David Hareの新作「Beat the Devil」の劇評

London Bridge

(c) Nobuko Tanaka

先日お伝えしたDavid Hareのコロナ禍に関する新作、Ralph Fiennesの一人芝居「Beat the Devil」がBridge Theatreで幕を開け、その劇評がThe Guardian紙に出たのでそちらを紹介。

Covid monologueということで一人の俳優による50分の独白劇は舞台装置もいたってシンプルで、ほとんど何もない。コロナ対策ということで熱画像の集積やソーシャルディスタンスのガイドラインに合わせた客席は通常の900席から250席まで減らされている。

コロナ拡大で劇場が閉鎖してからほどなくしてオンラインで始まったCovid monologueシリーズ。今回のヘアのコロナ感染の実体験に基づく戯曲「Beat the Devil」からは劇場でのライブ上演での形式となった。ヘアはロックダウンが始まった3月下旬に発症したのだが、この戯曲ではその悪化していく病状について、そしてこの伝染病に関しての政府の対応について記している。

ニコラス・ハイトナーの演出はそつがなく、ファインズは典型的なミドルクラスの人物になりきり、作者が綴る日々の様子を物語る。その個人的な病気の話は次第に政治の問題へとすり替わり、少しばかり優しさを欠いた第一人称の話へと変わっていく。「私は生存者としての後ろめたさは感じない。生存者としての怒りがあるだけだ」とファインズは語る。つまり、この劇は正当な怒りというものの心からの訴えなのだ。

政府のロックダウン発令の遅れ、感染経路appの変更、医療従事者への防護服供給の不足、ケアホームの窮状などなどの全てが政府の無能力、偽善、そして計画の大失敗によるものだと舞台のファインズは見事に語りかける。確かについ最近身近に起きたことを情熱を持って訴える独白劇ではあるのだが、その実、定時のニュース番組で語られている内容とどれほどの違いがあるのか、とも言えなくもない。劇のスタートで詩的に語られていた言葉は後半の政治に対する痛烈な攻撃をアクセル全開でぶちまける部分になると論争の体をなし、その詩的な部分が消えてしまう。

見所としては各閣僚に対しての鋭い、そして激しい怒りを込めた皮肉の描写であろう。ボリス・ジョンソン首相のリーダーシップに関する厳しいかげ口がCOVID-19に感染した首相が仕事に復帰するのと作者自身の回復が交互に描写される中で囁かれる。「もっと気楽にやろう。国政運営には戻らないさ。」

さらにもっと辛辣な台詞も—彼の病気が精神錯乱の、あるいは気が狂った段階に入ったように、政府は狂気の段階へと踏み込んで行った。。—と言ったような。

また時に階級や人種に関する辛辣な表現もある。病気は「ミドルクラスの人々がかかるものではない」としたが、首相が感染した後には保守党議員たちはその見解を改め「すでに病気は敗者たち(下層階級の人々)のものではなく、紳士、特にブロンドで白人の人たちのものになった」としたとか。。

個人的な話の部分ではコミカルな描写もある。例えばヘアの妻ニコルがベッドで彼を温めようとベッドで彼の上に覆い被さったなどは彼女がソーシャルディスタンスの意味を理解していない、笑える箇所でもある。

政治の部分での大声での訴えが熱量を感じられるが、実のところ苦難を控えめに綴った病気の話がこの劇の静かな要となっている。病気はまず恐怖の種をもたらしたが、それも変化をしていくのだ。「生きていて良かった」と彼が言う。彼はせん妄状態や絶望の境地を経て、反対の側の人に感謝し、ありがたいと思える境地に達することが出来たのだ。

。。。。と星3つの評でした。

 

 

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