タニノクロウ新作「虹む街」で県民俳優たちと演劇の既成概念に挑む。

Photo courtesy of Niwa Gekidan Penino
Photo courtesy of Niwa Gekidan Penino

2021年4月から新芸術監督、長塚圭史を迎え新たなスタートを切った神奈川芸術劇場(KAAT)。“開かれた劇場”をミッションに掲げた長塚は新体制のオープニングに同世代のアーティストたちを招集。6月には世界の演劇界で注目を集める劇作家・演出家2人、庭劇団ペニノ主宰のタニノクロウ、チェルフィッチュ主宰岡田利規が新作を発表する(岡田の「未練の幽霊と怪物」は昨年上演の予定がコロナにより延期となった作品)。

2019年ごろに新芸術監督からオープン時期に上演する新作のオファーを受けていたというタニノ。コロナ禍で2020年に上演を予定していた舞台がキャンセルとなる中、気持ちに変化が生じ、結果この作品に関しても当初予定していたものとは全く違うものになったと話す。小説をもとにした新作という案からタニノが最終的にたどり着いたのは県民と作る劇場(KAAT)の周りにある街の匂い・色を反映した舞台。

タニノが信頼を寄せる俳優陣、安藤玉恵、金子清文、緒方晋、島田桃依、蘭妖子に加え劇場周辺に居を構える一般人の俳優たちが作品に色を添える。横浜という土地柄もあり、彼らの国籍は日本の他に中国、フィリピンと国際色豊かだ。

長塚との話し合いから、タニノが稽古場の一般公開という企画を快諾、KAAT3階のリハーサルスタジオを訪ねると、タニノクロウ作品の代名詞でもあるスーパーリアリスティックな横浜、野毛地区の街の一画の舞台装置が出来上がっていた。中の様子が見られるガラス窓の前に設置されたソファー席には5〜6人の見学者たちが陣取り、熱心に稽古の様子をうかがっている。劇場関係者によると、スタート時には劇を観に来たお客以外の一般人を見学場所まで呼び込むのがまず難しかったと話す。それでも日を重ねるごとに見学者の数も徐々に増え、少しずつ手応えを得ているということだ。

後日、タニノにZoomでインタビューを行い、稽古場の一般公開の成果、国際的な創作の現場について、さらに彼が考える演劇の新しい可能性について話を聞いた。

—今回の舞台、県民参加の創作が始動した経緯を教えて下さい。

タニノ: 昨年の春、コロナの蔓延で舞台がキャンセルになり、僕自身が途方にくれていた時に、出来ることが限られているということもあり、まずはオンラインでいろいろな人にあってみようということになりました。劇場と我々とでZoomを使って様々な業種の人たち、学校の先生とか、レストランの経営者、シェフ、住職、葬儀屋さんとかとお話しするという場を設けていったんです。その中で少しずつ創作意欲が湧いてきて、その延長でこの作品が出来上がっていったという感じです。

—参加してもらっている県民俳優の方たちの中には舞台で演じたことのない人もいるということですが、稽古はどのように進んでいるのでしょうか?

タニノ: 素人の役者さんって、言ってしまえば彼らの自然力みたいなものがすごく強い。なので、例えば家庭での子育てもそうだと思いますが、彼らとの作業は盆栽を育てるのにすごく近いのだと思います。生命自体がそもそも持っている、生きようとするエネルギーってあるじゃないじゃないですか。その伸びようとしている枝が長いから切るとか、他の葉っぱにかぶっちゃうから切るとか、その人工的な考え方で修正、つまり枝を剪定していると良い盆栽はできないような気がします。最終的には演出という面では僕が剪定するところはあるのですが、そこは彼らのちゃんと伸びようとする力とか、こうしたいという力を尊重する必要があるのだろうとは思っています。

演出家として美しいと思っていることって極めて人工的なものなので、その美しさって人間を作るとか生き物を扱うのには、実は邪魔だと僕は思っているんです。

そうすると、どんどんやることがなくなって、結果、無能な演出家になっているというのはありますね。(笑)

—外国人の県民俳優も参加されていますが、日々どんなやりとりが行われているのでしょうか?

タニノ:「虹む街」の劇作家としてイメージした場所というのがKAATの周りに沢山あるのですが、実際俳優の人たちにそれらの場所の町歩きをしてもらいました。

もともと飲み屋とか飲食店に行って、そこのお客さんたちと喋りながら台本を書いていた時期が長くあって、それで刺激を受けることも多かった。旅をして人と出会ったり、そこの風景を見て創作意欲を沸かせるみたいなモチベーションを持っていたことも多かったんです。つまり偶然出会うものを感じて筆が動いていたところがあったのですが、今回コロナになってそれが出来なくなってしまった。じゃあそれ自体を作ってしまえというのが、今回の作品作りの一つの大きな動機ではあります。

飲食店を作ってしまって、そこにはいろんな外国の人がいて、この架空の街にいたらもう一本別の作品が書けるなっていうところを舞台上に作ってしまえ、ということですかね。

そんな叶わないことも劇場だったら叶えられる、という。まあ、僕の極めて個人的な目論見なんですが。

普通出会わない、特にこのコロナ禍では出会えないKAATの周辺で暮らす外国人の方々がこの舞台によって出会えるというのはすごいことだと思います。この機会が無ければ会わなかったかもしれない人たちだと思うと、しゃべっているだけで面白いですよ。

—今回、リハーサル現場を自由に見学できるという劇場企画に協力していますが、実際にやってみての感想はありますか?

タニノ: 演劇の稽古って、同じことを繰り返してそれが成功したり失敗したりするものなんです。演劇の稽古って、言ってしまうとすごく面倒臭いものなのですが、そんな稽古の中に見ている人の目があると言うのはとても重要だなと思って、とても刺激になりました。ずっと同じ人たちだけで稽古をしている中で、そこに新しい視点がある、見学者の存在を感じるだけですごく良いなと思いました。ガラスの窓越しの見学なので話したりは出来ないのですが、伝言板を設置したことで見学者の人たちの感想を受け取ったり、こちらからも「今から休憩に入ります!」とかのメッセージを貼ったりして、結構双方のやりとりはあるんですよ。

—コロナ禍を経験して、演劇に関して考えたことは何かありますか?

タニノ:演劇創作に関しては変われない、という事がわかったような気がします。もちろん技術的な進化があって、色々とやりやすくなったと言うのはあると思いますが、基本的に人が集まって、あれこれ言いながら作るのが演劇で、それ自体は変わらない。

それに対して、劇場は変われる可能性があると思っています。これは長塚さんにも同感してもらえるところだと思いますが、劇場が近隣の人たちにとって必要な存在となれることって絶対にできると思っています。ヨーロッパではすでにそうであるように。

なので、このコロナの状況が続いたとしても、変わっていけるところというのはそういった部分なのかなとは思います。

—例えばどんな風に変わっていけたら良いと思いますか?

タニノ: 日本だけではなく、劇場ってバランスを取らなくてはならないというのが基本にあると思います。公共劇場は税金使ってやっているところなので、一定のバランスを保たないと納得されないというのがある。例えば、男女比とか、エンタメ系とアート系とか、年齢高めの作品を上演したら若者向けのものをやるとか。そこで、僕としては劇場がちゃんと偏って欲しいと思います。単独の劇場ではなく、もっと広いネットワークができれば、その大きな枠の中でバランスは取れるので、それぞれの劇場は偏ることが出来ると思いますし、そうなっていけば良いなと思います。

—今回の「虹む街」では様々な演劇の境界線を滲ませて、いわゆる既存の演劇の境界線を曖昧にしたいとおっしゃっていましたが、その意図は?

タニノ: 演劇の作法とかがあるのだとしたら、それが面倒臭くなったというのはあります。それでも僕自身、まだ演劇らしさを求めていたりするのでそこは問題だと思っているのですが。境界をなくすというのもありますが、僕としてはそれよりも色々なことがどうでもよくなったという方が近いような気がしています。実のところ、まだまだどうでもよいという慣習が多いんじゃないかな。

演劇では普通は演出しなければいけないのですが、それもどうでもよくなっているし、自分が何者かっていうのも面倒臭いというかどうでもよくなっている。

例えば2018年初演の「蛸入道 忘却ノ儀」に関して言うと、あれ僕は演出していないんですよ。僕は稽古中ほとんど何も言っていないですし、台本も書いていないんです。

今回はまた別のアプローチをしていて、台本はほとんどが小説なんです。書かれていることってほとんど内的な事というか、心の動きとかその人のバックボーンとかばかりで台詞ではない。それらの内的な事が舞台上で表現されるのって難しくて、ほとんど不可能なことですよ。戯曲なのか小説なのか、もうそれもどっちでもよい、というのを示したかったというのはあります。

—「蛸入道 忘却ノ儀」でもそうでしたが、タニノさんの作品は観る人の感性にまかせる自由度が高いように感じます。

タニノ: 今回コロナになって、いろいろなところで考え方が分析的になってきていると感じています。戯曲を書くようになって、様々な場面で言葉を使うようになってきて、自分自身もなんか言葉ばかりが上手くなるんですよね。言葉がうまくなるというのはすごく分析的になるっていうことで、それ自体バランスが悪いと思い始めていたところに、コロナになって、、、コロナがもたらしたものって分析脳に人を変えてしまったということがあるんじゃないかと思うんです。例えばたくさんの数字とたくさんの新しい分析結果が次々と流れてきて、それがどんどん数値化されていく中で、我々は右往左往しているわけじゃないですか。

この病魔は結構深いところまで侵食しているような気がしていて、だからこそ極めて意識的になるって言うと、すごい矛盾なんですけれど、意識的に感性とか想像力の方を育てて、自分自身をもう一度目覚めさせたいという気持ちはありますね。

—これからやってみたいことはありますか?

タニノ:芸術監督。(笑)半分冗談ですけど。芸術監督になったらまずは飲み屋を開きますよ。

劇場には変われる可能性がまだまだあると思っていて、それが結構面白いなと思っています。劇場という場所があって、その中でプロフェッショナルな人たちが働いている。そうなると演劇に限らずいろいろな可能性がそこにはあると思いますよ。劇場は使い様がたくさんある。それを考えると、これからが面白いですよね。