彼女たちは驚きの連続だったと振り返る

 

(c) Nobuko Tanaka

2006年に故蜷川幸雄の旗振りの元、スタートしたさいたまゴールドシアター。55歳以上という応募条件に手を上げた応募者は1200名を超えた。蜷川氏が直接あたったオーディションで最終的に選ばれた48名のゴールドシアターの役者たちは、高齢者の新しいチャレンジということで社会現象を巻き起こし、その後も毎年の舞台をこなしていく。国内だけでなく海外進出も果たしたゴールドシアターだが、メンバーのさらなる高齢化もあり、主催者の彩の国さいたま芸術劇場からは、この12月の舞台、太田省吾の沈黙劇「水の駅」での解散が発表された。

解散公演へ向けて、初めての沈黙劇の稽古に励むゴールドのメンバー、小渕光世さんと都村敏子さんに、これまでの15年間、「水の駅」の舞台について、また今思うことについてたっぷりと話を聞いた。

Q: 解散ということになって、今どんな思いでいらっしゃいますか?

小渕:寂しいなあっていうのがまず一つですね、それと蜷川さんがご苦労して積み上げて作り上げた集団ですから、解散してしまうのはちょっともったいないっていう気持ちがあります。でも客観的に見るとまあ仕方がないのかなとは思います。みんな年齢があるじゃないですか。私たちの老いもあるし、なかなか難しいかなって思います。ただ主観的には寂しい、もったいないですね。

都村:私個人としては年齢もいっていますので、もう限界かなと思っているなか、自分一人が去っていくのは寂しいことだけれど、解散になればね諦めるしかない、ですよね。ただね、若い人たちに気の毒だなと思います。当初、応募年齢の下限が55歳からでしたでしょう。私は70歳から入ったから、、、どちらかと言うと、蜷川さんは年取った人のほうを採用していましたから。若い人これからだっていうのに、ここで解散しちゃったらなんかまだまだだという気がします。まあ皆さん70はもう最低でも越していますけれども、なんか彼らには気の毒だなって思うんです。

Q:日本で最初の高齢者の大掛かりな劇団だったので試行錯誤はありましたよね。メンバー入れ替えがないっていうのも1つの決断でしたし。今ご指摘いただいたように、メンバーの若い人たちのことを考えるということもありますね。そんな中で、まあ一応、一区切りということなのでしょうか。

小渕:一つの実験でしたからね、私たちは。年寄りは生活体験がいっぱいあるでしょ?プロじゃなくて、演技を指導されていない人たちがどうやってそういうものを表現していくかというのが蜷川さんの試みであったのでしょう。まあ蜷川さんが去ったらしょうがないのかなとは思いますけどね。あの方、何でもがチャレンジじゃないですか。チャレンジ、そして一歩一歩いろんなことを試していかれる方だったんで、まあしょうがないかなと思います。蜷川さんは最後まで怒鳴り続け、それも車椅子で、大変ですよね、、それでもやっぱり魂は熱かったですから。

Q: メンバーの皆さんから蜷川さんが受け取ったことも本当にいっぱいあったのだと思います。15年という活動で、蜷川さんだけでなく、私たちも皆さんの身体表現とか、日々の試行錯誤の様子を目撃してきましたから。ゴールドは演劇界の中にとどまらず、社会的事件にまでなりましたから。

そこで、日本人って謙虚で自分たちのことを褒めたらいしないのですが、最後だからということもあってあえてお聞きしますが、自分もしくは自分たちを褒めてあげるとしたら何と言いますか?

小渕:そうですね、最後までみんな燃えていましたね。と言うか、今も燃えてますよみんな、いざ舞台となると。それは並大抵のものじゃなかったですね。大勢の応募者の中から選ばれるかどうかの不安を乗り越えて入ってきて、受かったらそのあとは蜷川さんのあの鋭い指摘、そしてプロの人たちの演技の凄さ、そういうのを間近で見ながらやってきましたから。私たちは本当に地べたから始めていますからね。それでもついていくんだっていう、みんな負けじ魂みたいなものを持っていますから。やっぱりこの現場がすごかったですよ。稽古場がね、床に電気が流れているようなピリピリした感じで、もうみんな真剣なんですよ、スタッフの皆さんも、それから製作、演出陣の皆さんも。良いものを作るっていう迫力に満ちていましたから。その中で、皆さんの足を引っ張ってはいけない、この雰囲気を壊してはいけない、っていう緊張感の中でずっと過ごしてきましたので、真に鍛えられたと思います。

都村:本当によく食いついてきたわね。私なんかダンスの時、荒縄で括り付けられて、さらに「それじゃダメだ、もっと縛れ」って言われて、もっとグルグル巻かれたこともあったんですよ。(「リチャード二世」の舞台で)タンゴを踊るわけですからですから身体をぴったりつけなくてはって、そんなこともありました。若い子とそんなに身体をつけることに慣れてないしちょっと離れていたら、つけなくてはダメだって、縄持って来い、って言われて、私、括り付けられたんです。それじゃ足りない、もっと待っこいって、それで何重にも巻かれて。そういう風にしっかりと、目指したものに向かってやる方でしたからね、蜷川さんは。

Q: 正直、最初は蜷川さんの手のひらで踊らされているかみたいな感じでしたが、回を重ねるごとにメンバー側の主張の方が強くなっていったように見えました。それも蜷川さんにとって刺激になったのだろうな、と思います。どんなことが一番印象に残ってますか。

小渕: 私なんかは「鴉よ、俺たちは球をこめる」の初演を見ているんですよ、新宿で(1971年、アートシアター新宿文化)。門限が10時だったのですが、劇は9時から始めるんですよ。途中で変えれば良いや、と思いながら見ていたのですが、これがとにかく面白かった。新しい演劇がここにあるって、ものすごく惹かれて見ていました。最後に若い役者たちがみんなメイクを取って、ビキニ姿でずらっと並んだんです。 その時の役者さんたちの面魂がすごいんですよ、迫力があって。こういう人たちが蜷川さんの周りにいて、こういう人たちが選ばれるんだな、私には無縁な世界だ、と思いました。みんな個性的で面構えがすごくて私を見て、見て、っていうそういう人たちなんですよ。やっぱり蜷川さんのレントゲン光線のような鋭い眼差しを乗り越えて来られた方だな、私なんか空っぽで何もないなぁ、と感じたのを覚えています。まだ20代でしたからね。何もない、醜くて空っぽな人間は蜷川さんのレントゲン光線の前に立つことは出来ない、と思って、演劇はその瞬間に諦めたっていう、そういう体験をしているんですよ。そして60歳になった時に、ゴールドの新人募集があって、私なりにずっと生きてきて、泣いたり笑ったり苦しんだりして、いろいろな人との出会いがあったので「私はもう空っぽじゃない、いろんな人が私の中に住んでいる。それだったら蜷川さんの前に立てる」と思って応募したんです。でも、それは私の勝手な思い込みで、いっぺんにその自信は剥がされましたけど(笑)。本当にねいろんな体験をしました。例えばあの香港の雨傘運動の真っただ中、世界で1番ホットなところへ私達が行って芝居をして、ホットな観客の前であの芝居(「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」)をやったんですよ。すごく刺激的でしたし、面白かったです。

都村:やっぱり 55歳以上という、歳をとった人たちから募集しただけあって、蜷川さんはその人の生きてきた人生の中から何かを出して表現してもらおう、というのが確かにありました。だから私たちはプロとは言えないけれど、そういう面で ちょっと違ったところがあったんじゃないですか。

Q:ゴールドが集団だったということも大きいと思います。そこで、他のみなさんから学んだこととか、思い出に残っていることはありますか。若い人たちに向けて何か言っておきたいことはありますか。

都村:何事も経験が大切よ、って言いたいです。いろいろ経験しておきなさいって。その経験があってこそ、自然な演技も見られるのでしょうし。実は十代の時から、私役者になりたいって思っていたんですよ、お芝居がしたいって。まあ住んでいた環境によってなんですけれどね。十代の時、長谷川一夫の芝居もエノケンも見ました。高校を卒業して、三度の食事を二度にしてでも芝居が出来たら、って思っていたんです。高校卒業後、夜学ですけど演劇の講習会へ行ったりしていました。その後、結婚たりして、ピタッともう辞めてしまいました。だからこのゴールドの募集のことも友達が教えてくれたんです。ある日、お墓参りから帰ってきたら、留守電が入っていて、「高齢者の募集があるから、あなた絶対受けるべきよ」と入っていたんです。それから日にちがあまりなかったので、慌ててもう色々調べたり書いたりして、応募したんです。幸いにして、受かることが出来ました。周りのみんなが「すごいじゃない蜷川さんのところで」って言っていたけれど、その頃の私はちっとも知らなかったんです、蜷川さんのお芝居について。みんなが蜷川さん、蜷川さんって言うけれど、へえっと思って、そんな感じで 私は入ってきたんです。

Q: それでどうでしたか?女優になられて。

都村: 私女優っていう言葉より役者って言葉の方が好きなんです。自分には一つの人生しかないけど、お芝居していればいろいろな役をやって、いろいろな人生を演じる、それだけでもすごく楽しいな、良いなと思いました。

(c) Nobuko Tanaka

Q: 今回の舞台「水の駅」についてお聞きします。どんな役どころを演じていますか?

都村: 私は若い女性で、足を洗う女です。まあいい歳して、スカート捲り上げて、水道のところで足を浸すんです。もう歳とっているから、シワだらけの自分の足を出すのはちょっと抵抗あったんですけれど、もういいかと思って、もうこの際だと割り切ってやっています。

小渕:私の役は死体を運ぶ人っていう役です。出てくる人たちはみんな生きたいと思い、生を求めて水に集まってきて、水を飲むことによってエネルギーをもらい、もう一度生き直そうと思うんですよ。生きるっていうこと、それからあの結構エロスというのでもないけれど、人と人とのつながり、どうやったら人と繋がれるのか、みんな苦しんでいる劇です。名義上は夫婦だけれど本当の意味での魂がこうお互いにカチッとぶつかって夫婦でいられるかどうかっていう、でもそれはなかなか難しいよ、という舞台です。人と人との交わりの極致がエロスだと思うんですけれど、それと同時に、反対には死というものがあるじゃないですか。まあ私の役はそういう死と向き合う役なのかなと思っています。

都村: あなたそうやって向き合うけれど、私はわれ関せずでその側で足を洗って、「あ、死人が運ばれていくわ」って眺めているだけなんです。自分だけ勝手に足を洗って、気持ち良い、さあ行きましょうって、ずっとそんな感じなんですよね。

Q: 今回は台詞がない芝居ですが、その点はどうですか?

小渕:最後の最後までチャレンジですね。普通だったら、最終公演は今までやってきたことの集大成じゃないですか。ところが台詞がない劇なんて、私たち一回も経験していないんですよ。最後の最後にまたチャレンジなのかと。本当にその意味で、蜷川さんが作った劇団らしい解散だなと思って、とても面白く体験させていただいています。体で表現するって難しい、というのが今の本音ですね。

都村:私は、え、台詞はないの?それじゃ覚えなくて済むから楽じゃないって、番初はそう思ったんですよね。でも考えてみたら、台詞もなかったらそれを動きと表現だけで見せるのだからこれは大変だと思いました。稽古が始まってまず歩くところから始まったのですが、まあ年を取るとね、しっかり立っていられないんですよ、足がフラフラしちゃうんです。そんななので、悩みながらあの練習していますけれど、確かに大変ですね、沈黙劇というのは。

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—都村敏子さん

小渕: なんでも歩くのが基礎じゃないですか、お能でもこうすり足とか、、、芸能の基本が歩くというところで、今はその歩くという基本を徹底的にやっているんです。もう解散して、終わる人間たちに基礎から徹底してやるっていうのはすごいなと思います。でも、確かにそこから出発するんだっていうことを、今回学ばせていただきましたね。最初は辛かった、単調ですし。もっと色々やりたいと思うけれど、これが歩くっていう基本なんだと思いながらやっています。

Q: 今回残念なことにラスト公演ということで、お2人は舞台にどんな痕跡を残そうって思っていますか。

小渕:個人の痕跡のことなんて、何も思っていませんよ。みんなで一つの世界を創って、ゴールドらしい最後の舞台を作るっていう、それは思っていますけれど。その中で皆さんの足を引っ張ったり、がないように、きちんと劇団の一員としてやりたいと思っていますが、個人の痕跡に関しては全然思ってもいません。ただ私らしく、きちんとやり遂げたいっていう思いはありますけどね。

Q: 日本ではまだまだ演劇という文化が欧米ほど根付いてはいませんが、ご自身の15年間の経験を経て、演劇にはこんな可能性もあるのではないか、といった意見はありますか。

小渕:私は最初、ゴールドは蜷川さんの実験劇場だと思っていたんです。言葉は悪いけれど、私たちはモルモットなんだと思っていました。蜷川さんの最先端の演劇を作り出すための実験だ、と思っていましたから、最初から蜷川さんが多くのメディアを集めて、大々的にゴールドシアターを宣伝されたのでびっくりしました。私たちは実験の片隅にいるだけで、様々な生活体験をふんだ人たちのリアリティはこういうものだっていうのを蜷川さんが見て、プロの芝居の創作に反映していくのだと思っていたので、私たちが主役になって表に出ていくなんて全然思っていなかったんです。だって演劇というのは本当に研鑽に研鑽を積んで、熾烈な競争を生き残れた人たちだけがやるものだと思っていましたから、ポッと出の私たちがやれるわけないと思っていましたので。そうしたらびっくり仰天、本当に毎日、口があんぐり開いたまんまで、ついていったっていう感じですね。本当にさまざまな場所に連れて行ってくださいましたし、さまざまな演劇を体験させていただいたし、とにかく面白かったです。これは幸運という以外の何物でもないです。だから演劇をやる方、どの方もこういう経験ができるかと言うと、首をかしげちゃうところはあります。 後輩の方たちには運とチャンスというのがあるよ、と言いたいです。

Q: 本当は選ばれた人が演劇をやるというのではない、演劇やりたい人誰もがやれるような場があって、自分を表現する場としての演劇というのが身近にもっとあれば良いですよね。

小渕:私はここでたくさんのことを学ばせていただきました。そして、演劇をやってみたい、体験してみたいという人が沢山いるということも知りました。ですから、今後は地域でそういう方たちと何かをやって、ここで学んだことを少しでも還元しながら、私自身も何か作るという喜びを繋げていきたいなと思っています。やっぱり自分の演劇をやりたいという思いがあるじゃないですか。演劇ってすごい力があるんですよ、特に女性には。男の人はいつまでも客観性を持っていらっしゃるのかもしれませんが、私なんか舞台にそのままドーンと同化しちゃうので影響力が大きいです。そういう経験をしたいという方たがいらっしゃったら一緒にやろうかな思っています。

都村: 私はゴールドに入ってから、友達から「あなたは目標なんだからね」ってよく言われたんです。でも、ある時にくじけてそれを友達に愚痴ってしまって、そうしたらハッパかけられて、、、それからはもう、弱音は吐けないなと思いました。

Q: 今回の演出家の杉原さんについてはどう感じていますか。

都村:すごく根気の良い人だと思いました。同じことを何度も、何度も、とにかく何度でもやるんです。この人若いけど根気が良い人だな、と私は思いました。

小渕:蜷川さんとは全く違ったタイプだと感じます。蜷川さんには演出助手の方たちも大勢いらしたけれど、真っ先に怒鳴って突き進んでいかれたのですが、杉原さんは演出助手の方たちに実際作らせたものを見ながら修正したりして、演出助手を育てながら最後は自分のイメージをきちんと伝えるっていう感じ。少し違うタイプだなと思って、それはとても面白かったです。

Q: ゴールドはこれまでいろいろな年代の作家、演出家と一緒に仕事をやられてきましたが、若い演劇人に向けてメッセージはありますか。

小渕:上から目線で言うのはちょっと苦手なのですが、ただ、日本で演劇で生活していくのは大変だよっていうのは言いたいですかね。やっぱり役者は受け身だから、チャンスがないとなかなか仕事にはなりませんよね。私自身は草の根で演劇を続けようかなとは思っていますけれど。せっかくこんな15年も育てていただいたので、やっぱり今度は還元しなくてはいけないですから。でも今の日本は本当に大変ですね。格差がすごいと言うか、役者の世界の格差がすごいというのも間近に見ちゃうと、どうしても考えてしまいます。大変ですよ、演劇で生きていくって。だって、なんて言うのかしら、落ちた時の網がないんだもの。

(c) Nobuko Tanaka

— 小渕光世さん

Q: 小渕さんはゴールドの公演でイギリスにもいかれたんですよね。

小渕:そうですね、イギリスも老いの演劇はずいぶん盛んなんじゃないでしょうかすか。蜷川さんの舞台じゃなくて別の時に連れてっていただいたときに(2019年、Age Against the Machine Festival)、老いの方たちのダンスのセクションがあったり、地域ごとにそういうものがあったりして、とても盛んでした。それはすごいなと思いました。しかも作品のレベルが高いんですよね。地域の老いの劇団がそれなりに創造的で、すごいと思いました。ああいったものが、地域にもっとどんどんあると底上げになりますし、多くの方の思いを実現できていて良いな、って確かにそう思いました。蜷川さんと一緒に行く時はいつも最先端の劇場にしか出向かないので、その時はロンドンの下町のアングラっぽい演劇祭みたいなのに参加させていただいて、そこは本当に地域と関わるみたいな芝居だったので良いな、と思いました。みんなそれぞれ素人っぽい人たちがみんな集まって、それもそれなりにレベルが高いんですよ。英語がわからないので台詞がうまいなって思っちゃうんでしょうけれども、なんかとっても楽しくて、それを普通の人たちが観ていて楽しんでいました。

Q: 今後、地方行政の文化振興に期待するところはどんなことですか。

都村:そうですね、コロナのときはひどかったじゃないですか。演劇関連の方たちには本当に気の毒でした。なので、そういう受け皿作りみたいなものをもっとやっていただけると良いなと思います。

私は今でも「語り」を機会があるごとにやっています。語りは21年間続けていて、その前には「朗読」をやっていました。今あの歌の方もやっているので、シャンソンのミニライブの時など、みんなは歌うんですけど、私は語りもしたいって言って、語りをやって歌をちょっとその後でやるんです。シャンソンってよく中に語りの部分がありますでしょう。あれが皆さん喜んでくださるので。そのような場所で、ここで勉強したのを活かしたりして。自分でもどこかそのようなことを勉強できるところがあったら行って勉強していきたいと思っています。歌舞伎の台詞なんかやったりして、語りは面白いんです。元気ですからね、見た目は。「貴方を目標に生きてるいんだから」ってお友達のみんなよく言われました。だからこれからもしっかり頑張らなくては、と思っています。

Saitama Gold Theatre group photo

(c) 宮川舞子

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