Portrait of Pascal Rambert

日仏共同制作「KOTATSU」について①、作・演出のパスカル・ランベールに聞いた

2020年、兵庫県の豊岡周辺地区で産声を上げた豊岡演劇祭。コロナ禍でのやむない中止を挟みながらも観光と芸術の融合により徐々に観客数を増やし、演劇界の秋の恒例イベントとなりつつある。車窓からのコウノトリが田園地帯で餌をついばむ光景に、都会の演劇祭とは違った特別な芸術体験に胸躍らせる演劇ゴーアーズも多いことだろう。

2021年、コロナ禍で来日したフランス人劇作家・演出家パスカル・ランベール(Pascal Rambert)が待機中のホテルから演出をつけ、劇場にいる青年団の俳優、スタッフ、そしてフェスティバルディレクターでランベールとは20年来の親交がある平田オリザがそれを受け止め実行するという形で創作をした「KOTATSU」は文字通りの国際協働制作となった。しかしながらコロナ緊急時代宣言による演劇祭中止を受けて発表会が行われたのみで限定的に公開され、幻の世界初演作品となってしまった。

このほど、2年前の幻を現実化、「KOTATSU」は豊岡演劇祭2023で5回上演され盛況のうちに幕を閉じた。10月には東京世田谷のシアタートラムで4回の公演が予定されている。

「KOTATSU」あらすじ

新年の朝、大手で海外展開も果たしている東京建設株式会社社長である宏(太田宏)は豪邸の薄暗い畳の一室で一人携帯画面を凝視していた。ジャカルタの建設現場で大規模な事故が起き、死人も多数出ているというニュースを追っているらしい。煙草を吸う手が止まらない。

一方、新年恒例の集まりの準備も整い、大きな炬燵が置かれた居間では妻の史麻(知念史麻)が忙しく客をもてなしている。パリ留学を控えた娘愛(めぐみ)(名古屋愛)、宏の会社で働いている息子一生(森一生)の他に長年愛のベビーシッターをしていたウズベキスタン人のカミーラ(淺村カミーラ)、史麻の親友で教師をしている在日韓国人の瑞季(申瑞季)らが年始の挨拶に訪れていた。

そこへニューヨークで会社の不動産部門を統括している宏の妹、公美(兵藤公美)と公美の旦那で元大リーガーの滋(佐藤滋)、一家の末娘で東京建設会社の人事部部長である友里(荻野友里)も加わり、おせちとお酒で新年を祝う。酒がすすむうちに事故に関して、その対応について、それぞれがそれぞれの立場から宏に意見をぶつけるようになる。それでも沈黙を貫く宏。そんな家族の喧騒が過ぎたあと、長いこと不在であった兄健司(山内健司)が一人で現れ、宏と久しぶりに会話をする。

世界を駆け巡り忙しい演劇スケジュールをこなしているランベールは東京公演にあわせて来日するということで、豊岡演劇祭での上演直前、ルーマニアで新作の幕開けに向けて最終チェックを行なっている彼とZOOMで繋ぎ、彼の日本観が詰まった「KOTATSU」について、国際共同制作に関して、また平田との長きにわたる交流に関して話を聞いた。

Portrait of Pascal Rambert
© Vanessa Rabade

劇作家・演出家・映画監督・振付家 パスカル・ランベール

Q:日本人、そして日本の文化を見事に取り入れた今回の「KOTATSU」を書くことになった出発点はどこにあるのですか?

2013年に今回の「KOTATSU」にも主要キャストとして出演してもらっている、青年団の太田宏さんと兵藤公美さんと一緒に私が書いた二人芝居「愛のおわり(Love’s End)」を創作していた時のことです。台詞にフランス語の常套句、“Life is not a bowl of cherries”という台詞があったんです。直訳すると「人生は苺のひとカゴではない」となるのでしょう。きれいに並んだ宝石のような苺を輝かしい希望の欠片に見立て、つまりは「人生は楽しいこと、素敵なことばかりではない」という意味になるのです。その日本語訳をどうしようかとなったとき、平田さんが「人生はこたつを囲んでみかんを食べることではない」というのが良いのではないかと提案してくれました。

私はもととなったフランス語の意味をきちんと日本の観客たちに伝えたかったのですが、このこたつを囲んだ状況への言い換えがフランス文化のコンセプトをしっかりとらえた上、日本の文化にそって見事に訳されている表現だと感心しました。

言葉というのは私が演劇をする上で最重要視していることですから、この出来事が深く心に残ったのです。

お正月の集い KOTATSU
©︎igaki photo studio/提供:豊岡演劇祭実行委員会

Q: 日本を描く際にその設定をお正月にした意図は?

ご存じのように、日本人にとってお正月の数日だけが家族と一緒にリラックスできる唯一のときです。日本人はお正月の間は仕事から解放され家族と過ごします。

もちろん、休暇の感覚が日本とフランスでは違うことは知っています。我々のホリデーを日本人はジョークにしますよね。なぜならフランス人は夏に二ヶ月ぐらい休暇を取るのが普通ですが、日本人は仕事、仕事でお正月の数日ぐらいしか休みませんから。

日本中が休みとなるお正月を設定に選んだのは、そんな貴重な休日であるお正月であっても、つまり、いつでもどこにいても、今日ではSNSの普及によって平和な静かなときなど持てないんだということをこの芝居を通じて示したかったからです。

古いキリスト教の教えでは“何か後ろめたいことがあったとしても、ほんの一瞬の親切が親しい家族の集まりの時のように、その世界全体を変えることができる”と言う言葉があるのですが、そのことをこの劇で伝えたいと思いました。そして次に日本でとても重要な“恥”ということに関して描きたいと思ったのです。どうにかこの二つを繋げて劇に盛り込みたいと考えたのです。

カミーラと一生 in KOTATSU
©︎igaki photo studio/提供:豊岡演劇祭実行委員会

Q:劇中の日本人、日本の文化に関して、ちょっとした皮肉を交え、とても詳細に描かれていました。どのようにしてこのような見事な描写ができたのでしょうか?

それは何と言っても私が日本に興味があり、日本がとても好きだからに他ならないでしょう。2003年には「Paradis(paradise)」で京都九条山ヴィラの賞(Award of the Kujuyama Villa / Residency in Kyoto (Japan) for the writing of Paradis (paradise))もいただきました。

一方、私がフランスを題材にしてこのような劇が書けるかどうかは疑問の残るところです。外国人であるからこそ、私は日本の美を、そして日本社会・文化を求め続けているのだと思いますし、だからこそそこにはある種の偏見やそれゆえの偏愛も含まれているかもしれません。

その点で言うと、フランス人ゆえのフランスに対しての偏見が私には刷り込まれていると思っています。たとえばフランスでは年中どこでもストライキが行われているとか、メトロにはスリが多いとか。私が初めて日本を訪れた際、電車内で人々が安心しきった様子でバッグを上の棚に置きっぱなしにしているのを見て、とても驚いたのを覚えています。

とは言え、日本に関わって20年になりますが、私が理解しているのは日本文化、日本人についてのほんの一部分だけです。その核心にせまることは不可能だと思っています。もちろん少しずつ理解は深まってきているとは思いますが、全部を理解するのは無理。そしてそれで良いのだと思っています。

今、私はルーマニアから話しています。数日中にセルビアの国境近くの街Timisoaraでルーマニアの国立劇場のために書いた新作が幕を開けるからです。

その後、10日以内にはカイロに移動して、エジプトの俳優たちと新しいプロダクションに入りますが、このエジプトとのコラボレーションは6年間続けています。

同様に長期の国際プロジェクトを台湾、ポルトガル、メキシコ、アメリカで行っています。

それぞれの国の人々の特性について多くの劇を書いてきました。

全ての人にはそれぞれの国に根ざした、例えば考え方や感じ方などの精神のあり方、精神的ライフがあるはずです。なので、日本人として生まれたらおのずと日本人らしさがそなわっているものです。

パリで私のヘアカットを担当してくれている20年以上フランスに住んでいる日本人のヘアドレッサーさんはフランス語も堪能なのですが、いつも二人でそれぞれに「君はとっても日本人だよね」とか「あなたこそフランス人そのものだよね」と言い合っていますよ。

とは言え、私が日本に住むことができるかどうかについては別で、そこはなんとも言えません。優秀でクリエイティブな日本のアーティストたちと仕事をするのはとても楽しいことで、日本で仕事をするのは大歓迎です。

でも、日本に住むとなると自分の生活習慣、生活態度を変えなければなりません。日本での1日の過ごし方はフランス人のそれとは大きく異なります。たとえば日本来るたびに驚かされることの一つが、早朝6時に会社員たちが早足で出社しているのを目にすること。もっとゆっくり、リラックスして、と言いたくなります。(笑)

アーティストとして、私はこのフランスと日本の人の生活の違いのような、それぞれ人間の生活の違いというものにとても驚きを感じるのです。

Q:そんな外から見た日本、というものを目の当たりにして我々観客側も刺激を受けます。

そうです。日本の観客が驚くのと同じように、私もフランスに関してはそのような外的な見方をすることはできません。なぜなら私はフランス文化圏の中にいるからです。私が台湾で創作した劇「GHOSTs」の日本版を青年団で2018年に上演しましたが、台湾でその作品を発表した際(2017年)に台湾の人々は私が台湾人のソウルをとても理解していると驚いていました。

実現するかどうかは別として、「KOTATSU」をシリーズ化して5年ぐらいのうち作りたいと考えています。

Q:それは同じ家族の話になりますか? それともまったく違う話?

この家族というのが私にとっては特別なので、この家族の話を続けたいと思っています。もしかしたら10年後になるかもしれませんが、とにかく私はこの「KOTATSU」に特別な思い入れがあるのです。なので、フランス、ヨーロッパでこの劇がまだ上演されていないのをとても悲しく思っています。毎朝起きるたびにその悲しさに打ちひしがれています、本当に。

Q: 他の国の人々の劇を書く際に留意していることはありますか。

私はこれまで関わってきた国を批判したことは一度もありません。

ニューヨークから帰国した公美というキャラクターは私にとってはとても重要な役です。

他の国から帰ってきた人が、外国に住んでいる彼らは誰よりもインテリジェントで物知りであると言いたがるのはよくあることです。公美の旦那である元野球選手の男性はアメリカではすでに終わっていて、日本に帰りたがっていて大声で暴れます。

私は世界をまたにかけて働いているので、ニューヨークに住むということがどういうことなのかを知っています。今はパリに住んでいますが、イタリア、スペイン、ロシア、日本、中国、台湾、香港、メキシコ、ウルグアイ、と色々なところで働いてきました。その経験から言うと、皆人間であることに違いはないので、それぞれに違いもあれば人間ということで共通する部分も多くあるのです。私はその人間だからという点で似通っている部分にとても興味があるのです。

「KOTATSU」では様々な価値観、視点を入れたかったのです。たとえば(韓国)在日、若い人々、そして年をとった人々、兄弟や姉妹、そして彼らの内心、彼らが声には出さない思いを劇で描きたかった。日本の文化では自分のことは多く語りませんがニューヨークではあり得ないことで、誰もが「私が、私が」と主張するのが普通です。

これらの違いというのは全てが素晴らしいことだと思っています。私にとってこのような国によっての違いを含んだ話を書くことがとても面白いことなんです。そして今回の素晴らしい、美しいセットでそのことを演じることは光栄の極みです。今回一緒に作り上げたこの日本間のセットは本当に素晴らしいと思っています。ほぼ完璧に作られています。

ちょっと面白いことをお教えしましょう。「愛のおわり(Love’s End)」の創作の際、最初のリーディングが終わった時点で宏さんが「なんで自分の役のこの男はこんなにたくさん喋るのか」と聞いてきたんです。

私は「だって私が書いた戯曲だから」と答えました。

そのことがあったので、今回「KOTATSU」での彼の役はまったく喋らない男という設定にしたのです。生まれて初めて、“喋らない人”というキャラクターを書きましたよ。

劇中の宏はとても傷ついていたので何も喋らなかったのです。世界のすべてがSNS上で出し抜けに造り出された企業のようなものになってしまったことを想像することが彼にとってひどく苦痛だったのです。劇中で強く打ち出しているのでおわかりだと思いますが、彼は絶対に喋らない。彼は書くことはあっても喋る必要はないと思っているのです。悪い人間だと思われるのを恐れて、しばらくの間言葉を失ってしまうのは現実世界でもあることだと思います。

と言うのも、福島の原発事故の際、ちょうど私は日本にいたので覚えているのですが、事故の担当者が話し始めたとき、まるで全国民の前、世界の前で行われる裁判のようでした。それを見て、「KOTATSU」ではそのような状況についても扱いたいと思いました。

Hiroshi in KOTATSU
©︎igaki photo studio/提供:豊岡演劇祭実行委員会

Q: SNSは世界の距離を縮めているのでしょうか?

そう思いますね。例えば、私が失敗作を作ればすぐに世界中に知れ渡るでしょう。20年前だったらそんなことは起きませんでしたが。

今後10〜20年後にはエコロジー、地球環境問題の観点から旅行をする人は減ってくるでしょう。それは地球に生存する生物にとっては良いことなのかもしれません。しかし一方で日本への旅がどれほど私に影響を及ぼしたかを痛感している身としては、なんとも言えません。例えば、能舞台へは80回以上通っています。今後、どうなるのでしょうか。

美とその奥深さが能の魅力です。世界中でさまざまな舞台を観てきましたが能はその中でもパフォーミングアーツの最高峰にあると思います。

Q: あなたの目指す舞台とはどのようなものですか?

それに関してはとてもシンプルです。美しいものを作りたい。10代で演劇を始めてから一貫して“美”を作り上げたいと思ってきました。舞台セットであったり、照明であったり、人の人生を描く上でそれが美しくあれと思っています。

20年ほど前に世阿弥の本「風姿花伝」を読んで、その「花」の美学についての探求にとても感銘を受けました。私もそれを目指しているのですが、到底届きません。

そんなことを願いながら、毎年世界各地で10作品ぐらいのクリエーションを繰り返しています。それが私の仕事、そして人生なんです。

永遠にその理想とするところの“美”への追求を続けることになるのでしょう。でも正直なところ、探してはいるものの、見つからなければそれはそれでと思う面もあります。なぜならこの探求を死ぬまで続けたいからです。

Q: なぜ苦労をしてまで、さまざまな国の人たちとのコラボレーションを続けるのですか?

それはなんと言ってもその作業が素晴らしいからです。さらに色々なことを知り、感じることは本当に素晴らしい。

例えば、平田さんと私は長時間話をするわけではありませんが、お互いを本当によく理解しあっています。同じ1962年生まれで、両人とも数年前に息子を授かりました。彼がフランスを訪れ、私が日本へ、と共通点も多い。とは言え、基本的にはとても違う人間だと感じています。

私は楽しいことが好きなので、2052年に二人が90歳になった時、二人で何かいっしょにやろうと話しているんです。それまでは死ねませんよ。

「KOTATSU」詳細

上演日程:2023/10/13-15 会場:シアタートラム / 三軒茶屋

詳しくは:こまばアゴラ劇場 03-3469-9107 www.komaba-agora.com