Temporary theatre in Indonesia.

COVID-19と共存する演劇

Local theatre in Indonesia
Temporary theatre for the performance of Juro Kara’s play “Yui Shosetsu” by Ryuzanji Company.

最も三密な現場、演劇の今をレポート。

集まれない状況下で、仲間に声をかけ「今、出来る事を!」と奮闘しているのが流山児★事務所代表、演出家の流山児祥氏。

「いまのこの状態でやれることはなんだろうと言うことをみんなが探しているのだと思います。いまの時間というのはある意味で面白くなると思うんですね、逆にこういうことを経験して。だって結局、コロナと一緒に生活するしかないわけだから。だって地球温暖化を食い止めることができるかもしれない可能性が出てくるわけだから。。。」

若手からベテランまで、仲間の劇作家12人に声をかけ、コロナに関するオリジナルショート戯曲の執筆を依頼、それらを準備が出来次第、オンライン配信で発表していくと言う。「今の状態を映像で残す」と言う趣旨に賛同してくれた劇作家たちから次々と戯曲が届いているところだと話す。「今のところ6作品全部が基本的にこの国のリーダーについて書いてきているんですよ。」

「このコロナが蔓延する直前ぐらいにインドネシアで3箇所ツアーをして来ているんですよ。その時は屋外でやったので、クラスターも起こさずに出来たんです。
なので、俺はこれからは全部テントにしてしまえば良いと言っているんです。劇場を潰せ、と。シアターは「箱」だと言う発想はもうやめたほうが良いと思う。仕込みだとか照明だとか頼らないところで役者が芝居をする、と言ったような原点に戻らないとこれはダメだと思っている。。。。つまり劇場におさまったことによって演劇が脆弱になっているのではないかなと思うんです。」

「もう一回、アルトーの「演劇とペスト」じゃないけど、カミュのように、、普通の市民生活もできて、それですぐにパルチザンにも来られるような、そう言ったフランクなところを持たないと、もう演劇はダメなんじゃないかと思いますよ。今、時間があるので觀世栄夫さんの世阿弥の本とかを読んでいると、わ〜かっこよかったんだな、と思うんですよ。彼なんかは觀世流というものを捨てて、、つまり何も怖いものなんかないんですよ。その時代の人たちの方がよっぽどカッコよくてストイックですよね。」

「ここでは政治が全く動いていない、彼らが自分の言葉を持っていないので。。どうなるか誰もわからない状況なんです。それは演劇でも言えることなのですが、自分の言葉で人と喋れない人間たちが演劇を作ったらどうなるか、、危機的状況です。
自分の言葉も必要だけど、人は自分たち(我ら)の言葉が一番重要なんだと思うんですよ。つまりお客さんのために演劇はあるので、そこが難しいんです。」

「だからお金とかはなんの意味もないということじゃないですか。コロナで3日で死んで行くわけだから。そう思うと、何を残すかではなくて、今何をやるかだと思うんですよ。自分の中に何があるのかというのをちゃんと確認して、、、いろいろな意味で、これだけみんな本を読んだりしている時間ってまずないよね、一生の中で。なので、良いことでもあるんですよ。
これで、経済というのは一体何なんだ、というのをみんなが考えれば良いと思う。経済って本当に必要なのか、とか。芸術と経済とどっちが必要なんだ、と。多分、芝居を観た方が良いよね、と思い始めてくれたら、そうしたらそこに演劇は残ると思います。」

「それぞれにクラウドファンディングとかで生き延びようとはすると思いますが、でもちゃんと国が文化が必要なんだということをやらないとダメですね。
劇団協議会も演出家協会もこのままだと半年続くかどうか。。。このまま行ったら全部潰れますね。でもそれは、じゃあ東宝とか松竹とかの大きな興行会社はどうするの、っていう話じゃないですか。ジャニーズどうなるの?エンタメはどうなっていくの?っていうことですよね。
日本でもジャニーズとかアイドルとか、2.5次元ミュージカルとか、かなり人々の生活に浸透していますよね。果たしてそれらはいらないのか。。一方で宝塚や歌舞伎は必要だと言い出したりしたら、その中で淘汰が始まるのか。。?
そうなると逆にアングラは生き残りますよ。なぜならはじめからお金が儲かっているわけではないので。」

「インドネシアで思ったことはとにかくお客さんを探して、そこへ行くと言うこと。お客さんがいるところに行けばいいんじゃんって。お客さんを呼ぶと言うよりは俺たちがお客さんの前へ言って、それで上演して、その日ご飯を食べてどうにかその次の場所に移動できたら俺は演劇は出来ると思っています。」

「最初に言ったように「外でやれ」って。でもだったら外でやることを許せ、と言いたいです。公園法を改定するとか、劇場でないところでも上演して良いと言うように、この際なのでリセットして欲しいです。野外だったら上演してよいとして、密にならないような措置を講じて上演するとか、そう言う風に発想を変えていかないとダメだと思います。おそらくコロナはかなり長く続くと思うので。演劇で一番大切な密はなくなるかもしれないけれど、ある程度距離はとってもある程度その熱は伝わるような空間をシアターと呼ぼうと言うような発想に変えないと、シアターは「箱」だと言う発想はもうやめたほうが良いと思う。」

「もっと言えば、金をかけないでやると言うことを考えなければいけないということです。
そう言う意味では何にもないところでもやれる、仕込みも1時間で仕込んであとは1時間でバラしてそこを去る、と言うのが一番素敵だなと思います。本来演劇なんてそんなもんなんですよ。サーカスと同じですよ。」

時代にあわせた発想の転換、、、一考の価値があるのでは。