「ママ、サムライを殺したんだ!」野田マップのQロンドンで開幕。

Balcony in a city in Italy

(c) Paolo-d-Andrea/ unsplush

 

英国主要メディアThe Guardian9月21日版にロンドン、サドラーズウェルズ劇場で上演される野田マップの「Q: A Night At the Kabuki」について、そのストーリー背景、舞台の様子、さらには野田自身にインタビューをした記事が掲載された(執筆 by Arifa Akbar)。

作品の中でQueenの名曲がどのように活かされているのか、ロミジュリがどのように使われているのか、といった解説が野田、そして役者らの紹介とともに英国人に分かり易いように丁寧に紹介されている。さらに、記事の末尾では今日の日本の演劇事情、スーパー歌舞伎なども盛り込まれているが、ここでは「Q: A Night At the Kabuki」について書かれた部分を主に訳しておこうと思う。

(c) Nobuko Tanaka

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英国の4人組ロックバンドQueenの初来日は1975年4月。彼らを一躍スターダムに押し上げたヒットアルバム「A Night at the Opera」発売の6ヶ月前であったにもかかわらず、羽田空港には数千人の熱狂的なファンが彼らを待ち受けていた。この初来日の日を日本ではファンの間で「Queen Day」として今でも彼らの記念日として祝う日とされている。

それから40年以上が経った今日、Queenの代名詞とも言える名曲「ボヘミアン・ラプソディー」が収録されているアルバムがある意味奇抜で野心的な演劇作品、ロック音楽が日本の歴史、そしてシェイクスピアに溶け込んでいる「Q: A Night At the Kabuki」にこのような影響を与えるとは誰が予想したであろうか。

2019年に東京で初演されたこの作品が今月、このロンドンのサドラーズウェルズ劇場で上演される。

この芝居の作者であり演出家、そして作品に俳優としても登場している野田秀樹、彼が芸術監督を務める東京芸術劇場のオフィスで野田に話を聞くことが出来た。

「Q: A Night At the Kabuki」には今昔が混在している。例えば豪華な着物やサムライの刀がセルフィー棒と一緒に現れ、ファッションマガジンやカラフルな風船が浮かぶ海といったシーンがキッチュなテイストで笑いと共に提供される。

日本の第一線で活躍する役者陣、松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳が主要キャストに名を連ね、それだけでもショーの雰囲気に負けず大変豪華な顔ぶれが揃っている。

野田はこのプロジェクトの出発時にはQueenの楽曲を作品に組み入れることに確信があったわけではなく、まずは「ロミオとジュリエットの後日譚」というもう一つのアイディアの方からアプローチを始めていた。そこに「戦争」「敵への憎しみ」に終止符を打つという思いをこの芝居にこめることを意識しながら。 

恋人たちが死んで見つかった後、「当然のこととして、両家は諍いをやめたのでしょう」と野田は話し始めた。「でも、それが1週間後、1ヶ月、、一年後にはどうなっていたか、、、もし根本的な両家の間の問題が解決していなかったのだとしたら、彼らはそう簡単にはその問題を忘れはしないでしょう、、いずれにせよ、もう若い二人はもうこの世にはいないのですから。」 

今一度、歌詞を読み直し、再考してみるまでは野田はそのアイディアをQueenの楽曲とどのように関連づければ良いのかわからなかった。 

「奇跡と言うより他に言いようがないですね、僕がアルバム曲をこの作品に組み入れることが出来たのは」と彼は言う。 

彼はその後すぐに愛と戦争のエコーを導き出したのだ。 

例えば「ボヘミアン・ラプソディー」の「I killed a man 僕はある男を殺した」という歌詞はロミオとティボルトの決闘シーンに結びつき、帰郷についての歌「’39」は男が戦争から戻るシーンで使われた。ロマンティクな愛の歌もたくさん使われ、特に「Love of My Life」は驚くほどにこの芝居に当てはまっている。 

そして、この芝居はヴェローナではなく、侍の時代が始まった12世紀の日本の話になっている。モンタギューとキャピュレットは平家と源氏の争いへと移行している。 

それが第二幕になると、一気に時は20世紀の世界大戦後へと飛び、多くの死者を出した日本兵のシベリア抑留へと舞台を移す。 

このシベリアでの状況が大きなトラウマと悲劇を生むこととなる。 

「僕は終戦から10年後に長崎で生まれたので、戦後間もない状況を覚えています。多くの兵士がシベリアの地で帰らぬ人となったのですが、彼らは日本に帰国後、シベリアで起こったことを語ろうとはしませんでした。僕の父は酔った時にだけ、戦争経験を話していました。そして戦死した友人の名前を語っていました。その数はかなりのものでしたが、僕はそれらを全て覚えています。彼らは戦場で死んだわけではなく、多くが飢え、そしてマラリアなどの感染症で亡くなったのです。戦争に負けた我々日本人は、そのことに関して語ることが出来ませんでした。日本人は自分たちに起きた悲劇について、原爆についてでさえ、長い間、語ることが出来なかったのです。最近になってようやく、語り始める人たちが出てきましたが。」 

今作では悲劇がスラップスティックコメディになったかと思うと、時間に関する考察を交えながら争いと死、そして愛と不確かな記憶へと戻っていくといったように、意図的に次々と劇のトーンは変化していく。野田自身は白髪のボブスタイルのカツラと着物を着てジュリエットの乳母(Uba)を演じている。(彼はこれまでも度々女装をして女性の役を演じている) 

中心にあるはずのロマンスをジョークと皮肉がうすめることもしばしば起きる。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」では2人の恋は数日で終わりをむかえるが、この野田の芝居では彼らは生き延びて老い、30年後に賢いアドバイザーとして若い2人を救おうと試みるのだ。

この劇にみる様々な要素の混ざり合いは、これまで数々の形式のハイブリッドを行なってきたこの演出家の歴史を考えれば少しも驚くことではない —例えば、ソーホー劇場でキャサリン・ハンターを主演に迎え上演された「The Diver」では能の要素を、「The Bee」では漫画(?!)を取り入れている。野田版「から騒ぎ」では設定を邸宅から相撲の土俵へと移して、話が進むといった変貌をみせる。

さらに言えば、この「Q: A Night At the Kabuki」は歌舞伎の要素も含んでいると言えるだろう。それは語呂合わせを含めた台詞術の妙技、スペクタクル性、豪華な侍時代の着物の衣装、素晴らしい舞台装置に大人数の役者による流れるような動き、といった点でだ。貴族の娯楽として愛でられた能と違って大衆の娯楽として発展した歌舞伎の持つ倒錯と下品さも、ここにはある。

(c) あおいフォト

歌舞伎はもともと性風俗と結びつき、女性によって演じられていたのだが、後に女性が演じることが禁止されたことで男性俳優に取って代わられ、さらに男性が女性を演じるようにもなった。大変にスタイリッシュな演劇で日本では今でも絶大な人気のある舞台芸術だ。唄あり、踊りあり、身振りあり、そして血湧き肉躍る戦いのシーンあり、時には客席からの声がけもありでとても賑やかなのが普通だ。日本では現代演劇の舞台において幕間の時にでも拍手は起らないものだが、歌舞伎においてはある決まりごとにおいて、客席から声がかかることがしばしばある。

コロナ禍による劇場閉鎖(日本のそれは英国と比べるとかなり短いものであったが)を経て、日本の演劇事情にも変化が表れてきている。

筆者が新橋演舞場で観劇したスーパー歌舞伎演目では(コロナ禍により)飲食や客席からの声がけは禁止されていたものの、その代わりに携帯のライトを灯して拍手をすることを勧められていた。

異種ジャンルや違ったフォームを足したり、混合したりすることの創造的なポテンシャルについて、演劇で違った要素を結びつける、そんな想像性のカオス(混沌)が文化を育てると野田は話す。「そこから新しい何かが出てくるのです」と。

 

 

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