と思っています(笑)。
Q: 最後に、今後の活動について教えてください。
A:「ロミオとジュリエット」そして「ハムレット」をまたやろうと計画しています。未熟だとかは考えず、大傑作に僕らの方法で挑んでいって、一人でも多くの日本の人々に見てもらい、こんなにシェイクスピアは面白いんだ、と思ってもらいたいと思います。
2017年8月14日(月)~20日(日)(全10回公演)
吉祥寺シアター
詳しくはwww.kakushinhan.org